ローマの夜

 部屋に帰るとコトリ部長は、


「シャンパン飲みたい。ホント聖職者と飲む酒は愛想無いから嫌い」


 ルームサービスで運ばれてきたのはフランチャコルタ。イタリアでも最高級のスパークリング・ワインです。


「今夜は教皇庁の奢りだからリッチしようね。じゃあ、カンパ~イ」

「それとミサキちゃん、やっと仕事も終ったから帰国の手配しておいてくれる。明日はローマ観光したいから、明後日の便でよろしく」

「かしこまりましたと言いたいですが、ジュエリー・ブランドの発見は良いのですか」

「ミサキちゃん、聞いてなかったの。エレギオン・ブランドはうちの会社も使えるようになったじゃない」

「そりゃ、そうですけど」


 そこからエレギオンの話になりました。エレギオンの金銀細工師はその技術の高さから、教皇庁の御用達になっていた時期はあったそうです。この技術に目を付けてムソリーニが強制連行したのも事実だそうです。


「どうしてムソリーニ失脚後に行方がわからなくなったのですか」

「行方が分からなくなったのではなくて、ほとんど死んじゃったの」

「ムソリーニ殺されたのですか」

「違うよ米軍だよ」


 ムソリーニに強制連行されたエレギオンの金銀細工師は一カ所に集められて仕事をしていましたが、米軍がなにかの戦術目標と勘違いして爆撃を行ってしまったそうです。それも、こんな時に限って見事に直撃弾を三発も喰らい、工房の中で生き残ったものは、たまたま工房を離れていた一人か二人だけだったそうです。


「そこまで知ってたのに、イタリア中のジュエリー・ショップ見て回っていたのですか」

「あははは、ムソリーニが連行し損なっているのもいるかもしれないと思ったし、残った一人か二人の子孫からの広がりの可能性もあると思ってたの」

「そりゃ、そうですが」


 どうもコトリ部長はソース元をイマイチ信用してなかったのもあったようです。それにしても、どこがソース元なんだろう?


「じゃあ、ヴァチカンが密かに保護したお話は?」

「あれは生き残ったエレギオンに注文出しただけの話」


 エレギオンの金銀細工師もそれほどいたわけでなく、ムソリーニに連行された頃には名人級クラスが七~八人程度だったそうです。それが米軍の爆撃で一人か二人になってしまいます。つまり戦後のエレギオンの金銀細工師はその一人か二人からの広がりになります。

 エレギオンも徒弟制度なんですが、かつてはエレギオンの血を引く者のみしか弟子入りは出来なかったそうです。とはいえ薄まって広がり尽くしていますから、今では自称でもOKになっているそうです。日本人でも弟子入りした者がいるそうですから、誰でもOKみたいです。

 弟子入りして腕を磨いていくのですが、何段階かの試験があるようです。この段階試験も親方の流儀によって異なるそうですが、共通しているのは最高ランクの試験で認められない限り、エレギオンの金銀細工師は名乗れないだけでなく、エレギオンで修業したことを口にするのも禁じられているようです。


「ではエレギオンの金銀細工師は、現在何人いるのですか」

「コトリが知る限り二人よ」

「たった二人だけ・・・」


 もっとも工房内には親方であるエレギオンの金銀細工師の他に多数の弟子がおり、弟子でも技術段階の高いものの作品は出荷されます。ただ弟子の作品は他のジュエリー・ブランドに向けて出荷され、取引される時は出荷先のブランドになるそうです。


「実はもう一人いたんだけど、マンチーニ枢機卿の脅迫があるのに嫌気がさして、金銀細工師やめて、イタリアから逃げちゃって、ついでに金銀細工師もやめちゃってるの」

「それでも三人だけなんですね」


 なんとも心細い状態ですが、見方を変えれば希少性が高いと言えますし、逆にそんな名人級が百人もいたら値打ちが下がるかもしれません。実際のエレギオンの金銀細工師の確保については、


「アテはちゃんと付いてるから、だいじょうぶ」


 これ以上は話してくれませんでした。そこで前からの疑問を、


「コトリ部長、エレギオンの五人の女神が、わざわざ日本に逃げたのは理由があるのですか」

「それねぇ、たぶんエレギオン人にその頃に残っていた伝承に頼ったと考えてる」

「伝承?」

「うん、ベネデッティ神父はエレギオン人の祖先をシュメール人にしているけど、シュメール人は日本人の先祖って説もあるのよ」

「でも、それはちょっと怪しい説では」

「そうなんだけど、言語構造が膠着語である点や、幾つかの言葉が日本語と共通点があるのは否定できないところよ」

「でも、それもこじつけって説の方が・・・」

「考古学的な真否はここで論じても仕方ないのだけど、五人の女神が日本に逃げた頃に、メソポタミアから日本に渡ったシュメール人がいたとの伝承があったかもしれないぐらいに思ってる。だからこそ、日本から流れ着いた女性を保護したんじゃないかなぁ」


 とにかく古すぎる時代の話で記録も何も残ってませんし、記憶の封印を解かれたはずのコトリ部長でさえこの程度ですから、これ以上はどうしようもありません。


「五人の女神はその日本人女性を同族と考えたので保護し、逃亡先として同族の住む日本を選んだってことですか?」

「そうでも考えないと、わざわざ日本まで行く理由がないのよね。これの記憶はおそらく首座の女神か、主女神なら残っているかもしれないけど、コトリじゃ、これ以上はわからないわ」


 もう一つずっと気になっていたこと、


「日本に渡った五人の女神は記憶を封印してるのですが、その封印を解くには主女神か首座の女神に会うのがカギってなってましたよね」

「そうだよ」

「コトリ部長の記憶の封印が解けたのはシノブ部長に会ったからですか」

「なに言ってるのよ、シノブちゃんに初めて会ったのはシノブちゃんが入社してからだし、シノブちゃんが天使になったのは二年ちょっと前なのよ」


 あちゃ、そうだった。


「じゃ、いつ主女神なり、首座の女神に会われたのですか」

「高校の時」

「えっ?」


 ここでコトリ部長はビールをオーダー、


「シャンパンじゃ、ビールのあの苦みのパンチがないのよね」


 コトリ部長は記憶の封印が解かれたとなっていますが、どんな感じになっているのか気になります。


「コトリ部長、記憶の封印が解けるってどんな感じですか」

「う~ん、段々に思い出しってくるって感じかな」

「エレギオンの歴史のすべてが甦るのですか」

「そうなるかもしれないけど、そうじゃない感じがする。覚えているのは女神としての能力とそれに関連するものが中心ってところじゃないかなぁ。何千年もすべて覚えていたら化物じゃない」


 見ようによっては女神も化物なのですが、一番気になる事を、


「コトリ部長の人格はどうなるのですか?」

「コトリはコトリだよ。それを言えばシノブちゃんはシノブちゃん。そんなに人格変わってるように見える?」


 ビールをグイグイあおるコトリ部長が天使なり、女神と言われるとチョットとは感じます。その横で同じようにビールを次々と空けられているシノブ部長もそうです。別に女神なり天使がビールを飲んでも構わないといえばそれまでですが。


「でも天使になれるって羨ましいですね」

「そう?」

「だって、こんなに綺麗になれるし、いつまでも若々しいし、仕事だってあれだけ出来るのですから」

「ミサキちゃんもなりたい?」

「そりゃ、なれるものならなりたいです」


 コトリ部長は何か考えているようです。


「シノブちゃん、どう思う」

「使いようですけど、幸せになった天使は少ないのですよね」

「シノブ部長、そうなんですか」


 他言無用と釘を刺された上で特命課の最終報告書の内容を一部教えてくれました。


「わかっている範囲で天使は十一人確認できているの。もっとも一人は主女神だけど」

「そんなにいるのですか」

「明治からだけどね。そのうち現時点も含めて幸せと言える天使は、二人か、三人。存在だけで名前も経歴もわかんない人もいるけどね」

「そんなに少ないのですか」

「もちろん、何が幸せかは主観によって変わるけど、天使だからと言って誰もが人も羨むような幸せな人生を送れる訳じゃないの。コトリ先輩だって、あれだけ恋い焦がれた男とついに結ばれなかったもの」

「シノブちゃん、あれは相手が悪かった。もっとも、それは今となってわかったことだけど・・・」

「ミサキちゃん、天使にはあれこれ能力はあるけど、基本は普通の人なの。結婚が幸せのすべてと言う気はないけど、天使であっても自分の恋した男の正体とか、その行く末は見えないの」


 コトリ部長の大恋愛の話は聞いてたんだ。これだけ素敵で、綺麗で、頭も良くて、仕事も出来て、気配りも十分すぎるほど出来て、あれだけ機転も利く人でも、加納志織相手に勝てなかったんだ。ん、ん、ん、たしかコトリ部長は加納志織と同級生、しかも高校の時に主女神と会ったということは、


「ヒョットしてコトリ部長が敗れた相手は」

「そういうことなの。世の中、わかんないものね」


 天使になったからと言って万能でないのだけは良くわかりました。でも、なったからと言って悪いものじゃない気もしますが、ちょっと複雑な気分です。もしかしたら、それだけの能力と引き換えに幸薄いとか。こうやってローマの夜は更けていきました。

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