妄想嫁との新婚生活は命がけ

Clifford榊

第1話 その日常、平穏なり

 週末、定時になると同時に俺はタイムカードを打刻する。

 普段ならばなんとなく定時後も社内に残ってキリの良いところまで業務を続けたりするのだが、今夜はそういうわけにもいかない。


「おや伊勢原くん、今日は早いのですね」


 廊下ですれ違った上司に声をかけられる。


「お疲れ様です。実は俺、このあとちょっと予定がありまして」


「そうですか、それは呼び止めてしまって悪かったですね。お疲れ様」


「いえ、お先に失礼します」


 挨拶もそこそこにエレベーターホールへ向かうと、逸る気持ちで下りボタンを押した。

 エレベーターを待つ時間ももどかしく感じる。

 一階ホールに到着し仕事場のビルを出ると、駅へ向かう足は自然に速くなった。


 今日は来期から放映が始まる期待の新作アニメ『暁の女王』のTV放映前ライブイベントがあるのだ。

 独特な世界観構築で知られる脚本家に、多数の名作を手掛ける監督、アクションシーンには定評のあるアニメーションスタジオに、錚々たる声優陣を配置した来期で一番期待されている作品である。


 いちアニメファンとしてはぜひとも参加したいイベントに今回運よく当選した俺は、一人会場へと赴いた。

 まあSNSで付き合いのある同好の士は少なからずいるけれど、あまり社交的ともいえない趣味人の常というやつでリアルでの行動は孤独になりがちだ。


 会場最寄駅に到着すると、一路イベント会場のある多目的ホールビルを目指した。

 ビルへ近づくに連れて目的地を同じくするであろう人々が目につくようになってくる。

 俺はそんな人々に心の中で挨拶を送りながら先を急いだ。

 目的のビルに突入すると会場へ入る前にまずは物販エリアへ。

 御多分に漏れぬ長蛇の列を乗り越え物販ブースでグッズを買い込んで会場入り。


 開演するとスタッフとキャストの紹介に始まり、作品とキャラクターの簡単な解説、そして目玉のハイライトシーン先行上映。

 緻密な作画と圧倒的なエネルギーを感じるアクションシーンに度々どよめきが起きる。

 その後、スタッフとキャストによるトークが笑いと拍手を交えながら進み、最後に挨拶で締めると歓声と拍手の渦が巻き起こった。


 場内の熱気に圧倒されつつ夢のような時間を過ごしたあとは、余韻に浸りながら帰路に就く。

 天下泰平、すべて世は事もなし。


 この後は俺の住んでいるアパートの最寄り駅へと運んでくれる電車に乗り込むだけ。

 そう、部屋に帰りつくまでがイベントなのです。

 手提げ袋の重量感も心地よい。

 明日は昼まで眠って戦利品のチェックと録画した深夜アニメの一人鑑賞会だ。


 それにしても来期のアニメはいわゆる『嫁』候補キャラが豊作でたまりません。

 今夜のイベントでも演じる声優さんたちのトークが冴え渡っておりました。

 ああ、至福……。


 と、思わず浸ってしまったが、まだ駅までの道のりは半ば。

 通りをあと数本超えなければいけない。

 足早に横断歩道を渡る。

 その時視界の端に車のライトの光が割り込んだ。

 振り返るとそこには迫り来るトラックの姿が。

 クラクションとブレーキ音、そして強い衝撃を感じる。

 弾き飛ばされた俺の体は宙を舞い、そして……意識が途切れた。

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