1-7 浄化の炎
六月九日 午前零時
大方の人が寝静まった真夜中。
数時間前に降った雨の影響か、薄っすらと霧が立ち込める。
「ねぇあなた……本当にここで合ってるの?」
夜闇の陰に隠れる女魔術師は、不安そうな様子で、隣にいる男魔術師へと見やる。
「あぁ……そのはずだ。本部から指示があったのはこの舞咲おひさま学園で間違いない」
男魔術師は額に浮き出る汗を腕で拭いつつ、目標の施設から目を離さない。
「でも……こんな児童養護施設で本当に?」
「あぁ。児童養護施設だからこそのオグナゴロシ―――『
二人の魔術師がその場で張り込んで約二時間。
今の所、特に異常な形跡は感じられない。
「ねぇあなた……なんか先から暑くない?」
「……あぁ。凄い湿気だからね。あと一時間何も無かったら本部に通達して撤退するから我慢するんだ」
「違うの……湿気とは違う、火のような、燃えるような暑さのこと」
『
闇の影から囁くような女の声。
魔術機関に所属する魔術師は国同士での合同任務もあるので、英語は必修で覚えなくてはいけない。そして闇の影から聴こえてくる女の英語は、母国語のような滑らかな発音であってそれが日本人ではないと二人はそこで理解した。
「誰だっ⁉」
咄嗟に聞こえたのは声だけで、その主の居場所が分からず、男魔術師は天に向かって鋭い声を投げた。
数秒経っても返事は無い。
二人の魔術師は、近辺に意識を集中させ敵を感知しようとするも、術師特有の力の気配を全く感じられない。
『フッ、フフフ……』
漏れ出るよう女の薄ら笑い。
『フフフ……フフフ……』
楽しくて仕方がない、可笑しくて仕方がない、愉快で仕方ない。そう思わせるような女の笑いに、二人の魔術師は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
敵の見えない不安が、笑い声が悪寒となって二人の思考を恐怖で蝕み始める。それとは反対に辺りの気温は、焼けるようにじわじわと上昇していくのを感じる。
二人は居場所が敵に知られてしまっている可能性がある以上、その場に立ち止まるのは危ういと感じ、影に隠れるのを辞め、周囲を見渡せる施設前の通路に出た。
真夜中が幸いしてか、女声の主のせいか、見渡す限り人は居ない。
「誰だっ! さっさと姿を現せ!」
男魔術師が叫んだ瞬間。
「グハッ!」
男魔術師の隣にいたはずの、女魔術師がその場で倒れ伏せていた。
要約、感知する膨大で濃縮な
だが、魔術師が術を発動する時に練り上げる
「リリーナ―――っ⁉」
しかし、今の男魔術師はそんな事を気にしている余裕は無い。
慌ててリリーナという名の女魔術師へ駆け寄ろうとして、異臭に気付いた。
臓物が焦げるような、血と泥が混ざり合い、腐敗させたような嫌な匂い。
男魔術師は直ぐにその匂いの元を理解した。リリーナの心臓部がぽっかりと穴が開いていることに。
地面にじわじわと広がる血だまり。
リリーナの指が微かに動いた。
「リリーナ―――っ、しっかりしろ⁉」
「…………あな……た。……げて。リア……ナ……まも」
『――――浄化せよ』
再度、闇の影から女の声が聞こえた刹那、女魔術師・リリーナの心臓から青白い炎が着火したかのように沸き上がり、めらめらと蝕むように火は蠢きながら、瞬く間に全身を燃やし尽くした。
「リ―――リリーナ――――ッツ‼」
男魔術師は恐怖で我を失い、燃える青い炎に触れた自分の右手が瞬時に灰へと変わったのを見て、思考が停止する。
サラサラとした灰色の粉は宙を舞う。
有り得ない。非現実的現象がたった今目の前で、男魔術師自身に起きている。魔術師にとって非現実的と表すのは、三流魔術師以下の戯言だと。自分でもそう思い、生きてきた。魔術師にとって、この術師世界にとって非現実的など日常茶飯事だと。
だがそれでも男魔術師は、この現象を非現実的と受け止めるしかなかった。
二〇三八年現在、火葬場で遺体を火葬する際の温度は、その人の身体状況、年齢、宗教状況、施設先の火葬炉にもよってまちまちだが、基本的に七〇〇~一〇〇〇度。最高値でも一五〇〇度言ったところだろうか。それを一時間近く燃やし続け、ようやく全身は灰へと還る。遺骨もある程度は形が残るだろう。
なのに、いま、無になるのに何秒かかった……? いや秒すらかかったか……?
「あ……あぁ、なん、だ、こ……れ?」
コツ、コツ、コツとヒールがアスファルトを打ち鳴らすような音。
普段なら特に意識しない聞きなれた音。
男魔術師の妻である女魔術師・リリーナも、休日はよくその音を打ち鳴らす事を知っている。
そのはずなのに今の男魔術師にとってその音は、まるで死神が近づいてくるような幻聴に聴こえてしまう。
「あ……」
絶望する男魔術師の前に、ようやく女の姿が現れた。
「いやいや、あんた達には特段興味もないし、何の罪もないんだが……悪いな。これも仕事でね」
黒を主体とし、所々に赤の精緻な刺繡が施されたドレス。
ワインレッド色のピンヒール。
流れるように腰まで伸びた、燃えるように赤い髪。
本来、美しいはずの顔が、野犬のような獰猛さを兼ね備えた、鋭い目付きで男魔術師を見下ろす。
闇夜に照らされる宝石のような赤い瞳。
女の周囲には、まるで幻想を想起してしまうような陽炎が揺らいでいた。
「お……前が、なん、で、こんなところに、確か、」
「おっと、それ以上は喋るなよ男」
ボワッと青白い炎が女の指先に灯る。
女はシッーとその指をゆっくりと自分の口元へと近づける。
肉付きのよい潤った綺麗な形の唇に、一体どれほどの数の男が惑わされてきたのだろうか。
そんな事を考える余裕など男魔術師には当然無く。
「答えろ――――今『氷雪』は何処にいる?」
「……し、しっ、知るか! もし知っていたとしてお前に、アァッヅ‼」
指に灯った青白い炎が男魔術師の右眼に突き刺さる。
「クソッ、クソッ‼」
喉を振り絞るように男魔術師は嘆き、記憶が混濁する。
数年前まで、アメリカ合衆国テキサス州南東部ヒューストンにある自宅で妻・リリーナと愛娘・リアーナと三人で暮らしていた幸せな日々。
妻はアメリカ人で、自分は日本人。国際結婚を果たし、妻の母国で暮らしながら、魔術師として魔術機関ニューヨーク支部に籍をおいていた。
だが、男魔術師と妻には将来をかけてでも達成したい目的があった。
―――とある術に至ること。
それは多くの術師達の最高目的の術である【
最もそのとある術は、原初的であって、神秘的であるとも言う。
そのとある術を行使する者は、世界に存在しない。もしくは絶滅したと言われている。
だが、男魔術師は憧れた。
妻はそれに賛同し、とある術の手掛かりになりそうな日本へやってきた。
理由は信用性の薄い資料にそのとある術を行使する一族が生き残っているとか。
迷信だろうと、一ミリでも可能性があるならすがりつく。
そう思って、魔術機関、東京支部に転勤までしてやって来た。
魔術師として、本来の術師として、基本的な欲求。
だが周りは忌避する。そのとある術が使えたとして一体何に使うんだ。
魔術で、既存の術で充分事足りるではないかと。
現代の術師世界では、使用者が確認、認知されない術を追い求める考えは、揶揄されやすい。時間の無駄、研究資金の無駄遣い。
いつまでも子供みたいな夢など捨てて、現実を見て、魔術機関に貢献しろ。
権力闘争、既存術の発展、平穏な暮らしの為の術師間和平条約。
それでも、それでも男魔術師は欲した。
今日だっていつもの詮索任務だった。
帰ったらすぐさまとある術の研究に没頭しようと思っていた。
反抗期がまだ抜け切らない、来年で高校を卒業してしまう高校三年生の娘だっている。
娘は魔術をそこまで真剣に覚えようとしない。
まだ娘の結婚相手だって、彼氏だって見ていない。
妻と、娘との約束も、まだ途中だというのに。
――――なのに、なのにっ―――。
「俺は、俺はこんな所で、こんな所で」
突き刺さった指が、より深く、眼球を抉りだすようにグリグリと捩じり込まれる。
「アァアアアアアアアアッツツツヅ‼」
男魔術師の目から鼻から、白い煙が漏れ出る。
「おい男。あたしをこれ以上イラつかせるな。もう一度だけ聞く。今度はよく考えて答えろ――――今『氷雪』はどこにいる?」
「……誰がお前……如きに、お前如きに言うものか! なあ……『※※』の魔女‼」
「そうか。残念だ……」
パチンッと指を鳴らす音は、快いほど夜闇の中で静かに、響く。
ゆらゆらと揺れるように蠢く青白い炎は、二人の魔術師達の血痕も、灰塵も、無念も、怨念も、そして未来をも、跡形も無く浄化するかのよう。
真夜中に時々現れると言われる、火玉。
霊とも鬼火とも怪火とも言われる怪奇現象。
もしくは世代を超えて語り継がれている民話・伝説。
魔術の世界では、それを神秘・
だがこの現実で起きている現象は、その全てに当てはまるコトであって、そうでないコト。
意趣遺恨の魂は、そよ風に吹かれ、霧散すように夜空へと消えて……………………逝った――――――――。
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