十二曲目『厄災の権化』
ふわり、ふわり。
水の中にいるような、雲の上にいるような……ふわふわと体が浮かんでいる感覚。
これは、夢だ。明晰夢、って奴だろう。
自分が夢の中にいると自覚すると、意識がゆっくりと浮上していった。
ゆっくりと瞼を開くと、霞んでいた視界がはっきりとしていく。
俺はどこかの小高い丘に立っていた。柔らかな風が青々とした草原を揺らし、空は透き通るように青い。
(ここは、どこだ……?)
見覚えのない光景に首を傾げながら、ふと後ろを振り返ってみると……そこには街が広がっていた。
眼下に広がる街は初めて見るはず。なのに、どうしてだろう。何故か俺はその街を
一度瞬きして瞼を開くと、小高い丘にいたはずの俺は街に入るための大きな門の前に立っていた。
いきなり移動したことに驚いていると、重い音を立てて門が開かれる。
門の向こうには中世ヨーロッパ風の煉瓦造りの街並みが広がる活気に溢れた大通りが真っ直ぐに伸び、道行く住人たちはみんな明るく笑顔だった。
まさに平和と言える光景だ。どことなく、マーゼナル王国の城下町に似ている気がする。
懐かしさを感じながら大通りを進んでいくと、大きな城がそびえ立っていた。
歴史を感じさせる古風ながら立派な石造りの城。まるで映画に出てきそうな綺麗な城に思わず目を奪われる。
(それにしても、本当にここはどこなんだ?)
夢の中とは言え、本当に存在しているようなリアルさがあった。
俺はこんな街を訪れたことはない。なのに、どうしてか分からないけどなんとなく既視感がある。
そんなことを考えていると、いきなり足下が暗くなった。何かが俺の真上にいる。
無意識に見上げて……俺は時間が止まったように身動きが取れなくなった。
空を覆い尽くさんばかりに大きく広げられた二対の翼。
城よりも大きな巨体、長く伸びた太い尻尾。
闇よりも深い黒曜石のような鱗を纏った
(あれは、なんだ……ッ!?)
俺の真上にいたのは、一匹のドラゴンだった。
前に戦ったことがある赤いワイバーン<クリムフォーレル>とは違い、手足がある正真正銘、本物の
だけど、その大きさはクリムフォーレルの五倍はある。そして、その身に纏う威圧感はクリムフォーレルの比じゃない。
圧倒的な存在感を放つ黒いドラゴンはギョロリと爬虫類のように縦に裂けた瞳孔で街を睨み、その視線にゾワリと身の毛がよだつ。
頭の中で警鐘を鳴り響く。本能が告げている。あれは太刀打ち出来るような存在ではない、と。
自然界のヒエラルキーの頂点。生まれながらの強者。今まで出会ったモンスターとは別次元の存在。
恐怖に足が震えて動けずにいると、黒いドラゴンは翼を羽ばたかせて長い首を仰け反らせる。
周囲の空気を全て吸い尽くさんばかりに大きく息を吸ったドラゴンは、勢いよく口を開いた。
その瞬間ーー視界が真っ白になり、鼓膜が破れそうなほどの爆音が大気を震わせる。
(ガ……ハ……ッ!?)
夢の中のはずなのに、遅れてやってきた爆風に吹き飛ばされそうになった。
どうにか姿勢を低くして耐え、まだチカチカする視界で俺は城の方に目を向ける。
そこには、さっきまでそびえ立っていた立派な城がほぼ全壊していた。
(嘘、だろ……)
城を破壊したのはドラゴンだろう。だけど、たったの一撃であんなに立派な頑強そうな城がほとんど形が残っていなかった。
愕然としていると平和だった街が騒然となり、遠くから警鐘が絶え間なく響いている。
城を破壊したドラゴンは翼を大きく広げ、この場にいる全ての者を威圧するように咆哮した。
突然のドラゴンの襲撃に住人たちは逃げ惑う。平和だった街は一瞬にして地獄と化していた。
ドラゴンは街の真上を飛び回りながら、街を襲い続ける。
吐き出された赤黒い炎が街を燃やし、人々は業火に焼かれた。
羽ばたいた翼が刃のような風を巻き起こして街を破壊し、巻き込まれた人々は瓦礫の下敷きになって潰れる。
黒い暗雲に覆われてた空から降り注いだ豪雨に一瞬にして街が洪水に飲まれ、人々が波に浚われていく。
ドラゴンの咆哮に合わせて暗雲に稲光が走ると雨のように雷が街に落ちていき、焼け焦げた人々の死体が至る所に倒れていた。
まさに、地獄。ドラゴンの一撃一撃が、まさしく災害だった。
(やめ、ろ)
ドラゴンによって街が破壊されていく。人々が死んでいく。
(やめろ……)
泣きわめく子供の叫び。苦しみ悶える人々の叫び。血だらけになった赤ちゃんを抱いて慟哭する女性の叫び。
(やめてくれ……ッ!)
耳を手で抑えても叫びが聞こえてくる。膝を着いて
懇願しても地獄は終わらない。
街に漂う怨恨が、恐怖が、憎悪が、俺の心を鷲掴みにしてくる。
(頼むから、やめてくれ……ッ!)
滲んだ視界で見た街の光景は、見覚えのある物に変貌していた。
それは、あるモンスターによってほとんどを滅ぼされた国……アストラの
これは、アストラが襲撃された時の夢……いや、現実に起きたことに違いない。アストラを襲撃したのが悠然と空を飛び回っているあの黒いドラゴンなんだろう。
存在そのものが
邪悪。ドラゴンの笑みはその一言に尽きる。
そして、ドラゴンはまた首を仰け反らせて大きく息を吸い込んだ。これだけ国を破壊しても、まだやるつもりなのか。
とどめの一撃を放とうとしているドラゴンに向かって、俺は立ち上がって叫んだ。
「ーーやめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!」
俺の叫びは空しく響き、ドラゴンは口を大きく開けてそこから獄炎を放った。
赤黒い炎はそのまま俺を飲み込もうと向かっていき……。
「ーータケル!」
そこで、俺を呼ぶ声が聞こえて目を覚ました。
飛び上がるようにベッドから体を起こすと、俺の腹から「きゅー!?」と驚いたような鳴き声と共に何かが転げ落ちる。
頬を流れる汗が顎からポタポタと滴り、体中汗でびっしょりだ。
今が夢の中なのか現実なのかが分からず、頭の中が混乱している。心の奥底にへばりついている恐怖に体が震え、張り裂けそうなほど速い鼓動を抑えるように胸元を強く掴む。
息が、苦しい。肩で激しく息をしながら、どうにか肺に酸素を送り込んでいく。
「だ、大丈夫、タケル?」
そこで、やよいの心配そうな声に俺は我に返った。
ようやく思考が正常に回り出し、俺はやよいに目を向ける。
「やよい……ここは?」
「あたしたちが泊まってる部屋だよ。凄くうなされてたけど、大丈夫なの?」
「部屋……?」
ゆっくりと見渡してみると、たしかに俺たちが泊まってる宿の一室だった。
何度か深呼吸をしていくと、鼓動が落ち着いてくる。最後にゆっくりと深く息を吐いた。
やよいは俺が落ち着くのを見計らって、心配そうな表情で俺の肩に手を乗せる。
「……本当に大丈夫?」
「……あぁ。もう、大丈夫。落ち着いた」
安心させるためにどうにか笑みを浮かべて答えると、やよいはホッと胸をなで下ろした。
「よかった……タケルが星屑の討手にやられたって聞いて驚いたんだよ? 気絶したタケルを部屋まで運んで寝かせたら、なんかうなされてるし」
「そっか、ありがとうな」
額に滲んだ汗を腕で拭いながら体を動かしてみる。痛みはないし、怪我もなさそうだ。
ちょっと頭がフラフラするけど、これはウォレスの放った衝撃波の影響がまだ残ってるせいだろう。
すると、俺の膝にちょこんと何か白いのが乗っかってきた。
「きゅー……」
それはキュウちゃんだった。
キュウちゃんは恨めしげに俺を睨みながら小さな前足でペシペシと俺を叩いてくる。
首を傾げると、やよいはクスクスと小さく笑みをこぼした。
「キュウちゃん、心配してタケルの顔をのぞき込んだ時にいきなり飛び起きたもんだから転がってベッドから落ちたんだよ。多分、それで起こってるんだと思うよ?」
「マジで? ごめん、キュウちゃん」
まさかキュウちゃんがいるなんて思わなかったからな。謝るとキュウちゃんはやれやれと言いたげに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
そこで部屋に真紅郎とサクヤが入ってきて、目を覚ました俺を見て安心したように微笑んだ。
「タケル、おはよう。気分は……よくなさそうだね」
汗びっしょりの俺を見て真紅郎は苦笑する。気分は正直最悪だ。あんな夢を見て気分がいいはずがない。
ため息混じりに頷くと真紅郎はジッと俺を見つめて口を開いた。
「ウォレスにやられたんでしょ?」
真紅郎は俺がウォレスと戦ったことを知っているみたいだし、正直に頷いて肯定する。
「あぁ。あいつ、星屑の討手に協力してるみたいだ」
「……やっぱり」
ウォレスが星屑の討手と一緒にいることを話すと、予想通りだったのかサクヤが不満げにムッと眉間にしわを寄せる。
すると真紅郎は顎に手を当てて考え事を始めた。
「貴族を毛嫌いしているウォレスが星屑の討手に協力するのは予想出来てたけど、まさかタケルと戦うなんてね」
「……殴って連れ戻す?」
「いや、サクヤそれはまだ待って。逆に言うと仲間であるボクたちと戦ってまで協力する理由があると思う。まずは、ウォレスと話してみないとね」
仲間思いのウォレスが俺と戦うぐらいだ、それほどの理由があるんだろう。
真紅郎はそのまま思考を巡らせ、一度頷くと俺に向かって微笑んだ。
「タケルは今日は休んでて。脳震盪でまだ頭がくらついてるでしょ?」
「少しな」
「今からボクとサクヤでウォレスを探してみるよ。貴族街にはいないと思うけど、一応ね」
「あぁ、そうしてくれ。明日には回復するだろうから、貧民街の方は俺が探す」
「うん、分かった。んじゃ、ゆっくり休むんだよ? やよいはタケルが無理しないように見張っててね」
「了解! ほらタケル、寝て寝て!」
やよいは真紅郎の指示に頷き、俺の肩を押して強引にベッドに寝かせた。
本当ならすぐにでもウォレスを探しに行きたいけど、まだ本調子じゃないし黙って言うことを聞いておこう。
俺はそのまま目を閉じて深呼吸する。すると眠気が襲ってきた。
抵抗せずにそのまま眠気に身を委ねる。深く沈み込むように意識が遠のいていった。
それにしても、あの夢はなんだったんだろう?
平和だった頃のアストラ。襲撃してきた黒いドラゴン。破壊される街並み。
あんな光景見たことがないはずなのに、夢で見るなんておかしい。明らかにあれは夢じゃなく、現実に起きたことのはずだ。
でも、今は考えても分かるはずがない。今はとにかく、もうあんな地獄のような夢を見ないことを祈るだけだ。
そのまま俺は静かに眠りにつくのだった。
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