breed my blood

白日朝日

第1話『中間服期の終わり』

 6月1日は夏を告げる合図。

 カーテンの隙間から差しこむあたたかな陽射しは今日もわたしに元気をくれる!


 わたしはパジャマ姿のままベッドから起き上がると、生地の向こうにうっすら夏の陽気を透かしたカーテンを開く。梅雨入り間近だというのに、わたしの頭上を半球状にひろがっている空の青は深く、湿気というものすら感じさせない。お洗濯にも最適だ、やったねママ!


「ん〜、気持ちいい!」

 部屋の端まで照らす太陽に感謝しながら、わたしの影の伸びる先、壁にかかった夏服を手に取る。白地に明るめの青いラインをあしらったシンプルだけど夏らしいセーラーカラーのブラウス。わたしの視点はついついその袖へと向かう。今日みたいな陽射しの強い日なら、昨日までの中間服よりきっと涼しく感じられるはず。


 わたしは着替えようと、パジャマのボタンをゆっくり外して雑に脱ぎ落とす。


 あらわになるのはわたしの慎ましキュートな胸を包む綿ひゃくぱーのやわらかな布地、友達はわたしのこれを胸当てと呼んだけれど、スポーツブラと呼ぶのが一般的だ。


 そうして、わたしの目は左手首に自然と向いてしまう。


 手首から肘の近くまで巻かれた真っ白な包帯、夏の積雲みたいな真っ白な包帯。夏らしいファッションと言えなくもないそれにはわたしの乙女な秘密がひとつ包まれている。


 ブラが透けないようにキャミソールを一枚着こむと、その上から制服のブラウスに袖を通す。スポブラでブラ透けを気にするなんてとか思ったそこのキミ! 高校一年生ともなってくるとスポブラが透けるほうが恥ずかしいんだよ、涙でブラが滲んでいたならわかってください……。

 サイズを確かめるときと友達のしろに見せたとき以来、久しぶりに着たこの布地。白くておしゃれ、健康的、夏の陽気を跳ね返す真っ白は正義、黒や紺色みたいに熱を帯びないし、徒歩登校生のわたしはばっちり大感謝です。


 ああ、それでも、心もとなく感じるのはなんでだろう。こんなにわたしを守ってくれることうけ合いの真っ白な半袖ブラウスなのに、お肌のことを気にしているのかな、いやいやわたしはいつでも日焼け止めクリーム常備でお肌セキュリティは万全なのだ。ああ、うん、本当はわかっている。わたしは左手首にそっと手をやる。


 切り傷もないはずの手首からそっと漏れ出た赤い血が、夏空みたいな白の包帯を染めた。

 白の包帯が守るわたしの乙女な秘密。


 わたしは不安になると手首から血が漏れだす体質を持っている。



 学校に来るのはいつも楽しい。

「おはよう、ぴりりん!」

「やほー! ぱーぷる、今日も早いね」

「電車通学はねえ、時間の調節が利かんからいかん」

 廊下でクラスメイトに軽く挨拶。ぴりりんというのはわたしのあだ名、とはいえ特別な由来はない。


 青猫あおねこぴりりというのがわたしの本名で、その簡単なもじりだ。どうでもいいけど、ぴりりんという呼び名はクラスメイトの中でも村前むらさきさんしか使わない。

 専用の呼び名というのはなんだか特別で、なんだか嬉しいことだ。そんなことを考えながらわたしは教室の扉をひらく。


「あー、ぴりっちぃーーーーー!」

 窓際からわたしの姿を認めると長音の長さぶんだけ走ってきて、女の子が抱きついてくる。

 大型のアホ犬みたいな女の子。タッパもおっぱもわたしより大きい。


 彼女の名前は犬山いぬやましろ。名前も雰囲気も犬っぽいと評判だ。大事なことなので二回言わせてもらいますが、おっぱいがわたしよりデカい。ゆえに、抱きつかれるとふにふにするのでそこそこムカつく。その乳もいで分けろ。


「おはよ、しろ。今日も早いね」


「ぴりっちのために急いで走った!」

 会話の微妙なパスミスを食らい、わたしは隣で頭へとくんかくんかを繰り返す相手の頭を仕方なくなでる。


「なんか匂う?」


 頭をなでられて心地よさそうに目を細めるしろへと問いかける。こういうことを続けているとなんだか本当にブリーダーになったような気持ちになってくる。


「ぴりっちのホルモン!」

 内臓でも吐き出してんのか。わたしはナマコじゃないんだぞ。

「フェロモンね」

「そうでしたか!」

「はいはい」


 さて、日本語がいまいち通じない相方はさておき、特別の話についてだ。


 しろにとってわたしは特別らしく、ぴりっちという呼び名もまた専用のものとなっている。わたしもこの大型犬みたいな女の子が大好きで、こういう風に抱きつかれるとどこかの動物大好きな雀鬼みたいによーしよしよししたくなる。いわば特別だ。わたしにとっても。


 わたしは件の体質のため、無理矢理にでも不安を押さえつける必要がある。つらくても悲しくてもそれを頭からすぐに消さないといけない。つらくてもよろこび、悲しくても笑う。そうやって心はいつも抑圧されていて、見た目をハイテンションで取りつくろい、落ちつく瞬間なんてそうあるものじゃない。


 ただ、そんな日常でもしろといる時間は心が落ちつく。こうやって、自分の体質のことを客観的に語れるくらいには落ち着いている。


「ねえ、ぴりっち〜」

「どした、しろ?」

 しろを引きずるように席までたどりついたわたしは、椅子に座って必要な荷物を机に押しこむ。

「昨日はなにしてた〜?」


「その話、昨日もしたじゃない。今日はもういいでしょ」


「昨日は昨日だけど昨日とは違う昨日なの〜」

 しろをからかうと大抵面白い日本語が出てくる。


「どう違うの?」

「今日の昨日〜!」


「昨日同じ質問した時の昨日は?」

「今日の昨日……」


 しゅんとなるしろ。ちょっとかわいそうになったので助け舟を出すことにする。

「つまり、あなたは5月31日のわたしがなにをしていたか聞きたいのだな?」

「そうである!」


「呼吸と睡眠」

「おこる」


「ごめん」

 からかうのはからかっている間のしろがかわいいからだけど、怒らせるのは本意じゃない。


 しろはとても天真爛漫だ。さっき喩えたようによくなつく大型犬みたいなイメージで、触れている側があったかくなるような女の子。

 わたしもわたしでそこそこ愛想がいいからクラスでもあまり敵をつくっていないと思うけれど、しろに関してはその図体の大柄さにして、スタイルとかやら顔のパーツが整っているから男女問わずとても人気が高い。

 しろ自身、男女でふるまい方をほとんど変えないこともひとに嫌われない一因だろう。


 一方のわたしはかなりいびつな人間だ。

 心で心をいつわることに慣れてしまっていて、「本当のわたし」として人前でふるまうことはほとんどない。


 仮初と本物、自分としろを頭のなかで比較するたびいつも劣等感を覚えてしまう。

 本物の天真爛漫な彼女を前にしてすら、わたしは秘密を隠しているのだから始末に負えない。


「ぴりっち、どした?」

 表情が少し翳ったのを察知したのか、しろがわたしに質問を投げかける。些細な言葉の機微には鈍感なくせして、こういうところはよく気づく。犬だ。


「大丈夫だよ。考えごと」

 今、少し手首から血が滲むのを感じた。背筋を冷や汗が通るような不快感をひとまず理性で押し殺し、


「ちょっとお花摘んでくるね」

 そう言って離席してトイレで包帯を変えることにした。


「何色?」

「赤かな」

 しろの的を外した質問に、的を外した返答をする。

 やっぱりしろは日本語がへたくそで、わたしはそんなしろを特別だと思っていた。

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