第1000話 スリッパは場所によって滑るようでした



「慣れが必要なのですね」

「うーん、少しは? でも、楽に過ごすための物でもあるから、気負う必要はないよ。それに、見てわかる通り靴みたいにしっかり足を覆う物じゃないから、運動には向いていないんだ。だから、走ったりする事のない屋内用だ」


 俺の言葉を聞いて、両手を胸の前で拳にして意気込むクレア。

 慣れた方がいいけど、そこまで気合を入れる必要はない……というか、楽に過ごすための物なのに、それじゃ逆に疲れてしまいそうだ。

 最初だけだろうけど。


「そうなのですね。あ、自分でも履きやすいですね。では……あっ!」

「クレアお嬢様!」

「クレア! っと」


 落ちたスリッパを履き直し、簡単に履ける事に関心しつつ足を踏み出すクレア。

 その一歩目で、ツルッと滑って体を傾けさせた。

 後ろ向きに倒れるクレアに駆け寄り、体を支える俺……逆側では、ライラさんが支えてくれている。


「大丈夫ですか、クレアお嬢様。……気を付けて」

「すみません、タクミさん、ライラ。ありがとうございます。スリッパって、滑る物なのですね?」

「いやぁ……できれば滑らない方が安全なんだけど……そうかぁ、布だからなぁ」


 心配そうに声をかけるライラさんと一緒に、クレアさんを立たせて手を離す。

 クレアが転んで怪我をしたり、頭を打ったりしなくて良かった。

 俺達にお礼を言うクレアは、恐る恐る両足で立ちながら、スリッパが滑った事に驚いている様子だ。

 スリッパは布で作られているのは何度も確認している事だけど、床は大理石っぽい物で作られている。


 すべすべとした石の床と、布のスリッパ……考えて見れば滑るのも当然か。

 ハルトンさんから見せられた時、俺も履いてみたけど歩いたりはしなかったから、確認不足だった。


「スリッパって、滑らないようにどうしてたっけ……」

「滑らないようにできるのですか? いえ、靴は滑らないので、できるのでしょうけど」

「できる、と思う。ただ、どうしたらできるのか……ハルトンさんと相談だね」


 ゴムがあれば、滑り止めになると思うんだけど……ない物ねだりになるか。

 俺が知っているスリッパは製造コストの関係だと思うが、靴よりは多少滑りやすい物ではあった。

 でも、布をそのまま使っているよりは、滑りにくいはずで……うーん、スリッパその物を見た事はあっても、どういう工夫がされているかとかまで調べた事はないので、当然知らない。


 靴と同じように何かを施せば滑らなくなるとは思うけど、作る費用が増えてしまうかもしれない。

 外で地面が土なら、滑らないだろうけど……それだと、屋内用のスリッパの意味がなくなるしな。


「まだまだ、開発段階という事ですね。ではライラ、少し支えてくれるかしら?」

「はい、畏まりました」

「え、まだ続けるんだ?」

「もちろんです。滑る事はわかりましたが、履き心地や他の事も確かめなくてはいけません。せっかく、タクミさんが考えた物なのですから、しっかりと確認しないと」

「……ありがとう、クレア」


 ライラさんに支えられつつ、スリッパを履いた足を動かそうとするクレア。

 問題点が見つかったんだから、もう終わりと思っていたんだけど、クレアは俺がきっかけで作られた物だからこそ、確認を怠らないようにしたいみたいだ。

 クレアの気持ちが嬉しい。


「絨毯であれば、滑ったり……少し滑りますね」


 しばらく、クレアがスリッパを履いて歩くのを確認。

 石の床ではなく、絨毯の上なら滑りづらいようだけど、それでも油断すると危なそうだ。

 絨毯は摩擦係数が上がるから……うん? 摩擦係数?

 なんとなくひらめいた事があり、自分の靴裏を確認。


「やっぱり、そうか……」


 靴の裏は平(たいら)ではなく、でこぼこしている……普段意識していないから、忘れていたな。

 これで摩擦係数を上げる……要は引っかかりのようなものを作って、滑らないようにしていると。

 なんにせよ、ハルトンさんとはじっくり話す必要がありそうだ。


「ふぅ……滑らないように気を付けていて、少し疲れた感があります」

「楽に過ごすためだから、それはやっぱり改善しないといけないね。他には……」

「軽いので、動きやすいと思います。まぁ、あまり急な動きをすると脱げてしまいますが……」


 履いて確かめてもらったクレアに、参考意見として色々と聞く。

 やっぱり、軽くて楽なのは良さそうというのと、ライラさんからの意見で靴ではないので、掃除が楽になるのは確実だという肯定的な意見。

 逆に、滑るのをなんとかしないと、少なくとも屋敷内では危なくて使えないだろうという事など、靴を履き直したクレアと話し合う。


「あ、あと足先を出して蒸れないようにする、というのもさっきハルトンさんと話したんだ」

「足先を。そこまではさすがに、恥ずかしいですね。でも、蒸れないというのは良い事だと思います」

「そうだね。うーん、足先を出さずに蒸れないようにするのは、ちょっと難しいかな?」


 やっぱり、足先を常に出しているというのは抵抗感が強いようだ。

 試作スリッパは、かかとのない靴みたいな形なので、今回は抵抗なくクレアも履けたようだけど。

 でも、蒸れないようにするのはいい案っぽいから、なんとかしたい。

 クロックスみたいに、甲表に穴を開けるとかどうだろうか……? 今すぐ答えを出さないといけないわけではないので、じっくり考えておこう。


「タクミ様、それは私達でも試せますでしょうか?」

「大丈夫ですよ。けど、屋敷内を色々と動く事が多いライラさん達だと、逆に不便じゃないですか? 色んな人に試してもらって、意見をもらえるのはありがたいと思いますけど」


 クレアのお試しを終えて、靴を履き替えている時にライラさんから聞かれる。

 私達って事は、屋敷内の使用人さん達で試してって事だろう。

 多くの人から意見をもらえるのはありがたいと思うけど、さすがに滑る試作スリッパを履いたままというのは危ない。

 そこかしこで、使用人さん達が転ぶようなのもちょっと嫌だしな……ちゃんとした靴を履いても、転んでしまうゲルダさんはともかく。


「お世話をするのには確かに向かないと思いますが、試すだけならちょっとした時間にもできますから」

「あぁ、仕事中にというわけではないんですね。じゃあ……ハルトンさんが幾つか持って来てくれていたので、それを使って下さい」

「畏まりました」

「私は慣れるために、部屋にいる時などに試してみますね」

「うん、お願いするよ」



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