第522話 セバスチャンさんには辛い過去がありました



 それは、どれだけ辛く苦しかっただろう。

 暴力を使って物を得ようとすれば、もっと食べ物を得られたかもしれない、もっとお金や服を持てたかもしれないのに……。

 周囲がそうしていても、自分だけは決してやらないと固く決心して守った事は、すごいと思う。

 考えるだけなら簡単だが、実際に周囲がそれをするのが当たり前になっているのに、自分だけがやらないというのはとても難しい事だと思う。


 リーザの時でも、少年達はディームに言われたからというのが大きいが、他の皆がやっているから……という考えも少なからずあったはずだしな。

 セバスチャンさんのように、自分を戒めてやらなければ、ディームは捕まえた時のように実力行使に出ていただろうから、逆らうのはさらに難しかっただろうが。


「とはいえ一応、スラムにも暗黙の了解と言うものがありましてな。人殺しはやらない、貧しい者からは盗まない……などですな」


 貧しい者から盗まないのは、自分達もそうだから……というような自覚があるからかもしれない。

 なんにせよ、貧しい人からお金や食べ物を盗もうとしても、多くを得られないからという理由もありそうだけどな。

 でも人殺しか……俺の想像なら、スラムだといつ命を盗られてもおかしくない、危険な場所というイメージがあるんだが……まぁあれは、以前の世界での本当の意味での無法地帯でだけなのかもな。


「人を殺してしまえば、確かに楽に物が得られるかもしれません。ですがその後は、衛兵達によって捕らえられ、厳しい処罰が待っているでしょう。他の事がいいと言っているわけではありませんが、人を殺してしまうのは取り返しがつきませんからな」

「そう、ですね……」

「もちろん、盗みを働くだけでも捕まりますが……スラムのある街で、店を構えている店主たちは、ある程度仕方のない事と考えていたようで、お目こぼしされていたんでしょう。今考えると……ですがね。自分達の手で直接子供達を救えるわけではない、だからと言って食べる物がなくなるともっと酷い事になる可能性もありますし、少しでもそれで子供達が飢えをしのげるなら……と考えていた人もいたのかもしれません」


 もし盗みまで全て厳しく取り締まったら、飢えに耐えられなくなった子供達が、何をしでかすかわからないからな。

 かといって、商店主達が集まっても、全ての子供達を助けるという事はできないと……。

 度が過ぎると捕まるが、少しなら仕方ない事としよう、と考えられていたんだろうな。

 とはいえ、それでも盗みを働くのは悪い事だがな。


「ですがある時、ちょっとした……では済まされませんね。スラムを揺るがす大事件が起きました」

「大事件……もしかして……?」

「私は直接関わってはおりませんが……それは、スラムに住んでいる者達を街から追い出す事にも繋がる大事件でした。おそらく、タクミ様も大方の予想がついている通り、スラムの人間が街の住民を殺すという事が起こってしまったのです」

「……」

「犯人はスラムに住む子供です。私も話した事はありますし、一緒に食べ物を分け合った事もあります。その子供は、やりたくてやったわけではありませんが、そんな言い訳は通じません」

「やりたくてやってないというのは、何か理由があったんですか?」


 なおも、俯いたままセバスチャンさんが話す過去の話を聞く。

 隣にいるレオも、興味があるのか、それともセバスチャンさんがこうした事を話すのが珍しいと思っているからなのか、ジッと焚き火の向こう側を見て聞いていた。


「殺した相手というのが、普段スラムそのものを疎んでいた方でしてな。まぁ、スラムがあるから治安が悪く、街の発展を阻害していると考えていたようです。ある時、店先にある食べ物を盗もうとした子供を捕まえようと、武器を持ちだしてしまったのです。そして、子供の方は当然抵抗します。武器に不慣れだったせいで、結局組み合い揉みくちゃになってしまいます。結果、その武器……確か、短めの剣だったと思いますが、それが自分に突き刺さり……という事です。私はその場面を見たわけではありませんので、伝聞ではありますがな」

「不慣れな人が扱うと、そういった危険は確かにありますね……」


 剣というのは、意外と扱いが難しい。

 握りが甘いとすっぽ抜けるし、剣筋を意識していないとまともに斬る事すらできない。

 斬るのが、動かない木の枝とかならまだしも、すばしっこい子供だ。

 しかも、子供の方は自分が殺されるものと必死で抵抗する……そういった事故が起きても、なんら不思議じゃないな。


「不味かったのが、その殺された方が一部の商店を取りまとめる顔役だったのです。そこから、スラムにいる者達を排除するという向きが強まりました。元々、不安や不満を溜めていた者もいたのでしょうから、そうなるのも当然でしょう。もちろん、殺しをしてしまった者の捜索もですな」

「その子供だけが、処罰されて……というわけにはいかなかったんですか?」

「もしかしたら、それで済んだ可能性もありますが……声を上げた者達が多かった事で、収まりが付かなくなったのもあるのかもしれません。そして、スラムにいる子供達の排除が始まりました。衛兵達が大勢で押しかけ、次々と子供達は連れて行かれます。子供達だけでなく、スラムに住んでいた者達全て……ですな」

「完全にスラムの人達を街から追い出すためですね」

「はい。さらにスラムにとって悪い事に、偶然近くへと来ていた公爵家当主……旦那様の先代当主様ですな。その方が指揮をとられたのです」

「先代当主様……」


 ようやく、公爵家の人が出てきたが……いきなり当主様か。

 先代当主様の事はよく知らないが、街の人達がスラム排除と声高に叫んでいる状況に思えるし、温情で済ませるわけにもいかないだろうな。


「先代当主様は、公爵家の兵士を使って、一気にスラムにいる者達を捕まえました。それは今考えると、長引かせる事でスラムの者達だけでなく、大勢の人達が不安を抱いている状況を迅速に解決しようとした結果なのだと思います。追い詰められたスラムの人間が、反抗して衝突してしまわないようにとも」


 窮鼠猫を噛む……とも言う。

 衝突して、何かの拍子に人的被害が出てしまったらいけないからな――。



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