第1073話 スラムの厳しい状況を目の当たりにしました



 声をかけてきた男性は、ティルラちゃんが現在スラムで姫と呼ばれている人物だと確認すると、ゆらりと地面に膝と手を付き、平伏する。


「おぉ、やはり……姫様、姫様……何卒、何卒私に施しを! どうか、どうか……!」

「施し……?」


 平伏するのはまぁ、さっきもあったからあまり驚かないけど……施しって、もしかして物乞いって事だろうか?


「……元気がないですね。細くて、あまり食べていないようにも見えます。……食べ物を、買って来ま……」

「駄目だよ、ティルラお姉ちゃん!」

「駄目よティルラ!」

「え……リーザちゃんに、姉様? どうして……」


 俺の後ろから、平伏した男性を覗き込むようにしたティルラちゃんが、やせ細った体を見て同情したのか、食べ物を買って来ようと提案しかける。

 その途中で、リーザとクレアが鋭く叫んでティルラちゃんを止めた。

 ティルラちゃんは、まさか止められるとは思っていなかったらしく、戸惑っている様子だ。


 俺も、男性の様子を見れば同情心も湧いて来るが……こういう場所で、こういう相手に乞われるがままに物をあげてしまったら……。

 他にも同じような人達が群がって来る、かな。

 幸いにも俺には縁がなくて、想像上や物語上での話だが……最悪の場合は……あまり考えたくない。


「ヨハンナ、かわいそうだけれど」

「はい、わかっております。少々荒っぽくなりますが……」

「仕方ないわ。わかってはいても、少しきついわね。ごめんなさい、嫌な役目をヨハンナにさせて」

「いえ、これも護衛の仕事ですから」


 唇を噛んで何も言えない俺とは違い、クレアは毅然とヨハンナさんに指示。

 指示を受けた、ヨハンナさんの表情は暗い。


「姉様、ヨハンナ……?」

「ティルラお姉ちゃん、駄目だよ」


 どうしたのか、戸惑ったままのティルラちゃんが、クレアやヨハンナに近付こうとするのを、リーザが後ろから抱き着くようにして止める。

 レオはあまり状況がわかっていないのか、ただリーザ達を見守るだけだ……まぁ、こういう体験はレオも初めてだからな、俺もだけど。


「貴方に施す物は何もありません。さっさとここから去りなさい! でなければ……」

「ひ、ひぃっ!」

「ヨ、ヨハンナ!?」


 数歩前に出て、ヨハンナさんが平伏している男性の前に立ち、厳しい表情と声音で威圧。

 さらに、スラリと剣を抜いて脅すと、悲鳴を上げて逃げる男性……満足に食べられていないからだろう、途中つまづいて転んだり、足取りはあまりしっかりとしていなかった。

 ……見送るのも、辛いな。

 ティルラちゃんは、ヨハンナさんが追い払った理由がわからず、リーザに抱き着かれたまま驚いている……知らないってのも、辛い事なのかもしれないな。


「ヨハンナ、ありがとう」

「いえ……」


 ティルラちゃんの叫びは無視して、やり取りをするクレアとヨハンナさん。

 二人共、逃げて行った男性が既に弱り始めているとわかっているんだろう、暗い表情だ。


「姉様……どうしてですか? あの人、お腹が空いていたんでしょう? それなら少しくらい、私達が何かをあげても……」

「それは駄目だよ、ティルラお姉ちゃん」

「……リーザちゃん?」

「リーザちゃんは、ちゃんと意味がわかっているのね。ここで暮らしていたのだから、知っているのでしょうね」


 瞳に涙を溜めながら、クレアに訴えかけるティルラちゃん。

 あの物乞いの男性に対して、本当に同情してしまっている様子だ。

 それを後ろから止めるリーザ……スラムで暮らしていたから、よくわかっているんだろう。


「戻りました……っと、何か雰囲気が暗いですね?」

「……何かありましたか?」

「フィリップさん、アロシャイスさん」


 そうこうしているうちに、連絡役をしてくれたフィリップさんとアロシャイスさんが戻って来る。

 二人共、俺達の雰囲気が先程と違って暗い事にすぐ気づいたようだ。



 離れていたフィリップさん達に、簡単に事情を説明しつつ、レオとリーザ、クレアとヨハンナさんを残して少しだけ離れ、フィリップさんとアロシャイスさん、それと俺でティルラちゃんに先程の事の説明。

 といっても、スラムに詳しいアロシャイスさんがメインで話してくれるみたいだけど。

 俺は説明というより、話を聞く側だな……なんとなくは知っているし、施しをせず追い払った理由もわかるけど、ちゃんと聞いておかなきゃいけないと思ったからだ。

 スラムとは、ニックを始めとしてリーザやディーム……色々関わって来てしまっているからな。


「いいですか、ティルラお嬢様。私は見ていませんが、スラムの物乞いに食べ物を与えてはいけません。そして、金銭も同様です」

「……どうしてですか? 食べる物やお金がないと、飢えてしまいます」


 言い聞かせるように、ティルラちゃんと視線を合わせて話し始めるアロシャイスさん。

 冷静に話してくれるようで、やっぱり他の人が話すよりも適任だな。


「もし先程の者に、食べ物やお金を与えていたら……おそらく明日まで生きていなかったでしょう」

「え!? でも、お金があれば何か食べられるし、食べ物なら食べて元気になるのではないですか?」

「食べ物を先程の者が食べる、お金を使って食べ物を買って食べる……それがそのままできれば、ティルラお嬢様が考えている通りになります。ですが、ここにはあぁいった物乞いをしなければ生きてゆけない者が多数います。……それこそ、切羽詰まって人から無理矢理奪おうとする者も」


 アロシャイスさんの話を聞きながら、ここに来るまでの事を思い出す。

 スラムに入ってから、目立っているのもあって色んな視線に晒された。

 大半は、先日の騒ぎの影響でティルラちゃんに向けられていたけど、レオへの畏怖の視線、俺やクレアに対してあまり良くない視線が全然なかったわけじゃない。

 レオへはともかく、俺達に向けられる視線から考えると、隙あらば金銭などを奪い取ってやろう、と考えている人がいたっておかしくない。

 あまり俺達からは見えなかったが、先程の男性のようにやせ細っている人も見かけたし、飢えかけている人はそれなりにいるんだろう。


 ……さすがに、アロシャイスさんがいたスラムのように、打ち捨てられている人はいなかったけど。

 これが多分、ニックやセバスチャンさんが言っていた、コッソリとお店の物を盗んで飢えを凌いでいた人達なんだろう……いや、もしかしたらそれ以上に酷い状況なのかもしれないが――。



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