天下統一!
かわせひろし
第1話 しのぶと主と鎧武者
ざわざわと人の口の端からもれるざわめきが、押し寄せるゆるやかな波のように商店街の往来を進んでいた。
その波を引き起こしているのは、歩く二つの人影。
長いつややかな黒髪をポニーテールにまとめた、キリッとした顔立ちの美少女。すらりと背筋を伸ばしたその姿勢。きびきびとした歩き方。凛として活動的な雰囲気だ。
ただ、道ゆく人はそのことにざわめいているわけではない。その道連れに問題があった。
鎧武者なのである。
どこからどう見ても、鎧武者だ。
朱と漆黒も色あざやかに、立派な金色の前立ての大兜。顔を覆い隠す般若の面。胴、前垂れ、手甲、小具足。フル装備だ。くさりかたびらも着込んでいるようで、歩くたび、ガッシャン、ガッシャン、チャリン、チャリンと、金属音がひびく。
「え?」
「何? 映画かドラマのロケ?」
「カメラどこ?」
キョロキョロと見回す人が後を絶たない。みんながそう思うのも無理はない。完全に街中では異質の光景だ。
そこを通りがかったおまわりさんも、当然、不審に思う。
今日、ロケが街中であるなんて聞いていない。往来での撮影は警察の許可を取るものなのだ。二人連れに近づき、声をかける。
「ねえ、君たち。ちょっといいかな。これは何かの撮影? 許可は取ってる?」
「許可……ですか?」
少女はおまわりさんを見上げ、小首をかしげた。
見た目は小学生ぐらい。ただ、表情は大人びている。シンプルなシャツにパンツという、かざり気のない装いも、大人びた印象を後押しする。
首をかしげたはずみに、ポニーテールの黒髪がさらりと流れた。まっすぐ見上げる瞳にとぼけている様子はなく、本当にわかっていないようだ。
するとこれは、映画やドラマということではないのだろうか。これだけさわぎになっても、一向に大人が出てくる様子もないし。最近流行りのユーチューバーというやつで、子供が動画でも撮っているのか。
「撮影じゃないのかい?」
「ええ」
少女はこくりとうなずく。ううむ、とおまわりさんはうなった。
するとこれは、いわゆるコスプレ?
最近、女の子の間で人気の、日本刀を題材にしたゲームがある。舞台やアニメ、映画にもなっている。そこから歴史にはまっていく子も多いそうで、近所の老舗のおもちゃ屋で、本格的なしつらえの模造刀が売っている。
目の前の少女は小学生に見えるが、この歳でいわゆる「沼」にはまってしまったのか。
鎧武者はとても本格的な格好だった。まがい物ではなく、本物の古美術品に見える。これが全部本物だとしたら、かなりの値段だ。もしかしたら、おじいさんか誰か家族の趣味の物を、勝手に着込んでいるのではないか。
鎧武者はさっきからしゃべらず、一歩引いた形だが、体格的には大人に引けを取らない。お兄ちゃんのいたずらに、妹が付き合わされているのか。とにかくそちらにも話を聞いてみよう。
「ねえ、君」
おまわりさんがそう決めて鎧武者に話しかけた、その時。
鎧武者が人垣の向こうを指差した。
そちらに目をやった少女は、まなじりをつり上げ、何か重要なものに気づいたような表情をした。
次の瞬間。
二人は目の前から、かき消えた。
服部(はっとり)しのぶは困っていた。
内心のうろたえを表に出さないようにしているので、外からは落ち着いて見えるが、もうずっと困り果てていたのだ。
生まれた時から里で過ごしてきたので、都会の様子がわからない。そのため少し心細くなって、卍丸(まんじまる)についてきてもらった。しかしそれがまちがいで、行きの電車も今の往来も、ずっと注目を浴びっぱなしだ。
確かに少しは目立つだろうなと思ってはいたが、それがこれほどとは。里ではここまで注目を浴びることがなかった。里の人たちは見慣れていたのだと、今さらながらに思い至った。
じろじろとぶしつけな視線を浴びせられ、スマホで無断で写真を撮られ、遠巻きにひそひそとされ。
もう里に引き返したい。何度そう思ったことか。
けれどできない。
するわけにはいかない。
しのぶには、果たさなければいけないお役目がある。
幼いころから言い聞かされ、己の務めと心に誓った、重要なお役目があるのだ。
早く目的地に着きたい。そう思うしのぶの足は、自然と速まる。
しかし、そこで最悪の事態がやってきた。しのぶと卍丸を不審に思ったおまわりさんが声をかけてきたのだ。不審の色をその瞳にありありと表して。
落ち着いて対応しなくてはと己に強いて、表情一つ変えなかったのは、我ながらほめてやりたい。だが、質問された内容はさっぱり意味がわからないし、ちゃんと答えられないから相手がますます不審に思っていくのが手に取るようにわかるし、心の底では本当にもう泣きそうだった。
そんな時、卍丸が、つと指をさした。
その先を追ったしのぶの視線がとらえたものは。
二人は阿吽の呼吸で、跳んだ。
栃ノ木優(とちのき・ゆう)はその時、人垣に気づいて、何事だろうかと遠巻きにながめていた。
人垣の上にチラチラと見える、金色に輝くもの。実際には卍丸の兜の大前伊達。それを見て、あれはいったいなんだろうと思っていた。
優は見た目通りのおっとりとした性格で、あまりがつがつとしていない。人垣を押しのけもぐりこんで、さわぎのもとを見に行くほどの野次馬根性は持ち合わせていない。
だが、やはり子供らしい好奇心はあり、何が起きているのかは気になった。
ちょっと身体をかたむけて人垣の隙間から向こうをのぞいてみたり、ちょっと近づこうかなと思った時にさらに寄ってくる野次馬の勢いに気おされて後ずさってみたり。
ためらいと好奇心のバランスが、人垣からの距離を作っており、そしてそれは同時に優の受け身がちな性質も表していた。
なんとなく立ち去ることもできず、人垣の方をながめていた優。
まさかこれが、平々凡々な自分の運命を変える事件なのだとは思ってもいなかった。
ガシャーンとすごい音がして、目の前に鎧武者が現れた。
あざやかな朱色に深い黒で縁どられた兜に鎧。何より目に付くのは顔の部分を覆う面。かっと目を見開いた般若の面だ。その迫力に優は思わず後ずさる。
しかし、鎧武者の次の行動は、優にとってさらに意外なものだった。優に対して片膝をつき、こうべを垂れたのだ。
「え? な、なに?」
うろたえる優は、人影が一つではないことに、ようやく気づいた。
鎧武者の大音声の登場とは対照的に、そのとなりに音もなく現れ、同じように片膝をついた姿勢をとっている、同い年くらいの女の子。
少女は優と目が合うと、そのまますっときれいな所作でもう片方の膝も着き正座となり、両手を指先まで伸ばしてそろえ、頭を地面に着くぐらい深々と下げた。
鎧武者も同様だ。
優がびっくりしていると、女の子がきれいな声で告げた。
「お初にお目にかかります、優様。私、おそば付きとして派遣されてきました、服部しのぶと申します。しのぶとお呼びくださいませ」
「ちょっと、ちょっと待って。君は誰? 会ったことないよね?」
「ですからお初にお目にかかりますと申し上げました」
少女はにこりとほほえんだ。
優は大混乱におちいっていた。
無理もない。優はその辺にいるふつうの小学生である。このような口上を述べる、鎧武者を引き連れた相手と対面するのなんて初めてだ。いや大人だって現代では、鎧武者との対面はたいがい初めてだろう。しどろもどろになるのも当然。相手の言葉が右から左へ抜けて、同じことを問いただしてしまうぐらい御愛嬌だ。
いったい何事かと周りの目がじーっと集中し、優のパニックはますます強まる。
「えっと……あの……その……え?」
どうしたらいいのかわからずに、問いかける次の言葉すら思いつかずに、優はただおろおろとしている。
それを見ているおまわりさんも混乱していた。いきなり目の前から消えた二人は、大跳躍で人垣を飛び越え、一気に少年のもとまでたどり着いていた。あわてて追って聞いたその後のやりとりにしても、まるで芝居がかっていて、やはりこれは動画の撮影なのではないかとの疑いが晴れない。
しかしそれにしてはうろたえる少年の演技は迫真だ。プロの子役もびっくり。本当にこの事態に混乱しているように見える。これはかなりの名優。いや本当にうろたえているのか。いったいどちらなのか。
おまわりさんだけでなく、見てる周りの人も何事なのかと混乱を極めていた。辺りは騒然とし、だんだんと人々の間に興奮が広まってきて、もっとよく見ようと押し合いへし合い。まさにひと騒動起きようとしていた。
その時。
「優、どうしたの?」
一人の女性が人垣を割って出てきた。
優はその姿を見てほっとした。優の母、時子(ときこ)だ。
涼やかなきりっとした顔立ち。短く切りそろえた黒髪。見た目通り厳しい時は厳しい。でもあまい時はその何倍もあまい、愛情たっぷりの母だった。
買い物帰りのようで、スーパーの袋を下げている。その中におでん種のパックが見える。昨日、お父さんと食べたいねって言ってたからだ。卵パックも入ってる。おでんだしのしみたゆで卵は優の好物。その味を思い出して、優は舌なめずり……いや、今はそういうことではなくて。やはりまだ優の混乱は続いている。
時子も鎧武者の姿を見て、息をのんだ。
だが、それは一瞬のことだった。
「もしかして、しのぶちゃん? 大きくなったね。と言っても会ったのは赤ちゃんの時だから、しのぶちゃんは覚えてないか」
「時子おばさま、父から常々お話はうかがっていました。どうぞよろしくお願いいたします」
立ち上がった少女しのぶは、きれいな所作で頭を下げた。
時子の対応から、この二人を知っているとわかる。先ほどまで、何が起きているのか皆目見当がつかないことでざわめいていた周りの雰囲気が、少し落ち着いた。
「あのう、奥さん……」
おまわりさんが恐る恐るといったふうに声をかける。
時子は柔らかくほほえみ返した。ちょっと厳しい印象もあるぐらい整った美人の時子がこう笑うと、その美しさと際立つギャップに、ついそれを見た人たちは引き込まれてしまう。
「おさわがせしてすいません。うちの息子と甥と姪です。私の兄がいたずら好きで、だまってこんな格好でよこすもんですから、息子もおどろいてしまって」
頬に手を当てて苦笑する、その表情も絵になる。ほう、とため息をつく人さえいた。
「そうなんですか」
「みなさんも、ごめんなさい。おさわがせしました」
時子はそう言って、周りの野次馬たちにも頭を下げた。正体不明の鎧武者の正体が割れて、しかも保護者らしき人も出てきたことで、周りの喧騒は引き、見物人たちも三々五々と散り始める。それでもスマホで写真や動画を撮る人はいたが、さわぎは収まったとみてよかった。
「あんまりさわぎを起こしたらダメだよ」
おまわりさんも立場上、内容があるようでない注意だけして、立ち去った。
「じゃあ、おうちに帰りましょうか。優、だいじょうぶ?」
「う……うん」
時子に声をかけられて、優も家路につく。本当は本屋に行くところだったんだけれど、もうそれどころじゃない。
事態の進展についていけず、ただぽかんと口を開けてながめていた優だったが、最初のおどろきから解放されると、いくつか気づいたことがあった。
まずは時子のあのほほえみ。顔立ちの整った美人の母のほほえみに、みんな見入ってしまったみたいだけど、いつもいっしょに暮らしている優にとって、あの母のほほえみはよそゆきのもの。むしろお母さんがああいうふうに笑って「優君?」と呼んだ時には、アラートは最高レベル。めっちゃ怒られるまえぶれなのだ。
そんな笑みだから、優は母がわざと自分の方に注意を向けて、話題をはぐらかしてしまったことに気づいていた。「赤ちゃんの時」以来会っていない姪、しかも事前の連絡はなかった様子なのに、「兄がいたずら好きで」よこしたことを知っていた。当然うそだ。
さらに、この異常事態に母は一瞬しかためらわず、むしろ当然のことのように受け止めていた。周りの目を意識しての部分もあるとしても、もしかして母にとって、これはたいして異常なことではなかったのではないか。
「実家には全然帰れていないのだけれども、兄さんは元気?」
「ええ。よろしくとのことでした」
「なつかしいわねえ。里は今、新緑の季節ね。学校の校庭に大きなアカヤシオの木があったわよね。ちょうど見ごろぐらいよねえ」
「あの木は去年の台風で、根こそぎ倒れてしまいました」
「あら残念。あの木の下で告白すると初恋がかなうって言い伝えがあったのよ。ほら、おとなりの久美さんがね……」
今も、目の前を行く二人は親しげに話している。この女の子が時子の姪、つまり優の従姉妹であるということは、どうやらうそではないらしい。時子はなつかしげに田舎の様子をたずねている。
生まれてこのかた初めて会う従姉妹がやってきた、それはいい。
問題はとなりの人だ。
優は横目でちらりと様子を見た。
ガッチャガッチャと音をたてながら、鎧武者が優と並んで歩いている。住宅街の風景に、全く似つかわしくない異物である。いつもこの時間、犬を連れて散歩している顔見知りのおばさんは、ぎょっとした顔で後ずさった。連れている犬も、しっぽをくるりと股に巻き込んで、おびえたようにきゃんきゃん吠えている。
けれど、あの二人はこの異常な光景を、特になんとも思ってないようだ。
女の子が気にしていないのは、もともと連れて歩いていたんだからいいとして、母はなんで気にしていないのだろう。優はそこを一番不思議に思った。だって、どう見たって不審者じゃないか。時子がごまかしてしまったので、おとがめなしになっているけれど、あのおまわりさんに交番に連れていかれていても当然なぐらい、怪しさ満点だ。
二人を初めて見た時にすぐに何事か理解したようだったし、わかっているなら自分にも説明してくれてもいいのに。
ちらちらと鎧武者に視線を送りながら、優は思った。
その視線に気がついたようで、鎧武者は少しこもった声で優に話しかけてきた。
「失礼、自己紹介がまだでしたな」
「はっ、はい」
いきなり話しかけられて、優は思わず飛び上がった。
「拙者は卍丸と申す。優殿の護衛で参った者、お知りおきくだされ」
「はっ、はい?」
護衛って何のこと。優がさらに混乱を深めていると、前を歩く時子がくるりと振り向いた。
「卍丸君、それについては家に帰ってからね」
時子の表情は例のあれ。おだやかにほほえんでいるけれど、笑ってないやつ。有無を言わせぬ迫力をかもし出していて、優は縮みあがった。そしてそれは鎧武者も同様だったようだ。そのまま押しだまってしまい、家に着くまで話しかけられることはなかった。
家に着き応接間に入ると、二人はまた床に正座をして、頭を下げた。
「この度、優様のおそば付きを命じられ、はせ参じました。服部しのぶと卍丸です。よろしくお願いいたします」
時子は深いため息をついた。
「そんなのはいらないって、あれほど念を押してたのに」
「そういうわけにはいかないと、父は申しておりました」
「あの石頭。今を何時代だと思って……」
時子はぶつぶつと文句を言っている。さっきまでの外面は打ち捨てて、すっかりおかんむり。ただ、ここまで怒るのはめずらしい。時子は厳しさも持っているし、しかる時にはがっつりしかるタイプだが、自分の不機嫌さを巻き散らすようなことはほとんどしない。こんな母を見るのは優にとってほぼ初めてのことだった。
それだけ何か腹にすえかねているということなのだろうが、ただ、ここまで優は蚊帳の外だ。母の不機嫌さは怖かったが、さすがにたまらなくなって質問してみる。
「おそば付きってどういうこと?」
「それは……」
時子が言いよどんだ隙に、すかさずしのぶがこちらに向き直って言葉を継いだ。
「次期当主であらせられます優様の、身の回りの警護を仰せつかったのです。その他のお役目も喜んでさせていただきますので、なんなりとお申し付けください」
「当主?」
「はい。優様は栃ノ木家の第二十三代当主にあらせられます」
「……ということは、お父さんが第二十二代?」
「そうです」
「何か昔は大きな家だったの?」
優の質問に、しのぶは力を込めてぐっと身を乗り出してきた。時子はああ、と天を仰いでいる。
「大きな家どころではございません。栃ノ木家は戦国の世から代々藩主の家柄。由緒正しい家系なのです。私ども那須服部家はずっと栃ノ木家にお仕えしてきました。そこでこの度、私が遣わされてきたのです」
「へっ?」
しのぶの声にはより一層力がこもった。心なしか、頬も紅潮している。
「そして、天下統一が戦国の世からの栃ノ木家の悲願! 那須服部家はその悲願を達成するお手伝いをするためにおそばに仕えているのです! さあ、優様! いざ、天下を取りましょう!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます