アリス――鏡の中の(4)



 ……はい?

 そしてその後、、ですって?


 い――いやいやいや、何もある訳ないじゃありませんか。




 なにせ、自他ともに認める底辺地味女子高校生であるところの、この嬉野うれしのですよ? この世をさまざまな色合いで華やかに彩るきらきらしたオンナの子たちをいつくしみ、もしも――もしも許されるものならば、その甘くかぐわしい香りを間近でくんかくんかしたり、はすはすしたりしたいと日々夢見ている、この嬉野なのですよ? 何もないですナイデス!




 ま、それなりに良いコトはありましたがゴニョゴニョ……。











 あの夜あたしは、白兎はくとさんが言った台詞を理解できず、は?という表情で固まったのです。そして、恐る恐るこう尋ねてみました。


「えっと……後半の方がですね、あの……良く分からなかったんですけど」

「良く分からないって……。あ、あのだな? 明後日あさって、何か用事あるか、って聞いたんだが」

「明後日……土曜日、ですか? ここの、この土曜日のことで合ってます?」


 ここの、というくだりで、テーブルの端に済まなそうに置いてあった卓上カレンダーを手に取ってもう一度確かめるように指をさすと、たちまち白兎さんの表情が苦々しく変化します。


「合ってるかってそりゃ合ってるが……。べ、別にあれだぞ? 先約があれば無理には――」

「それ、もしかして厭味です?」今度はあたしが顔をしかめる番でした。「嬉野、休日に誰かと出掛ける約束なんて、生まれてこの方一度もしたことないです。家族となら話は別ですけれど」

「……で?」

「で、とは?」


 はぁ、と肩を聳やかして溜息をはいた白兎さんは、気持ちを落ち着かせようと一本煙草を取り出し――ぺちん!――隣から素早く伸びてきた手に持つ手を叩かれ、ぶすり、と膨れます。


 それから、


「結局っ! 明後日の土曜日は空いてるか! 空いてるんなら、今日迷惑かけた分の埋め合わせをしたいから付き合ってくれ! って、俺は! 聞いてるんだよ! どうなんだよって!」

「い……いきなり大声出さないでくださいってば。もう夜中ですよ? あと、煙草禁止です」

「誰のせいだと思ってるんだよもぉおおおおお!」


 言うや否やつんつんブリーチ頭をわしわしと掻きむしりながら嘆く白兎さんの見慣れぬ姿は、いつものクールでシニカルな、届きそうで届かない距離を感じてしまうそれではなくって。


 ぷっ。

 つい、思わず噴き出してしまって。


「空いてるんだなそうなんだなじゃあ決定だ土曜日一日付き合ってくれっていうか笑うな!」

「あ、あの……聞き取りづらいので、ちゃんと区切っていただけると」


 やんわりとクレームを入れるあたし。


「集合時間は九時だ――朝・の・な・! 場所はここ、ウチの事務所。異論は一切認めない」

「変な予防線張らなくたって、朝の九時だってことくらい分かりますってば……。っていうか、埋め合わせって言ってるのに、あたしの方からお迎えに伺わないといけないんです?」

「異・論・は・! 認・め・な・い・!」

「分りましたよ、もう」


 妙に子供っぽい剛情さで一気にまくしたてるものですから、もう苦笑するよりありません。




 で、その後はというと。




 まだむすっとしたままの白兎さんに連れられるがままに、『四十九院つるしいん探偵事務所』が入っている雑居ビルの一階上の四階へと薄暗い階段を上がり、


「ここがみゃあの部屋だ。今日はここで泊ると良い。まだ起きて待ってるだろうよ」


 表札も何もない、一切飾り気のないスチールドアの前で素っ気なく告げられました。けれど、白兎さんはそのまま踵を返して再び階段を降りる素振りを見せます。


「えとえと。白兎さんの部屋はどちらです?」

「この奥が安里寿ありすの部屋、俺のは無い。下の事務所にいるから、何かあったら呼んでくれ」

「……はぁ」


 事務所で寝泊まりしてるだなんて……いかにも身体に悪そうですよね。無いってことは、今日だけあたしに気を使って特別にそうした、って訳でもないんでしょう。まったくもう……。




 ――こんこん。


「空いてる。入って」




 響くノックの音に美弥みやさんの声がすぐさま応えます。

 軋むドアを開けてみる、とそこには。


「えっと、お邪魔しまーす……」


 ドアの向こう側に広がっていたのは、年頃の女子の部屋にしてはかなりの殺風景。元々建物の造りも住居用ではないのでしょう、壁も間仕切りもないがらんとした部屋の中にある物といえば、真っ赤なファブリックのカウチソファーにこじんまりとしたチェストボックス、あとは壁に立てかけられた細長いスタンドミラーに五〇年代アメリカビンテージ物と言われたらつい信じてしまいそうなアンティーク風の白い冷蔵庫くらい。安里寿さん用のもう一部屋とで三階と同じ面積をシェアしているにしても、無駄に広くってなんだか生活感がありません。


「やっと来た。お話。終わった?」

「あ、はい」


 どうやらベッドも兼ねているらしいカウチソファーの上で、オーバーサイズのカットソー一枚姿で丸まって寝転がっている美弥さんがとろんと眠そうな目でおいでおいでと手招きしています。あたしは誘われるがままふらふらとカウチソファーの空いているスペースに腰掛けました。すると、美弥さんは寝転がった体制のまま見上げるようにして微笑み、言います。


「お風呂。ないの。シャワーだけ。使う?」

「で、できれば。いろいろありましたから、このまま寝るのは気持ちが落ち着かないですし」

「ん。あそこ。シャワールーム。バスタオルは。チェストの。下から二番目。持ってって?」

「あ。はい、助かります」


 今日一日の疲れと忍び寄る睡魔のせいで次第にシャワーを浴びるのすら面倒に思えてきたのですけれど、ここで諦めてしまうと翌朝後悔する羽目になります。早速立ち上がり、言われたとおりの引き出しからまるで洗濯洗剤のCMに出てくるような白さとふかふかさのバスタオルを取り出して抱え込みました。ソファーの上で身を起こした美弥さんは続けて言います。


「もう一段上に。ルームウェアと。下着が。入ってるから。好きなの。使って良いよ?」




 下着……だと……!?




 背後から聴こえる猫の鳴声のような、ふわぁあああ……という可愛らしい欠伸あくび。それすら掻き消さんとどくどくと脳内に響き渡る沸騰しかけの血の奔流。あたしは、ごくり、と唾を飲み、震える手で引き出しを開け――エウレーカ!みつけた!――可愛らしく丸められた色とりどりの財宝の山(下着、とも言いますね)に目を奪われます。ぐふ、柔らかくて良い匂いがするぅううう。


「あ。ブラは。サイズが。合わない。かも?」


 し・っ・て・た。


 どーせちゃんとしたのなんて持ってませんもん。持ってたところで使い道ないですもん。スポブラが一番しっくりくるんですもん。海外ではノーブラの方が多数派マジョリティだって言いますもん。


「じゃあ、えっと……これとこれだけお借りしますね……うふ」

「うん。早く。済ませてきて。もう。みゃあ。待ちきれない。から……」




 ……え?




 まさかまさかまさか!




 大きすぎるカットソーの中で膝を抱え、とろけた大きな瞳で美弥さんが見つめていたのです。あたしを。


「……抱き合って。一緒に。眠るの。あたしが。ちょこを。一晩中。なぐさめてあげる。ね?」



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