二十九曲目『ラストライブ』

 アスワドとキュウちゃんが王国からの追っ手を食い止めている間に、俺たちは無事に家にたどり着くことが出来た。

 転がるようにシランの部屋に踏み込むと、そこには悔しそうに涙を浮かべているライラック博士と……ベッドに横になった生気を感じられないほど真っ白な顔をして目を閉じている、シランがいた。


「……さっき、心臓が止まりかけた。どうにか持ち直したが……もう……ッ!」


 力なく首を横に振り、血が出るぐらい強く拳を握りしめて涙を流すライラック博士。

 シランの命の灯火は、もう消えかかっている。もしかしたら、このまま目を覚まさないかもしれない。

 俺たちは……間に合わなかった。もしも、リューゲや王国の追っ手たちと出会ってなければ……いや、それでも間に合わなかっただろう。

 そこで、やよいがフラッとシランに近づいた。おぼつかない足取りでベッドの横に立ったやよいは、ガクッと膝を着く。

 そして、シランの手を優しく握った。


「……シラン」


 やせ細った真っ白なシランの手を握り、やよいは祈るように声をかける。

 すると……シランの瞼がピクリと動き、弱々しい力でやよいの手を握り返した。


「……や……よ、い……?」


 掠れた小さな声でやよいの名前を呟くと、シランの瞼がゆっくりと開かれる。

 もう目を覚まさないかもしれなかったシランが、やよいの声で目を覚ました。

 やよいはシランの手を握ったまま、涙を流して声をかけ続ける。


「ねぇ、シラン? あたしが分かる?」

「…………や、よい……わた、しの、いちばんの、ともだち……」

「うん……うん……ッ!」


 途切れ途切れになりながらも、シランは答えた。シランの言葉に、やよいはポロポロと涙をこぼす。

 それを見たシランは、ゆっくりと優しく微笑んでいた。


「ま、た……ないて、る……やっぱり、なきむしさん、だね……」

「うるさい、バカ……泣いてない」


 強がるやよいにシランはクスッと小さく笑みを浮かべた。その笑みは儚げで、シランの存在が希薄になっている。

 シランは深く息を吐いて、呟いた。


「ごめ、んね……もう、ダメ、みたい……」


 自分のことは、自分が一番よく分かっているんだろう。

 シランはもう自分が長くないことを悟っていた。これが最後になることを受け入れていた。

 やよいはシランの言葉に目を閉じて天井を見上げる。


 そして、意を決したようにシランの手を包みながら、言い放った。


「今からライブをするよ。だから、お願い……聴いて?」


 ライブをすると宣言したやよいに、ここにいる全員が言葉を失う。

 今のシランにそんな体力は残っていない。もうそんな気力が残っているはずがない。

 だけど、やよいは……それでもライブをしようとしていた。シランのために、最後のライブを。

 最初は驚いていたシランはクスクスと小さく笑い、はっきりと頷く。


「だったら、私……裏庭で、聴きたい……」

「待て、シラン! そんなことしたら、お前は……!」


 裏庭でライブを聴きたいと言い出したシランを、ライラック博士が止めようとする。

 だけど、シランは真っ直ぐにライラック博士を見つめていた。その目にはさっきまで失われていた生気が、力強さが……光が戻っていた。

 シランの目を見たライラック博士は目を見開き、そして諦めたようにそれ以上何も言おうとしない。

 シランは苦しそうに顔をしかめながら、緩慢な動作で体を起こした。やよいが手を貸してようやく起き上がったシランは、やよいの肩に額を乗せる。


「やよい、お願い……連れて行って」

「……分かった」


 シランはやよいに寄りかかりながら、肩を震わせてお願いをした。やよいは力強く頷いて答え、そのままシランを抱きしめて車椅子に座らせる。

 そのままシランを乗せた車椅子を押して、やよいは裏庭に向かった。

 空はまだ曇っている。風も冷たく、少し強くなっていく。

 色とりどりの花が咲いているはずの裏庭が、どこか色が薄く見えて寂しげに思えた。

 まるで、命の灯火が消えかかっているシランを写しているように見える。

 今のシランには厳しい環境だ。でも、シランはさっきまでの姿とは違い、真っ直ぐに背を伸ばして今から始まるライブを待っていた。

 ライラック博士とジーロさんは心配そうな顔でシランの隣に立っている。やよいはしゃがんでシランと目を合わせた。


「やるよ」

「……うん」


 短く言葉を交わして、やよいはシランに背を向けた。

 そして、俺たちは定位置着いて楽器を構える……前に、俺はやよいを抜いた全員に目配せする。

 全員が頷くのを見てから、緊張した面もちのやよいに近寄った。


「やよい、ギター貸せ」

「……え? どうして?」

「いいから。ほら、早く」

「う、うん……」


 意味が分からずに首を傾げていたやよいはギターを手渡し、受け取った俺はギターを構える。

 そして、やよいに向かってはっきりと言い放つ。


「やよい。今回はお前がボーカルだ」

「は、はぁ!? な、なんで!?」


 いきなりのことで驚き、戸惑うやよい。実を言うと、このことはやよい以外の全員に先に話していた。

 この曲は、やよいが歌うべきだと。


「この曲は、お前とシランのものだ。俺が歌うのは違うだろ?」

「で、でも……タケル、ギター弾けるの?」


 まぁ、やよいが心配するのも分かる。俺はニヤリと笑い、<壁の中の世界>のワンフレーズを弾いてみせた。

 それを見たやよいは意外そうに目をパチクリさせる。


「やよいほどじゃないけど、俺も少しだけギターをかじってたんだよ。今まで言う機会がなかったんだけどな」


 やよいからRealizeに誘われる前、俺はギターを少しだけ練習していた時期がある。でもやよいの方が技術が上だったし、俺がボーカル担当になってからはギターに触れる機会もなかったから、話してなかったんだけどな。

 俺がギターを弾けることが分かったやよいだけど、それでも心配なのか迷っている様子だった。

 そこで、真紅郎たちが笑みを浮かべながらやよいに近寄る。


「ハッハッハ! ま、そういうこった! やよい、お前が歌え!」

「そうだよ。今回作った新曲は、やよいとシラン二人の曲なんだから」

「……やよい、頑張れ」 

「これは、全員の総意だ。あとは、お前が決めろ」


 ウォレスが、真紅郎が、サクヤが、俺が。全員がやよいを応援し、背中を押した。

 やよいはゆっくりと深呼吸すると、覚悟を決めて力強く頷いて答える。


「分かった。あたしが、やる」


 そう言ってやよいはマイクの前に立ち、胸に手を当てて空を見上げた。

 俺たちも定位置に立ち、やよいの準備が終わるのを待つ。

 やよいは静かに前を向き、シランを見つめていた。シランもやよいを見つめている。

 視線が交わされ、二人は同時に頷くと……やよいは一歩前に出て口を開いた。


「この曲は、シランのために作った新しい曲。シランが好きな花の名前をタイトルにしました……」


 マイクを通したやよいの声が、裏庭に響いていく。

 一度言葉を切り、やよいは色んな感情を噛みしめるように目を閉じて、マイクを握りしめた。

 そこで、風が吹いた。ふわりと包み込むような、優しい風が。

 空を覆っていた厚い雲が風に流され、そこから一筋の光が射し込む。まるでスポットライトのような光が、やよいとシランを照らした。

 シランの後ろに咲き誇っていた花ーーアングレカムが静かに揺れる。

 目を開いたやよいは、曲目を告げた。


「聴いて下さいーー<Angraecum>」


 新しい曲、花をイメージしたロックバラード。

 その名を<Angraecum>。シランが好きな花の名を冠した俺たちRealizeの、この異世界に来て初めて作った新曲。

 やよいが作った、シランのための曲。


 シランにとっての……ラストライブが静かに始まった。

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