一夜のキリトリセン ~夜空に汽笛の響く時
ゆうすけ
第1話 廃駅の草刈り
八月の終わり。
暦の上では秋とは言うが、まだまだ陽射しはじりじりと照り付ける。
日陰に入ると少しだけ秋のにおいが感じられると思うのは、俺の希望的観測かもしれない。
俺は右手に持った鎌で草むした線路の雑草を刈っていた。
見た感じ手強そうな線路わきの背の高い草は、草刈り機であっという間に刈り取れる。それよりも、バラストに入り込んだ背の低い草の方がやっかいだ。鎌で刈り取れる高さもない草は、軍手で引っこ抜く。概してそういう背の低い草の方が根が広がっていて、とにかく抜きにくい。中腰での作業は腰に来る。
麦わら帽を脱いで汗をふきふき腰を伸ばした俺の眼前には、赤さびたレールが二本、まっすぐ続いている。右手には切り立った山。左手は深い谷。崖にへばりつくように敷かれたこの線路に、もう列車は走っていない。十三年前に廃止されたローカル線の線路だった。レールは錆が浮き、枕木はひび割れて、バラストは薄くなってきている。ただ十三年の歳月の割には、その劣化は少ない。俺の実家の集落では年に一回、八月のお盆の時期に廃線の草を刈って、バラストを足していた。
「年々草刈りに来る人たちの数が少なくなってきているのよね」
昨夜、母はお茶を飲みながら、ぼそりとつぶやいていた。
今年はカレンダーと婚約者の仕事の都合で帰省一週間遅くなり、恒例の草刈りに俺は参加できなかった。今日、ここに誰も来ていないのは分かっていた。それでも俺は母親に料理を習っている婚約者の亜希子を実家に残して、一人で鎌を持って廃駅に草刈りに来たのだった。
俺が一人で来ても、できることは限られている。しかし、やっぱりこの季節に廃駅の草を刈り取らないと……、俺の夏は、終わらない。
線路際の苔むした信号機の台座に腰掛けて、俺は首にかけたタオルで汗をぬぐった。今日の空は塗りつぶしたような青さだ。谷あいの静かな廃駅に響く蝉の鳴き声には、少しだけ遠くのバスのエンジン音が混ざっていた。
◇
「お兄ちゃん」
やっと引いてきた汗をうちわで吹き飛ばしながらスポーツドリンクで喉を潤していると、背後から聞き慣れた声がする。振り返ると母校のセーラー服を着たみずえが、ミンミンゼミの声を全身に浴びて立っていた。ああ、懐かしいという感想が先に立つ。十三年前は毎日見ていたセーラー服を、今はみずえが着ていることにある種の感慨を覚えてしまう。
「もう草刈りは先週終わってるよ。わざわざ一人で刈りに来たの?」
「ああ、分かってる。けど、やり残しが多いな、と思ってさ」
「そりゃそうだよ。今も駅の草刈りしている家って、少なくなってきたからね。もう数軒しかないんじゃないかな。列車の乗客もだいぶ少なくなってるんだって」
「そうか。もう十三年も経つからな。みーは学校帰りか?」
「そ。今日は補習だった」
そういうとみずえは俺の横に腰を下ろした。
「お前ももう高3か。早いよな。進学、どうするんだ?」
「県立大学行けたらなあ、と思ってる」
「そうか。まあ、普通は国立大学行くとか言わないよな」
「……まだ気にしてるの? あれ、お兄ちゃんのせいじゃないと思うよ?」
「気にしてるってわけじゃ、ないぞ」
「お兄ちゃん、もうそろそろ決着付けた方がいいんじゃない?」
こうなるとみずえはうるさくてしつこい。俺たちは歳の離れた兄妹だった。俺が十八歳の時、みずえは五歳。そんな子供だ子供だと思っていたみずえも、もう十八だ。小うるさいところは母に似てきたなと思ってしまう。俺は苦笑しながら鎌を持って立ち上がった。
「みー、分かってるさ。俺の草刈りは、多分今年が、最後だ」
みずえは少し目を見開いて俺をみつめた。
「まじ?」
そしてゆっくりと微笑んで言った。
「それがいいと思うよ。亜希子さんもいるもんね」
俺はにこやかな顔で笑うみずえに曖昧に頷いて、再びレールの間の伸びた草を刈り、はびこる雑草を引っこ抜き始めた。みずえは 「じゃ、私帰るね、ここにいると蚊に刺されちゃう」 と言いながら線路の上を歩いて、かつてのプラットホームの方へ戻って行こうとした。そして十メートルほど先でこちらに向き直って手を口にあてて叫ぶ。
「お兄ちゃーん、晩ごはんまでに帰ってきてよー。今晩なんでしょ? 一夜のキリトリセン。亜希子さんも一緒に連れてってあげなよー!」
「亜希子は、関係ない」
「もうっ。お兄ちゃんのそういうとこ、ダメだよ! 絶対連れてってあげるんだよー!」
俺は麦わら帽を脱いでみずえに向かって振る。それを了解の意味に受け取ったみずえは、再びにこりと笑い、じゃあねー、と女子高校生らしい軽やかな余韻を残して、風のように去って行った。
ふう、しょうがねーな、と俺はため息を一つついて麦わら帽をかぶりなおす。
でもみずえに何を言われても、亜希子を連れて行く気はなかった。
これは俺の問題だ。
俺が付けなきゃいけないケジメなんだよ。
今年もまた、巡ってくる。
「一夜のキリトリセン」の日が。
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