第34話 理系は諦めが悪いし議論好き
ざっと全員で距離を取ったところで、はたと冷静になった。
「わ、私たちが近づいても問題ないんですよ。今、先輩はいないんですから」
「ああ。そうだった。でも、危険なのには変わらないだろ?」
「いや、でも、ここまで運ぶ間、何もなかったですし」
「それもそうか」
美織と学はそう確認し合って、大丈夫と頷く。そして、黙っている教授二人を見た。
「ど、どうでしょう」
「まあ、すぐに問題が起こることはなさそうだが、箱を開けていいかどうか。そこは悩むなあ」
突飛もないことが起こり得る状況に、さすがの徳井も大丈夫とは言い切れないようだ。これはより困った。
「中性子でも当ててみるか」
が、このままにしようと言わないのが葉月だ。とんでもない提案をしてくれる。
「エックス線よりはいいだろうけど、どうだろうなあ。中身を箱を開けずに特定する方法か」
そして徳井も、やっぱり引き下がるのは主義に合わないと考え始める。結局、ここにいる全員が理系であるため、どうしても解決したがる傾向にあるのだ。
「もう、霧箱とか泡箱とか、古典的で安全なやつでいいんじゃないですか」
だから、思わず美織はそう提案していた。ひょっとしたら宇宙にまつわるかもしれないということで、閃いてしまったのだ。
「おっ。それいいね。確かに軌跡を追って物質が特定できれば儲けものだ」
「じゃあ、ついでに電波も調べましょう」
「そうだな。よし、それでいこう」
学が電波での解析も付け加え、何とか謎の放射性物質に関しては方針が決まったのだった。
「まったくもう。どうして一つ一つが面倒なんだか」
取り敢えずの方針が決まったので自分たちの研究室に戻った美織は、思わず文句を言ってしまう。徐々に手掛かりは出てきたものの、どれもこれもすんなり理解できないし解決しないのだから困ったものだ。
「本当に出てきたのか?」
そこに、半信半疑だった史晴がやって来た。手には伶人と清野の論文がある。
「出ましたよ。で、それが何なのか解らなくて大混乱です」
正直にそう告げると、質量はどうなんだと訊かれた。
「質量――あ、そうか」
「ああ。中身がもし未知の物質なのだとしたら、地球で特定されている物質とは質量差があるはずだ。そこから探れるんじゃないか」
「了解です。徳井先生に伝えておきます」
「ああ」
意外にも真っ当な意見が出てきて、本当に理系分野だとやる気が違うんだからと呆れてしまう。しかし、今まで戸惑っているばかりの史晴の方がおかしかったわけで、今は非常に助かる。
「それで、どうですか?論文の方は?」
「ああ。やはり理論の根幹はペンローズにあるとみて間違いないな。異次元の設定にしても、彼の理論がなければ導けない」
「そうなんですね。ということは、やっぱり論文の外観としては普通ってことですか」
「そうだ。だから、どこがという特定が難しいよ」
「ううん」
また一筋縄ではいかない部分かと、美織は腕を組んでしまった。しかし、着実に問題の本質に近づいている。そんな手応えはある。
「清野さんの方もペンローズが絡んでいるんですか?」
「ああ。そうだ。こちらはもっとペンローズの理論に踏み込んでいる。量子スピンにまで言及しているからな」
「ああ。最も難しい部分ですね」
そこから一気に解らなくなるんだよなあと、美織は遠い目をしてしまう。ううん、やっぱり自分は体力仕事を引き受けておくのが無難なようだ。
「まあ、厄介であるのは間違いないな。だからこそ、一般解ではなく特殊解しか導けないわけだけど」
「はあ。それって観測値と合うんですかね」
「さあ。まずブラックホールを観測するだけでも大変だからな」
「ああ、そうか。中の様子までってなると無理か」
そこまで喋って、本気でブラックホールの議論をしている場合じゃないと机を叩いた。問題はその論文のどこが魔法使いになってしまったり呪いが発動したりするのか、そのファンタジー的な要素を探ることだ。
「そうだな。幾つか怪しい数式は見つかっている。証明として必要なようには見えるんだが、どうにも違和感のあるやつがな」
「あ、あったんだ」
しかし、美織はそちらに対して半信半疑だったところがあるので、あっさり出てきたと言われてもリアクションに困る。なるほど、これがさっきの史晴の状態か。なんて思ってしまうほどだ。
「さっきも量子スピンの話をしたが、ペンローズもスピンから時空を生み出せるのではないかと考えていた。これの応用版といところだな」
「はあ。もはや何を言いたいのか解りませんけど、宇宙の始まりに関わる部分ですね」
「そのとおり」
スピンが何かは取り敢えず横に置いて、宇宙がどうしてこれほど広がりを持ったのか。これに対して今でも議論が続いている問題だ。しかも、今の宇宙はさらに加速膨張している。この力、つまりエネルギーはどこからやって来ているのか。宇宙論研究者にとっては大きな疑問であり課題なのだ。今はまだ何か解らないからダークエネルギーと呼ばれている、未知なる存在。さらには銀河をばらばらにしないように惹き付けている謎の物質であるダークマター。宇宙はまだまだ謎だらけなのだ。
そして、そんなダークエネルギーやダークマター、さらには観測できる宇宙の始まりはどうなっていたのか。これもまた大きな謎だった。どうやったら物質は生まれたのか。どうして反物質は少ないのか。ああ、宇宙って魅惑たっぷり。
って、そうじゃなく、今の話題になっているのはスタートの部分に関わること。つまりは、宇宙はどうやって今の宇宙を生み出したのか、だ。そしてどうして広がったのか。
「そう。この論文はブラックホールにしか言及していないが、つまりは、ブラックホールほどの大きなエネルギーの塊を議論するには、宇宙規模に働くエネルギーを議論することになるってところだな。そこに、ペンローズの考えが乗っかってくるわけだ。簡単に言うと、時空は量子が重なり合って出来ているってやつだな」
「か、簡単じゃないです」
その説明で理解できる人って一割もいませんよと、美織は学生らしく指摘しておく。こういう頭のいい人は相手も自分と同じレベルで理解していると思い込んでいる時があるので要注意だ。
「つまり、宇宙ってミルフィーユみたいってことですね」
「ミルフィーユってなんだ?」
「――多層的ってことです」
「うん。そういうこと」
史晴はミルフィーユに関して特にツッコむことなく、多層的で納得してしまった。たぶん、食べたことないんだろうな。それがケーキだと知ったら、どういう反応をするんだろう。ちょっと気になる。
「そして、その多層的になった宇宙の穴がブラックホールだという考え方なんだ」
「え?恒星の最期の姿ではなく?」
「ああ。ここで不可思議な議論の飛躍があるように思うんだが、銀河の中心にあるような巨大ブラックホールや、原始宇宙で観測されているようなブラックホールの説明は、恒星の燃えカスだという説明では成り立たないからな。つまり、ブラックホールというのは恒星から常に生まれるわけではなく、時空そのものの穴としても存在するって議論なんだ。その場合のエネルギーはどうなるかというと、他の層の宇宙から得ている。とまあ、こういうことだと思う」
ざざっと説明した史晴に、美織は圧倒されてしまった。変な論文だと感じたが、こんな内容だったなんて。そしてそれをあっさり読み解けちゃうなんてと、驚きだらけだ。
「な、なんか、宇宙の触れちゃ駄目なところに触れちゃった感じはしますね」
「ああ。どうやら、それが突破点みたいだな」
史晴もここからがいよいよファンタジーゾーンかと、重い溜め息を吐き出すのだった。
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