第1072話 レインドルフさんへ祈りを捧げました



「……リーザ様、少し失礼します」

「ヨハンナさん?」

「どうしたの、ヨハンナお姉さん?」


 鞘をジッと見ているリーザの横に、声を掛けながらしゃがみ込むヨハンナさん。

 どうしたのかと、リーザと一緒に声をかける俺達を余所に、片膝を付いて騎士の敬礼のような恰好になった後、両手を体の前で組んだ。


「全ての者が安寧を、偉大なるこの方に平穏を。レインドルフ殿に静かな安らぎを……」


 浪々と、祈りの言葉を捧げるヨハンナさん。


「それは……?」

「失礼しました。先程のリーザ様の様子を見ていて、何もせずにはいられなかったのです。リーザ様の仰るように、レインドルフ殿がここにいるのであれば、ここで安寧の祈りを捧げるのがよろしいのかと思いまして」

「騎士の祈りね。鞘に向かって捧げるには、相応しいのかもしれないわ」

「騎士の祈り……?」


 故人に対して、俺が知っているのは日本式の手を合掌させてとかだけど、こちらにはこちらなりの祈り方というのがあるらしい。

 聞いてみると、騎士というか兵士さん達に伝わる祈り方らしく、戦争や魔物との戦いで命を落とした人に捧げる祈りなのだとか。

 その際、墓標や遺品に対して祈る事が多く、先程ヨハンナさんがしたような体勢で、故人の名前を組み込んで祈りを捧げるのだとか。


 遺体に対してでないのは、息絶えたその体に対しては平穏や安寧を願うのではなく、別れを惜しむのであり、遺品に対して持ち主を守り、平穏を祈るからなのだとか。

 確かに、レインドルフさんの所有物だった鞘だけが残るこの場では、一番相応しい祈りのように思えた。


「「「全ての者が安寧を、偉大なるこの方に平穏を。レインドルフ殿に静かな安らぎを……」」」


 俺達は騎士ではないが、相応しい祈りとしてヨハンナさんと同じように、片膝立ちで手を組み、リーザやクレアと声を揃えて祈りを捧げる。

 心の中では、レインドルフさんに対して、リーザを幸せにする事を誓いながら――。



 カタン、という音が、祈りを捧げる俺達の耳に届く。

 閉じていた目を開いて音のした方を見ると、部屋の閉ざされていた木窓が外れて、外から光が差し込んでいた。

 風か何かの仕業だろう……ちょっとした衝撃とかで、壊れそうな場所がいくつもあるからな。


「……ん? リーザ……」

「……」


 祈りの言葉の後も、ずっと熱心に祈りを捧げているリーザだけは、木窓が外れる音で顔を上げていなかった。

 そのリーザに、外から差し込んだ光が真っ直ぐに当たり、耳や尻尾の毛が輝いているように見えた。


「まるで、レインドルフさんがリーザを祝福しているみたいだ……」

「本当にそうですね。ちゃんと、リーザちゃんの事を見守ってくれているのでしょう」


 非現実的な考えだと思うが、レインドルフさんの魂は今もここにあり、差し込む光のようにリーザを見守っているのだろう――。



「ワフ、ガウワフ!」

「にゃはー! ママ、大丈夫だから、何も怖い事はなかったよ!」

「ワフゥ」


 レインドルフさんの鞘への祈りを終えた後、建物を出るとレオからの歓迎……もとい、心配した様子でリーザにすり寄っていた。

 鳴き声の内容は、怖い事があったら代わりに噛み砕くとか、そんな感じの事を言っていた。

 物騒だけど、それだけレオがリーザを心配していたって事だろう。


「ははは、大丈夫だよレオ。リーザに何かあったってわけじゃないから」

「ワフワフ? ワフーワフワウ!」

「まぁ、ちょっとした事があってな。屋敷に戻ったら、レオにも伝えるよ」


 さすがに、今ここでレインドルフさんの事を話すのは躊躇われるので、リーザの泣き声を気にしているレオには、後で教える事を約束する。

 鞘の事もあるし、誰が聞いているかわからない場所では言えないからな……リーザも今は空元気だろうし、またしんみりした雰囲気にはしたくない。


「キューン……クゥーン……」

「ふふふー、レオ様と一緒にくすぐるのですよー」

「にゃふ、ママもティルラお姉ちゃんも、くすぐったいよー」


 レオが鳴きながら、リーザを舐めたり鼻先を付けたりしている。

 ティルラちゃんにも泣き声が聞こえていたんだろうし、ヨハンナさんが事情説明する時に聞いていたんだろう、元気づけるようにちょっと明るめの声音でリーザの尻尾を撫でていた。

 当のリーザは、笑っているな……うん、とりあえずは大丈夫そうだ。


「リーザとレオはいいとして……アロシャイスさん」

「フィリップ」

「はい、タクミ様」

「はっ」


 微笑ましい様子を眺めて頬を緩めながら、俺がアロシャイスさんに声をかけると、ほぼ同時にクレアがフィリップさんに声をかける。


「あら……ふふふ、考える事は同じようですね」

「まぁ、さっきクレアがあの二人にお願いするって言っていたからね」


 顔を見合わせ、微笑むクレアと苦笑する俺。

 俺もクレアも、アロシャイスさんやフィリップさんに頼もうとした事は同じ……さっきの密偵二人の所に行って、レインドルフさんの鞘を盗られないようにとお願いするためだ。

 アロシャイスさんはスラムに慣れているし、フィリップさんは何かあっても大丈夫そうだから。


「あの……?」

「ん?」

「ワフ?」


 アロシャイスさんとフィリップさんの二人を送り出してから、戻って来るまで待っていると、何やら後ろから声をかけられた。

 振り返ってみると、スラムの住人なんだろう……ボサボサの髪の毛にぼろ切れを纏って、満足に食事ができていない事を示すように、やせ細った男性が立っていた。

 ……レオが首を傾げているだけだから、特に敵意とかそういうものはなさそうだ。


「そちらにおられるのは、姫様ではございませんか?」

「私ですか?」


 男性は力が入らないのか、震える手でリーザやレオとじゃれ合っているティルラちゃんを示す。

 姫と言われて、ティルラちゃんがこちらを見る。


「……そうですけど、何か御用ですか?」


 何かあるのかもと考え、頷いて肯定しながらも間に立って、ティルラちゃんへの視線を遮るようにしながら、俺から男性に聞く……ヨハンナさんも、クレアを後ろにかばって警戒モードだ。

 弱っている様子にも見えるから、多分大丈夫だろうけど、俺も警戒はしておこう――。



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