溜息は少女を殺す(5)
次の日、あたしは
「済みませんね、
その呼びかけに振り返ったあたしの脳裏に真っ先に浮かんだのは、誰!?でした。
丁寧に撫でつけた黒髪の下で微笑んでいるのは確かに見たことのある顔。左目の下の泣き黒子二つ。確かにそれは、白兎さんのものです。ですがその表情には、昨日とは違う幾分年を経た年輪がうっすらと刻まれていました。手には高級そうな黒革のブリーフケース。三つ揃いの糊の利いたスーツを颯爽と着こなすその姿はまるで別人です。そしてその隣には、トレードマークの赤いチョーカーを外しただけの
急いであたしは白兎さんの
(髪、どうしたんです!? それに、何だか見た目の年齢まで変わってますけど!?)
(はは。驚いた? 商売柄、変装は得意でね。じゃあ、行こうか)
呆気にとられたあたしを置き去りにして、白兎さんと美弥さんは学校の方へと歩いて行きます。慌てて追いかけるあたし。あまり言葉を交わすこともなくじき学校へと辿り着きました。
「まずは守衛さんに挨拶しないといけません。どちらに
「あう……ええと、こっちです」
丁寧で上品な白兎さんの口調に、いつものペースを崩されているのはあたしの方です。
守衛室は昇降口の一番奥にあります。そこで来客受付も行っているのです。
そして、あたしたちのクラス、2―5の下駄箱もその壁沿いにありました。履いてきたローファーと交換に上履きを取り出して振り返ると、後ろには3―4の下駄箱があります。これは学校の方針で、学年ごとにまとめられる配置ではなく、学年の垣根を越えた交流が生まれるように、という配慮かららしいのです。
(なので、『溜息の主』はきっと、3―4の誰かだと思うんですよ! 美人揃いなんです!)
昨日、すでに白兎さんにはそう説明してあります。ちょっと呆れた顔をされましたが。
それを覚えているのかいないのか、白兎さんと美弥さんはあまり周囲を気にする素振りを見せず、下駄箱の並びにある守衛室へとまっすぐ向かいました。
「あの。失礼します。私、こういう者でして――」
「はいはいはい。なんでしょ?」
いつもあたしたち生徒の登下校を見守ってくれている守衛のおじいさんが慌てたように窓口まで飛んできました。いつも変わらずそこでにこにこと微笑んでくれているだけで、それがもうすっかり当たり前になっているあたしは、今日まで守衛さんの名前は知りませんでした。紺のツナギの胸ポケットのあたりに、『武山』と書かれたネームプレートがあります。
「萩華女子学院の国森学園長より推薦状を頂戴しまして、妹の美弥子をこちらに通わせていただけないかとご相談に参った次第です。校長先生にお取次ぎいただけないでしょうか?」
「しゅ、萩華さんのご生徒様でしたか。それはそれは……」
萩華女子学院と言えば、ウチの学校にも負けず劣らずの名門お嬢様学校です。もちろんあたしもお名前は存じ上げています。守衛の武山さんもピンと来たらしく、ポケットから皺くちゃのハンカチを取り出して、微笑みを崩すことなくぱたぱたと額の汗を拭いています。
「い、今、ちょっと立て込んでおりまして」
「――? 何かあったのですか?」
「い、いえいえいえ! 何かあったというほどでも……」
しきりに武山さんは背後を気にする素振りを見せ、狼狽をあらわにします。これにはあたしも勘が働きました。昨日の五十嵐さんの一件、それで校長先生はご不在なのに違いないです。
とは言え、名門お嬢様学校から転入したい、と希望する優秀な生徒を連れ立った目の前の人物を、自分一人の判断だけで無下に追い帰すことも難しいのでしょう。さりとて正直に昨日起きた出来事を伝えるのはあまりにショッキングですし、相手の心象も悪くしかねません。次第に武山さんの顔色が血の気を失い、いつもの優しい微笑みがぎこちなく強張っていきました。
「もしご不在であれば、どなたかお話を聞いていただける方にお取次ぎいただければ」
「そ、それが……そのう……」
この慌てぶりでは、校長先生はもとより、教頭先生や二年生の学年主任である1組の芳原先生もご一緒に五十嵐さんのお見舞いに伺っているに違いありません。武山さんはますます追い詰められてしまったかのようにもごもごと口ごもるばかりで、二の句が継げない様子です。
遂に。
はぁ……。
その口から溜息が漏れ出てしまいました。それを合図にしたかのように、白兎さん扮する突然の訪問者は
「仕方ありません。では、ご挨拶は日を改めることに致しましょう。お困りの様子ですから」
「そ、そうしていただけると……助かります。はい」
ほっ、と息を吐いた刹那です。
「そうそう。こちらに伺う途中、妙な噂を耳にしたのですが?」
「み、妙……と言いますと?」
ぎくり、と飛び上がるようにして恐る恐る武山さんは聞き返しました。白兎さんは顎に手を添え、しばらく考え込む素振りを見せてからゆっくりとこう口に出しました。
「確か……こちらに通われている生徒さん方は、皆さんとても仲がよろしいそうで」
しばしの沈黙。
「……もしもし?」
「へぁ?」
相手を気遣うように眉を
「あ、ああ、ああ! はいはい! とても仲が良いですよ! 実に微笑ましいです!」
それから、記憶を辿るように武山さんの白髪交じりの眉は不思議そうに斜めに傾ぎました。
「で……み、妙、というのは、どのような?」
「ああ。いえいえ、深い意味ではなくてですね――」
白兎さんは顔の前で大袈裟に手を振ると、弱々しい苦笑を浮かべて見せました。
「中には仲が良すぎて、同性同士で恋仲にまでなっている生徒さんもいるとかいないとか」
「ははあ」
武山さんは白兎さんの台詞を耳にして、きょとん、とした顔で形だけ頷いてみせました。こんなご年配の方にぶつけるには、あまりに想像を超えた突拍子もない話だったのでしょう。
「そう言った話は、この年寄りには良く分かりませんなあ。仲が良い、というのは掛け値なしに本当ですがね? 上級生を『お姉様』と呼んだりして、そりゃもう姉妹のように親し気に、仲睦まじくじゃれついている生徒さんたちの姿をここから毎朝拝見してますよ。はいはい」
「成程。で……昨日はどうでしょう? いつもとお変わりありませんでしたか?」
「き、昨日、ですか? あー、どうでしたかねえ?」
話題が問題の昨日のこととなると、再び武山さんはしどろもどろになってしまいました。
「昨日ですよね……。実はそのう……私、昨日はいろいろ考え事をしていたもので……」
良く覚えていない、そういうことのようで、それ以上情報を得ることはできなかったのです。
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