一袋のビワ
中川 弘
第1話 自由運動閑暇収入適度調和
四百字詰原稿用紙にして、五枚ほどの文章です。
そんな文章を公にして、しかも、随分と目を通してくれている方がいて、とても感謝しているのです。
よほどのことがない限り、私は毎日これを書くことを自分に課して、取り組んでいるのです。
もうかれこれ五年目を迎えようとしています。
私の文章は、警句や短歌のように短くはありません。しかし、読むのに、気合を入れるほどでもない、そんな分量の読み物を心がけているのです。
その出発点は、実はあの哲学書『パンセ』にあるのです。
有料のデジタル書籍で購入し、今でも、私のデバイスのすべてにそれが入っています。折に触れて、退屈しのぎに、ちょっとした時間の空いたときに、目を通しているのです。
人間は考える葦である、などとたいそうなことを語っている書物ですから、相当に難しい書物かと思いきや、何かの書籍を作者パスカルはものしたく、そのために思いついたさまざまのことをノートに綴り、それが溜まりに溜まり、『パンセ』になったというのです。
パンセとは、フランス語の pense(考える)の受動態 pensée だと言います。
だから、何かによって、「考えられる」「考えさせられる」そのことをパスカルは綴っていったのです。
これだよって。
人間はまさに考える葦、何かを考えて、それを行動に移している存在が人間なんです。
だったら、こんな小さな自分でも、折々の「パンセ」を文章に残すのになんのためらいがあろうかという結論に達したのです。
言葉は、他の何よりも、人が生きる際のエネルギーになります。
辛い時は、言葉が勇気を与えてくれます。
悲しい時は、言葉が心を穏やかにしてくれます。
私は、教師を職業にしていましたから、この言葉なるもので、多くの生徒の心と対面して来ました。
皆、素直な生徒ばかりで、私の言葉に耳を傾け、大きく道を外すこともなく、卒業をしていきました。
些細な言葉でも、一人の人間の行く道を指し示すことができるのです。
ところで、今回は、表題に、みょうちくりんな漢字ばかりの文字を羅列しました。
これは、「沖仲仕の哲学者」と異名をとるホッファーの言葉を表現したものです。
沖仲仕とは、今のように大型クレーンのなかった時代、船荷を人力で積み出す肉体労働の総評です。
中国では苦力(クーリー)などとも言います。
どちらかといえば、最下層の労働力として、位置付けられていた労働です。
その沖仲仕の男の言葉なのです。
ホッファーは、ドイツ系移民の子として、ニューヨークで生まれました。
十代のうちに、母に先立たれ、失明し、治れば、今度は父親が亡くなり、天涯孤独の人生を送る羽目になった人物です。
親のいないがために、学校にもろくに行けず、東海岸から西海岸に流れ着き、極貧の生活を余儀なくされたのです。
その彼の言葉が「仕事にとって大切なのは、そこに自由があること、体を動かす運動があること、閑暇が加えてあること、そして、収入。これが適度に調和してあること」なのです。
教職という職業を選んで、それを人生の大部分を費やして行ってきた私ですが、実際のところ、随分と悩みがあったのです。
いや、生徒が起こす問題は、それは教師であれば、逃れることなできませんから、正々堂々真正面から取り組んできましたが、それ以外の問題で、随分と心を悩ましました。
募集で生徒が集められないことで、あるいは、きっと私は生意気だったのでしょう、それがための先輩教師との関係は決して良いものではありませんでした。
それに、教師特有の陰湿な権力闘争とそんなことを目にして、ほどほどそこにいることが嫌になった時に、私は、言葉を求めたのです。
その先端にあったのが、ホッファーでした。
どれほど、ホッファーのあの言葉、その言葉が持つ素晴らしさを、自分の生活と一体化させる時を待ちわびたことか。
今、私は、パンセしたことを五枚程度の文章にまとめ、それを発表しています。
ありがたいことに、多くの人に読んでもらっています。
加えて、今の私は、自由な時間を謳歌し、適度な運動を可能にし、のんびりと過ごす豊かな時間も持てるのです。
もちろん、それを支えるに足る経済も持ち得ています。
ささやかではありますが……。
もしかしたら、今の私は、私のこれまでの人生の中でもっとも最高レベルのそれにあると、そう思っているのです。
そんな最高の環境を謳歌するには、もっと、もっと、Pensées しなくてはならないと、そう思っているのです。
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