第532話 フェンリルはカナヅチのようでした



「ガウ!」

「ガウガウ! ガブブブ……!」

「溺れた!?」

「フェンリルって、泳げないんでしょうか?」

「……どうなんでしょう、シェリーは泳げませんでしたが……それより、大丈夫かな?」


 二体のフェンリルは、一度顔を見合わせた後、川へと飛び込んだ。

 川の深さは、人間でも泳がないといけないくらいで、一番深い所だと地面に足を付けて立っても顔が出るかどうかくらいだ。

 見上げるくらい大きいレオならまだしも、それより小さいフェンリル……さらに四足歩行だから顔の位置は人間より下だからか、足を付いて歩いたりもできず、飛び込んだまま溺れているようにその場で暴れ始めた。

 えっと……助けた方がいいんだろうか?


「……レオ?」

「ワフ、ワフワフ」


 助けるとは言っても、全体は人間よりも大きいうえに、もがくように暴れているから容易には助けられない。

 俺が飛び込んでも、巻き込まれて溺れるだけだしな。

 というか、フェンリルが出て来ていきなり川へ飛び込み、颯爽と泳いできたりするのかと思っていたら、溺れ始めた目の前の光景を見て、どうしたらいいかなんてわからないよな……うん。

 とりあえずレオに声をかけたが、安心して見てて大丈夫と言うように鳴くだけだった。


「キャゥー、キャゥー!」

「ガブブブブ……ガブ、ガブ!」

「ガブ!? ガブブブブ、ガブガブ!」


 溺れている両親……親フェンリルを見ながら、シェリーは応援すように鳴いた。

 それが聞こえたからなのか、二体のフェンリルは次第に暴れるのを止め、少しだけ落ち着いた様子。

 そのまま、背中や頭の毛が微かに川から出ているような状態で、ゆっくりとこちらに向かって移動を始めた。

 相変わらず、呼吸が苦しいため、顔を上げたり下げたりはしていて……半分おぼれかけの犬かきのような状態だ。


 うーん……大丈夫みたいだが……あれはあれで苦しそうだ……。

 なんというか、一応はフェンリルを警戒して緊迫した雰囲気もあったんだが、一瞬で霧散したような気がするな……。

 レオと一緒にいる俺だけかもしれないが……いや、クレアさんもキョトンとしているから、似たようなものらしい。


「ガブブブ……ガブブ、ガブ……ガフッゲフッ! ガウゥ……」

「ガブブブブブ……ガフッガフッ! ガゥ……」


 しばらくして、川を渡り切った二体のフェンリルは、溺れかけて飲んでしまったらしい水を吐き出しながら、川辺で体を振るわせ、水気を飛ばす。

 距離が離れているから、こちらへ水が飛んできたりはしないが、それでも大きいだけあって結構な勢いだった。

 まぁ、レオ程じゃないが……大きさが違うから当然か。


「キャゥー! キャゥー!」

「ガウー、ガウガウ?」

「ガウワウ! ガウ、ガウガウ!」

「キュゥ……」

「ガウガウ……」


 二体のフェンリルへと、シェリーが駆け寄って元気よく鳴く。

 後ろ姿くらいしか見えないが、それでも声から再開できた事を喜んでいる様子がよくわかる。

 二体のうち、顔つきが特に凛々しい方のフェンリルが、シェリーに顔を寄せ、顔や体を舐め始めた。

 多分、こちらも再開を喜んでいるんだろう……無事で良かった……と言っているような雰囲気だ。


 だが、もう片方の少しだけ毛が長い方のフェンリルが、目を鋭くさせてシェリーを叱るように吠えた。

 こちらはもしかすると、勝手に離れてはいけないって言ってたでしょ!? と、母親が子供を叱るような雰囲気だ。

 吠えられて謝るように鳴いて、意気消沈するシェリーと、凛々しいフェンリルがまぁまぁとでも言うように鳴いていた。

 確認してみないとわからないが、多分シェリーを舐めたりしていた凛々しいフェンリルが、父フェンリルで、叱った方の毛が長い方が母フェンリルかな……雰囲気からすると。


「ワウ!」

「キャイン!」

「キャウン!」

「キュゥ?」


 そんな、仲睦まじいような気がしなくもない親子の再開を眺めていると、レオが一声吠えた。

 まずはこちらへ挨拶だろう! と言っているようだが、久しぶりに心配していたシェリー……娘フェンリルとの再会なんだから、もう少しそのままでも、と思わなくもない。

 まぁ、シルバーフェンリルを頂点とするなら、王様とかの前で挨拶せずに無視をして、親子の再開を喜ぶというのは、失礼に当たるとも考えられるから、レオが特別厳しいわけでもない……と思う。

 二体のフェンリルは、レオの声に驚いた様子で、悲鳴のような鳴き声を上げた。

 シェリーは、そんな両親の姿に首を傾げている。


「キャウンキャウン!」

「キャインキャイン!」

「キュゥ……」


 すぐさまレオの前に駆けてきたフェンリル二体は、こちらの人間達が少し警戒を強める様子も気にせず、そのままひっくり返ってお腹を見せた。

 確か、犬がお腹を見せるのは、服従のポーズでもあるんだっけ?

 飼い犬だったレオも、小さかった時は俺に叱られる時なんかによくやっていたなぁ……。

 野生で生きてきたフェンリルにとっては、かなわない相手であるレオを見て服従するために颯爽とお腹を見せるのは当然のことなのかもしれない。


 ちなみにシェリーは、やっぱりそうなるよね……と言うように小さく鳴いていた。

 これくらいは、なんとなく雰囲気でわかるな。


「ワウ。……ワフ?」

「え? 俺が?」

「ワフワフ」

「……わかった」

「パパなら大丈夫だよー」

「まぁ、頑張るよ」


 お腹を見せたまま、無防備に転がるフェンリル二体を見て、頷いたレオが俺の方を向いて鳴く。

 どうやら、服従する証として、俺がお腹を撫でるといいと言っているようだが……大丈夫なんだろうか?

 これまでを見るに、レオに逆らう気配はないし、大丈夫と頷いてくれているから、襲われたりはしないんだろうが……。

 仕方なく頷いて、レオから離れてフェンリルの方へ。


 後ろからリーザの声が聞こえるのが心強いような、危険なフェンリルの前に行けと言われて心細いような……。

 情けない姿を見せたくないから、頑張るしかないんだろうなぁ。

 シェリーは特に動かずこちらを見ていて、クレアさんは固唾を飲んで見守ってくれている様子だ。

 後ろの方から、アンネさんが羨ましいですわ! とかいう叫びが聞こえた気がするが、それは無視しておこう――。



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