溜息は少女を殺す(3)



 何というか。


「あの……この紅茶、美味しいです」

「そ。良かったわ」


 流れでついついお茶をいただくことになってしまいました。シンプルなスコーンに、華やかな香り漂うアールグレイ。スコーンは手作りでしょうか。はむはむ。美味しい。


「どうせ暇なんだから、気を遣わなくってもいいわよ。美弥が迷惑かけてしまったのだし」

「い――いえいえ! 迷惑だなんてそんな! 逆にラッキースケベのご褒美といいますか!」

「?」

「な、何でも……ないです、はい」


 思わずトンデモナイことを口走ってしまい、ぶわっ、と脂汗が出てきました。


 それにしても……落ち着きません。


 というのも、さっきから正面のソファーに座る安里寿ありすさんに穴の開くほど見つめられているからです。そんなに変ですか、あたしの顔。それとも面白いですか、あたしの顔。


 とか思っていたら、いきなりにこりと微笑まれてしまいました。ときめきで死にそうです。


祥子しょうこちゃん……だったわよね?」

「は、はひ」

「あなた、謎を抱えているわね?」

「は、はひ? どどどどうしてそう思うんです?」

「わ・た・し。そういうのには人一倍鼻が利くのよ」


 そう言って、安里寿さんは、つん、と尖った自分の鼻をちょいちょいと指で指し示します。モデルばりのオトナな女性がやると、超キュートです。ホント、死んじゃいそう。


「伊達に所長は名乗ってないもの。所長たるもの、仕事を取ってきてナンボでしょ? あちこちに顔を売って、鼻を利かせて、見つけたらいきなり喰らいついちゃうの。がぶり、ってね」


 た――食べられたいぃいいい!


 艶めいたローズブロッサムのルージュを茶目っ気たっぷりにぺろりと舐める安里寿さんの仕草一つで、あたしの心臓がばくばく言い始めました。お昼寝タイム継続中の美弥さんには悪いですが、彼女の存在すら忘れかけているあたしがいます。今、ここに。


「ね、私に話してみない?」

「はい! い、いや、何と言いますか、そのう……」




 とは言うものの。




 今朝の出来事はあまりにショッキングすぎて、軽々しく口にするものじゃないと思いましたし、五十嵐さんの傷ついた心中を思えばこそ、部外者も部外者、外野も外野のあたしなんかが誰かに打ち明けて良いものではないと思ったのです。有海じゃないですが、それこそ不謹慎じゃないですか、パパラッチじゃないですか。最っ低です。


「……ダメ?」

「お! お話しします!」




 ……最低なんです、あたしって。




 かくかくしかじか……と今朝の出来事を洗いざらい話してしまうと、安里寿さんは悩まし気に眉根を寄せてから、ふむ、とうなずきました。そしてこう言います。


「成程ね。でもそれって、謎ってほどでもないかしら。すぐに解けてしまいそうだから」

「ええっ!? 今の話だけで、誰が『溜息の主』か分かっちゃったんですか!?」

「そうは言ってないわよ? でもね、ちょっと調べたらすぐに分かると思うわ」


 安里寿さんは、残念そうに肩をすぼめて溜息を吐きました。おかげであたしはますます気になってしまいます。


「あ、あの……もしお願いしたら、『溜息の主』を探し出してもらえたりしますか?」

「ね、祥子ちゃん? 探偵業は遊びではないのよ? タダで、って訳にはいかないわ」

「ですよね……」

「それにね?」


 大体予想がついていた返答を耳にしてあからさまにがっくりと肩を落としたあたしの様子を見て、苦笑交じりに安里寿さんは続けました。


「私の異名を教えてあげましょうか? 人呼んで『』っていうの。こうして探偵所の所長を務めているのだけれど、私の探偵業におけるお仕事は、この事務所の中で頭を使うところまで。実際に外に出て、足を使って地道に調べる方は、全て弟にお任せしてるのよ」

「弟さんがいらっしゃるんですか?」

「そ。ね」


 頷く安里寿さんの視線の先には、小綺麗にまとまった探偵事務所の中で一際異彩を放つ、混沌の様相を呈しているデスクがありました。サイズもまちまちの雑多な書類が山のように積まれ、コーヒーカップ一つ置くスペースすらありません。その上に重石のように置かれたクリスタルの灰皿には、まるで剣山のように煙草の吸殻が無数に突き立てられています。適度に捨てたらいいのに。よほど面倒臭がりなのでしょう。


 自分で言うのもなんですが、あたしはゴミをこまめに捨てないと駄目な綺麗好きなのです。


 ああ、もう。

 見ているだけでイライラしちゃう。


 うずうずと身体を揺らし始めたあたしの様子を目敏く見つけた安里寿さんは言いました。


「例えばこういうのはどうかしら?」

「と言いますと?」

「祥子ちゃん、私の事務所でアルバイトをしてみない? お掃除とかお片付けとか、そういう雑用を謎解きの対価としてやってもらうの。見たとおり、弟はてんで駄目なのよ。私もそう」


 てへ、とピンク色の舌を出し、安里寿さんはまだソファーですやすや眠っている美弥みやさんの方をちらりと見ます。


「本当はそれって居候している美弥のするお仕事なのだけれど、この子もまるでセンスがなくって……。ええ、やってはくれるのよ? でもね、やる前とやった後でちっとも差が分からないっていうのはお掃除したうちに入らないでしょ? 割と本気で困っていたところなの」

「だけ……でいいんですか? それだけで?」


 とは言ったものの、我が母校、聖カジミェシュ女子高等学校の規則ではアルバイトは禁止されています。けれど、誰がこんな人目につかない地味な探偵事務所で、地味子なあたしがアルバイトをしているなどと思うでしょうか。そもそも興味すら持たれないでしょう。


 それに、あたしが受け取る対価はアルバイト代ではなく隠された真実です。謎を解いてもらう代償として一定の奉仕をするだけです。ならばこれは、断じてアルバイトなどではないと言えるのではないでしょうか。そうです、そうに違いありません。


「あの、アルバイトは禁止されているので……ただのお節介焼きなお手伝いってことなら」

「あら! いいの!? 助かっちゃうわ!」


 言うなり安里寿さんは立ち上がり、くい、と左に突き出した腰に手を当てて眩いばかりの満面の笑みを浮かべると、右手の人差指であたしに狙いを定めました。


「じゃあ、交渉成立! 早速弟と交代するわね!」


 ウインクを一つ。

 いやん、セクシーすぎる!


 密かに身悶えしているあたしを残し、安里寿さんは、かつかつ、とヒールの音も高らかに事務所の奥の扉の中へと引っ込んでしまいました。はて、この奥に住んでいらっしゃるんでしょうか。このフロア、そんなに広くなさそうですけど……。


 しばらく手持ち無沙汰で冷め始めた紅茶をすすりつつ待っていると、安里寿さんの代わりに一人の男の人がしきりにぽりぽりと頭を掻きながら出てきました。凄く良く似ている――けれど、ちょっとだけ違う。安里寿さんにもあった泣き黒子が、逆の左側の位置にありました。


 その男の人は、胸ポケットから煙草を取り出して咥えると、あたしに向かって言います。


「さて。祥子ちゃん……だったよな? この俺が、『』、四十九院つるしいん白兎はくとだ」



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