4-7 召霊術師


「私のお願い、聞いてもらっていいですか」

 響子は雪愛の真剣な眼差しに向き合った。

「どうした」

「私――私に舞咲おひさま学園に行かせて下さい! お願いします!」

 雪愛は頭を腰下まで名一杯下げた。

 強く握られた両の拳は、微かに震えている。

「…………雪愛。顔を上げろ」

「嫌です! 響子隊長が許可してくれるまで上げません!」

「はぁ……いいから顔を、あ、げ、ろッ‼」

 無理やり雪愛の顔を上げるように両手で頭を持ち上げようとする。

「い、いっ……や……で、す」

 言う事を聞かないので、雪愛の頬を無理やり引っ張る。その顔は真っ赤に染まっていた。

「こ、このっバカッ! ……い、いか、らっ!」

「い……いや、で、っす!」

 響子はそこで気付く。雪愛の瞳に涙が今にも溢れ出しそうな事に。

 何度目かの溜息をついた響子は、雪愛から手を放した。

 相変わらず雪愛は頭を下げ続けている。

「ったくこの頑固者が……何故だ? お前にとって火焔は……」

「怖いですよ! 怖い……怖くて……出来るなら、もう二度と会いたくない……うっ、っ……ぅ」

 ポツリ。ポツリと大粒の涙が床を打つ。

 鼻を啜る音。苦しみの嗚咽が部屋に木霊する。

「でも。でも……でも! 大好きな人が居なくなるのは絶対にイヤだからっ‼」

「雪愛……お前……」

「お願いします響子隊長っ‼」

 響子は赤渕メガネに触れ、雪愛の頭にそっと手をのせた。

「火焔は間違いなく最初からお前を狙って日本に来ている。死ぬかもしれないんだぞ」

「分かってます‼」

「神司もお前も」

「分かってます‼」

「二度とここに、帰って来れないかもしれないんだぞ」

「…………それでも、それでも私はあの人を助けたいんですっ‼」

 雪愛は頭を上げてくしゃくしゃの顔で響子を見た。

「えっ……」

 響子はそんな雪愛を強く抱きしめる。

「必ず、何としてでも生きろ。お前ら二人だけでも、逃げてでもいいから生きてくれ……お願いっ……」

 今まで一緒にいた五年間の中でも、始めて聞く響子の声は、今にも消え入りそうなほどか弱かった。

「お前たちは……お前たちは月歌同様、私の大切な、大切な家族なんだ……だから頼むから生きて欲しい……もう、失いたくないんだ……」

 震える響子の細い腰にをそっと手を回し抱きしめた。

「……はい……」


 ***


 月歌は皇邸にいる他の使用人達を一箇所に集める為、館内を一通り見て回った。それでも無事だったのは、宮田を含めて十五人中たったの六人だけだった。

 使用人達があちこちに手負いの怪我を負っているのは、一目で分かるほどに制服が破け、血塗られていた。

 現在、月歌に蹴飛ばされた謎の女は、行方を晦ませていた。

 だが月歌が資料で見た園長先生であるはなえだという人物の顔写真と、謎の女の顔はほぼ一致していた。

 よって花枝は、魔術師・童男殺しチルドレンマーダーの可能性が濃厚だろう。

 月歌は一先ず、二階の大廊下の最奥右手にある客室に目を付けた。そこで使用人達から状況を聞き出す事する。

 この客室は、普段使用人達が休憩所代わりに使っているらしい。長い間使用していない暖炉。壁にある絵画には、白い花瓶に黄色の花が描かれている。

 明かりは、非常用の蠟燭があったので魔術の火によって、三箇所ほど点けた。

 とりあえず気を失った宮田を、茶褐色の大きめのソファーで寝かせる。

 ようやく一息ついた所で、皇邸使用人の中でも最も若い二十代後半の女――山田が口早にことを告げた。

「突然、外の結界が消えた途端、館内の明かりも消えてしまって結界も作動しなくなったんです。その時には田中さんと響希様もおらず、今日に限って恵子様も居ませんでしたから……」

 月歌も大方電話で聞いた情報と一致するが、何処か別の所で引っ掛かりを覚えていた。

「何故、今になってそんな……」

「あ、月歌様。大変、頭に埃が付いてます。少し失礼しますね」

「えっ」

 山田は立ち上がり、月歌の頭に腕を伸ばし髪を軽く払った。

「あ、ありがとうございます。山田さん」

 その時、応接室の扉が軋み音を立てゆっくりと開いた。

 一瞬で皆が身構える。

「誰っ⁉」

 月歌が叫ぶ。

「……なるほどなるほど……」

 細身の体系をした女の影が一つ。

「……隊長……なんでここに?」

『当主⁉』

 驚くように使用人達が立ち上がり、一礼する。

 赤渕メガネをクイっと持ち上げる響子の姿がそこにあった。

「当主が自分の家を守るのは当然だろ? まあ守るも何も思いっきり侵入されてしまって言えたことじゃないがな」

 響子はいつにもなく真剣な眼差しで窓の方まで歩き、星明りを見つめる。

「じゃあもしかして雪愛さんが……」

「ああ」

 月歌は不安の表情で下を向いた。

「それより月歌……宮田さんは大丈夫なんだな」

「はい。何とか、ギリギリ寸前でしたが命に別条はありません。ですが他の使用人さん達は……」

「分かってる……ここに来る前にザっと見てきてから」

「はい。あ、隊長。それよりも宮田さんを襲っていた相手こそ――あの舞咲おひさま学園の園長を務めている花枝紗百合本人で間違いありません。一度だけ接触し、今は見失いました」

「……そうか。お前達と他の使用人達も皆その女にやられていたのか?」

 残りの使用人達は一度だけコクリと頷いた。

「隊長、ですが敵は一人ではありません。確実に陰陽術師がいます。じゃないと」

「ああ。だが結界は仕方ない。元より魔術の領域じゃないから、いつこういう事態になってもおかしくはない。最悪……術斎さえ守れれば」

 そこで若い女使用人、山田が軽く手を上げた。

「どうした?」

「あの……その……私聞いてしまったですが、その花枝って女が皇響子の術斎はどこだって言ってました。いくら術斎とはいえ、それ程までに大事なモノがあるのでしょうか?」

 山田の無礼に驚いた他の先輩使用人が慌てて、頭を下げた。

「当主。誠に申し訳ございません。若輩者山田のご無礼は後程きっちりと言いつけておきますので。ほら山田も頭を下げなさい!」

 響子は軽く微笑み、手を抑えるように差し出した。

「いや、別にいいよ……だって、お前ら――」

 言葉を止めた響子は、窓際から使用人達へ振り返り。

偽者フェイクだろ――」

「えっ」

 月歌が咄嗟に響子を見た。

 響子の手にはが握られていた。

「月歌! 飛べ!」

 瞬間――

 響子の鋭い声の後に、月歌は瞬間的に『身体強化』魔術を高速で両脚に循環させ、跳躍する。同時に山田も同じように飛んでいた。

 響子が持つ白い薔薇は、響子専用に改良チューニングが施された魔道具だ。

 それを響子は【薔薇杖】と呼ぶ。

 その一秒後、響子の握っていた白い薔薇――薔薇杖が鞭のように伸び、しなり、そのまま雑に横薙ぎに振るった。

 振るわれた薔薇杖は、ソファーで寝転ぶ宮田と山田を抜いた四人の使用人を全て壁に叩きつけた。

 壁が抉れ、大廊下が剝き出しになる。

 月歌と山田は同時に床に着地した。

「隊長どういう」

「あれを見ろ!」

 響子に言われて吹き飛ばされた四人の使用人達を見て、月歌は目を大きく見開いた。

 使用人達の姿が溶けていくのだ。

 薄白く細い煙を天に燻らせるようにして、四人の使用人達は消えて逝く。

「降霊術⁉」

「月歌今すぐ宮田さんを連れて逃げろ」

「でも山田さんは……」

 月歌は山田をちらりと見た。

「あ、あの……すいません……私はどうすれば……」

 山田は怯えるように両手で震える肩を抑えている。かなり動揺しているようだった。

「おいおい、ここまでしてまだ白を切るつもりなのか?」

 響子の少し弾んだ声に、山田は意味が分からないと首を横に振る。

「と、当主……私は……山田は」

「黙れ。さっさと化けの皮を剥がせ」

「そ、そんな……」

 山田の顔はどんどん青ざめていく。月歌に助けを求めるように何度かチラリと見た。

「隊長! 山田さんは本物ですよ」

「つ、月歌様……ありがとうございます。そうです。当主! 気を確かに。私は正真正銘山田です。使用人としてまだ一年目の若輩者ですが、これでも皇邸で」

「山田はもう三年だ」

「え」

 月歌は違う意味の驚きで山田を見た。

 確かに山田は月歌が皇邸を去った後に入って来た使用人なので、月歌は事情をあまり知らなかった。というよりこの前の誕生日パーティーで初めて出会った時に、軽くお話をしたくらいの関係性だった。

 山田はどうやら魔術家系の四女で、典型的な落ちこぼれだった。二十代後半まで職を転々とした結果、引きこもりのニートになっていた。

 そんな山田を心配した親が、皇家に泣きついて使用人として務めさせて貰うことになったのだった。

 正直言って山田は、使用人としてあまり向いていなかった。空気は読めないし、凡ミスも多い。だがそれでも一生懸命な彼女の姿は、響子の目にもしっかりと映っていたので、何とか先輩使用人のご指導付きで契約を繋ぎとめていたのだ。

「フフッ……」

 怯えていた山田? は俯き、三日月型の口元を手で覆い隠すも、嘲笑は漏れている。

「そこまでは調べてないわ……というか三年でこの地位? もう少し頑張りなさいよ山田……まぁ、もうそれも叶わないのだけれどね」

「風よ――」

 響子は属性魔術の簡易詠唱を、薔薇杖の互換性のお陰で一節シングルまで短縮出来る。

 薔薇杖の先端、白薔薇の中心に風の奔流が生まれ、即座に――解放。

 風の渦は、至近距離で山田? に直撃する。

 寸前、何故か月歌の足元がフワッと宙を浮いた。

「あっ⁉」

 そして響子が放った風の渦から山田? を庇うように、月歌の身体が遮った。

「イッ……」

 月歌は壁に弾かれる。

「月歌っ⁉」

 頭部を強く打ち付けたせいか血が流れていた。

「あら、あら――」

 山田? は咄嗟に顔を見上げた。

 声が変わっていた。まるで聖母のような、優し気のある柔和な声だった。

 そして、顔が――ぐにゃりと歪み、続けて全身が歪曲する。

「仲間割れは見てられないわ……」

「ガンドか……お前、大元はしょうれい術師なのか」

 やがて歪曲した山田の顔は、大人びた美人に変形し、栗色の髪を編み込むように一つに束ね、豊満な胸元辺りにまで垂らしていた。

 召霊術師とは、旧式の言い方をすれば黒魔術を扱う者。

 二〇十五年以降、降霊術、生霊術、召喚魔術、ガンド魔術など死霊、生霊、精霊などを主に扱う術師を纏めて召霊術師と呼ぶようになった。

「お久しぶりです。あの夜以来ですね……フフ」

「花枝……」

 花枝は手を覆い微笑する。

「お前が童男殺しチルドレンマーダーの正体だな」

「もう、誰なのかしら、そんな怖い名前付けたの」

「一度だけ確認する。お前が四月に一件と六月に二件起きた白骨遺体事件の主犯で合ってるな?」

「……何のことかしら?」

「とぼけるな。もう……全部分かってる。お前が、お前が翔太君を……いや、もっと前だ。最初から皇のを狙っていたんだろ?」

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