第26話 史晴の困った性格

「まったく、ヒントを探しに行くのも一苦労だったな」

「そうですね」

「ええ」

 葉月の一言に、何の反論もありませんと、くたびれて帰ってきた美織と史晴は頷いた。まったく、本当に一苦労だ。

 あの日、伶人の家で本人と対決し、二人は気力を挫かれてそのままあの家を後にした。そして、そのまま史晴の家に戻って一晩過ごし、カワウソの変化が解けたところで戻ってきたのだ。

 あまりに衝撃が大きくて、史晴はあの後、ほとんど口を利いてくれなかった。そしてカワウソになるとすぐに眠ってしまった。おかげで、カワウソ史晴が本物のカワウソと同じ状態なのか、それともその前の日までと同じく史晴として思考できるのか。その検証さえ出来なかった。

 そして、戻ってくる新幹線の中でも史晴は黙ったままだった。だから、先ほどの「ええ」という返事を得るまで、ほとんど史晴の声を聞かなかったほどである。

「まあいい。椎名が取った画像と、ノートの山は分析しておいた」

「ほ、本当ですか?」

「そこで嘘を吐いてどうする」

 大量のノートは早く着くように送ったとはいえ、今朝に届いたはずだ。それなのに、三箱分のノートを読み終えたというのか。

「占部が書いた部分は飛ばせばいいんだから簡単だよ。分量としてもそれほどなかった」

「ああ」

 そういうことかと美織は納得したものの、それでも凄いと思う。そもそも、伶人の記述した場所を探すだけでも大変だったはずだ。

「ま、それから得られた結論と、あの動画から解ることは、関口は占部より劣るってことだ」

「え?」

「そんな」

 さすがに意外な結論だったのか、史晴は目を大きく見開いている。それはおそらく、今まで伶人が自分よりも劣っていると考えたことがないせいだ。

「いいや。小学生と高校生の段階でもかなり差があるぞ。占部の場合は天才と言っていいレベルだからな。それは仕方ないのかもしれない」

「それは」

「ここでの謙遜は意味がないし、無駄だ。というより、その事実から目を逸らすから、関口の真意が読めないんじゃないか?」

「――」

 史晴はそこで黙り込んでしまったが、美織は葉月が言いたいことを理解していた。

「つまり、先輩が大学に入学するタイミングで消えたのも、その恨みがある。いえ、負けたと自覚していたからってことですか?」

「多分ね。こいつが物理学科を選ばずに数学科を選んでいたのならば、ひょっとしたら起らかなかったかもしれないってことだ」

「そんな」

 史晴が二人の言い分を遮るように呟くが、その言葉には力がない。今、否定するのは事実から目を逸らすことだと、葉月に指摘されたばかりだ。

「つまり、関口さんは同じ分野に進んでほしくなかった。いずれ、先輩に抜かされることを自覚していたからってことですね。小さい頃は明確に差がありますし、何より年上であるだけで出来ることは多く、先輩に頼ってもらえるし尊敬される。しかし、同じ土俵で戦わなければならないとなると、実力差は明確だった。絶対に負けてしまうことを、関口は知っていたってことですね」

「そういうこと」

 美織の推論に、葉月はそういうことだよと史晴を見る。だからこそ、科学を否定する方法で挑んできたのだ。そして、絶対に科学では解けないだろうと挑発してくる。

「ということは、科学で解く方法はあるってことですか?」

 負けっ放しで悔しくて挑んできた勝負。それが完全にアンフェアであっては、ただずるをしただけだ。ということは、科学的な抜け道が用意されているのではないか。

「だろうな。もちろん、全部が解決できるわけじゃないだろう。というか、カワウソは関口が関わっていないんだ。そっちを除いてってなるんだろう」

「ああ、そうか」

 現状は伶人に有利なんだと、美織はがっくし肩を落とす。しかし、その肩を優しく史晴が叩いてくれた。

「先輩」

「気落ちする必要はない。つまり、俺たちは科学で挑みつつ、呪いの本質を見抜き、もう一人の術者を炙り出してカワウソの方を放棄させればいい。そういうことですね」

 先ほどまでの落ち込みはどこへやら。これが難問であり、しかも科学的に証明し解決できるかもしれないと気付いただけで、史晴にはやる気が蘇っていた。その知的好奇心には恐れ入るものがある。

「まあ、言うほど簡単ではないだろうが、筋道はそういうことだ」

 葉月もやる気が戻った史晴に驚きつつ、挑発するように笑った。これまでとは違う、正面から挑んでやろうという意気込みに、葉月も賭けようと思ったのだ。

「じゃあ、あの部屋から消えたのもトリックですか」

「それはそうだろう。じゃあ、魔法使いの正体を暴くために、まずはこの例題のような消失トリックから解くか」

 今まで絶対に伶人が魔法使いになってしまったと信じ、嘆いたはずだというのに、史晴はあっさりとそう言うのだからビックリさせられる。

「先輩。全部は科学で証明できないんですよ。どう科学が発達しようと、人間はカワウソになりませんからね」

「――解ってるよ」

 どれだけ科学を信奉し、どれだけ科学ばかりを考えているか解る史晴の反応だ。証明できることには燃えるが、証明できない部分にはやる気が削がれる。それが今、明確になった。

「だから関口は」

 こんな回りくどい方法を採っているんだと、美織は閃いたものの口にしなかった。言えば、また史晴がやる気ゼロ。今やっている研究さえ完成すればいいという状態に戻ってしまう。

「――」

 証明すればするほど絶望するかもしれない。その可能性を、すっかり忘れていた。そして、今回の一連のことで、それを絶対に史晴に告げてはいけないことを、美織は知ってしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る