溜息は少女を殺す(2)
「困ったなあ、もう……」
朝の騒動で、あたしの精神はすっかり消耗し切っていました。
校舎の三階にある我がクラスの窓から飛び降りてしまった五十嵐さんの容態は、少なくとも命には別状がない、ということが担任の狭山先生経由で分かったのでほっとしたのですけど、いまだに意識不明の身であることには変わらないそうで。
通学鞄の中には書置きがあったそうです。
『――あの人に溜息を吐かれてしまった。私なんて、もう生きていても価値がない』
そういう文面だったと風の噂で聞きました。
「ホント、困りました……」
はあ……と人知れず溜息を吐き、思わず周りに誰もいないことを確認してしまうあたし。
密かに想いを寄せている誰かが、自分の目の前で、自分に向けて溜息を吐いた――あたしの溜息一つで死にたいと思う人なんていないでしょうけれど、五十嵐さんにとってそれは凄くショックな出来事だったのでしょう。もう生きていたくない、死にたい、そう思えるほどに。
(……ねーねー、うれしょん? これってやっぱ、恋のオナヤミじゃね?)
(こ、こらっ! ふ、不謹慎ですよ、
(あーしは学校内の誰かが溜息の主だと思うんだけどー? どー思う?)
授業中、隣の席から有海にそう囁きかけられて、まずいなーと思いつつも、気が付いたらあたしもこの学校の誰が『溜息の主』なのか気になって気になってどうにも仕方がなくって。
「かといって、探偵ごっこをするつもりはないんですよねえ。やったことないんだし」
ぶつぶつ呟きながら帰り道を一人歩くあたしを見て、ぎょっ、とする人もいましたが、一度気になってしまうと頭から離れない。なので、絶賛お困り中な状況という訳なのです。
「……ん?」
見慣れているはずの風景に違和感が生じました。確かに気分がブルーで、いつもとは違う遠回りの帰り道を何となく選んでしまったあたしですが、それでもこのあたりの建物やお店には見覚えがあるはずなんです。ご近所さんなんですし。
「四十九院探偵事務所……? あんなのありましたっけ?」
そもそも『しじゅうくいん』で読み方が合っているのかも分かりません。その名がとある雑居ビルの三階あたりの窓に貼り付けられています。でも、それだけだったらあたしは気づきもしなかったでしょう。違和感の原因はそれではなかったのです。
「あの女の子……どこの学校の人でしょうか?」
上階へと続く狭い階段の一番下に、見慣れない制服を着た女子高生が座っていたのです。
チョコレート色をした短めのくしゃくしゃ髪がくるんくるんウェーブしています。釣り目気味の瞳は眠そうに閉じられていましたが、驚くほど睫毛が長い。体育座りで腕を組み、そこに半分顔を埋めているので口元は見えません。制服は襟まで黒一色で、太い白線が一本目立つセーラー服。このあたりでは見たことがないです。すらりと細いおみ足は黒のサイハイソックスに包まれていますが、スカート丈が短いので……ぴんくのおぱんつが丸見えになってしまっています。まあ、ばっちり見えるところまであたしが大至急移動した、ってのもありますけど。
それにしても、春の日差しに照らされて気持ちよさそうに寝ているようです。
しかし、このまま放っておけば、道行く人々に彼女のおぱんつが丸見えです。まずいです。余計なこととは知りつつも、急いで道を渡って彼女の前まで近づくあたし。
「あの……もしもし?」
「?」
とろん、と眠そうな目が開き、焦点も定まらないままあたしを見ました。ぼんやりしたままの彼女は口元を袖で拭うフリをしてから、伸びをするように首をもたげてあたしに無言で訴えかけてきます。
その首には赤くて太いパンクテイストの革のチョーカー。
どきり、としました。
「あ、あの、ですね。そこで居眠りしてると、スカートの中が丸見えになっちゃってるので」
一瞬きょとんとした顔付きをしましたがじきに気付いたようで、へにゃん、と口をW字に緩めて笑ったようです。
「どうりで。寒いと思った」
そうぽつりぽつりと呟いたかと思うと、彼女は階段の上にごろりと身を委ね、本格的な眠りに移行しようとするではありませんか。これにはあたしも慌てました。
「だ、駄目駄目駄目! そこ! 汚いですよ! ちゃんとベッドに行って寝ないと!」
「うー。面倒。ここ。暖かい」
「駄目ですってば! 連れてってあげますから! ほら、立ってください!」
こしこし、と袖で眠い目を擦りつつ、ほにゃあ、と欠伸をしながら無理矢理あたしに引っ張り上げられる彼女は猫みたいです。強引に肩をねじ入れると陽だまりのような匂いがします。
「ここに住んでるんですか? 何階です?」
「三階」
「え? あの、『しじゅうくいん』探偵事務所ってところですか?」
「つるしいん。そう読むの」
「じゃあ、あなたは四十九院さん?」
「違う。みゃあは。あの人のペットだから」
……ななな何ですって!?
駄目だこの子、きっと悪い男に騙されているに違いないです。このチョーカー=首輪が動かぬ証拠じゃないですか。あとから思えば不思議で仕方ないのですけれど、その時のあたしは一気に頭に血が昇っていて、事務所のドアを蹴破りながら、探偵とは名ばかりのとんだド変態野郎に、この子を自由にすることを誓わせよう!などと息巻いていたのです。
ごんごん!
「どうぞ」
……あれ?
女の人の声が聴こえましたね?
「し、失礼します!」
「いらっしゃい」
は――と思わず息が止まりました。
『四十九院探偵事務所』のマホガニーの扉の向こうには、こじんまりとしていながらも小綺麗なスペースが広がっていて、その一番窓側にある一番偉い人が座るようなデスクの向こう側にゆったりと腰かけていたのは、とても言葉では言い表せないほど綺麗な女の人だったのです。
ふんわりとパーマのかかった肩までの栗色の髪は、窓から入り込んだ日差しできらきらと輝いています。にこり、と微笑む優しそうな目元には泣き黒子が二つ。ダークグレーのパンツスーツの中は白いハイネックで、派手過ぎず、さりとて地味でもない。ほっそりとして背は高そうです。なのに、それを気にせず足元は高いエナメルのヒール。逆に恰好良いです。
「あら?
「し、下でたまたま……」
ああ、うう、としどろもどろになりながらあたしは答えを
「またお昼寝してたんでしょう? もう。通りがかりの人が心配するからやめなさい」
陽の当たるソファーによろよろ移動する美弥さんを呆れ顔で見つめ、彼女は微笑みました。
「はじめまして。私、この探偵事務所の所長を務める
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