第240話 クレアさんが部屋を訪ねて来ました



「……失礼します」

「どうぞ」


 ゆっくりとドアを開けて入って来るクレアさん。

 何だか緊張してるみたいだけど?


「タクミさん、申し訳ありません。こんな時間に……」

「いえ、大丈夫ですよ。他にする事もありませんでしたし」

「ふふふ、レオ様もくつろいでいますね」

「ワフワフ」


 突然俺の部屋を訪ねて来たクレアさん。

 遅い時間に来た事を詫びながらも、レオを見て微笑む。

 何だろう……? いつもは普通に話してるのに、俺も緊張して来た。

 夜だからなのか、クレアさんと二人りという状況だからなのか……あぁ、レオもいるか。


「隣に座っても?」

「はい、どうぞ」


 座っていたベッドを、少しだけ横にずれるようにして座り直し、その隣にクレアさんが座る。

 間にレオの顔があるような形で、二人でレオのモサモサの毛を撫でる。

 ……風呂上りなのかな? ふんわりと香って来るのは、石鹸の匂いか……。


「タクミさん?」

「は、はい!」

「ふふふ、そんなに緊張しなくても良いんですよ? ここはタクミさんの部屋じゃないですか?」

「いや、まぁ、はい。そうですね……」


 クレアさんに言われ、緊張しないように深呼吸を繰り返す。

 そうするとまた、クレアさんの方から良い香りが……っとこれではまた緊張してしまうな、無心になれ、俺。

 クレアさんの方は、部屋に入って来た時こそ緊張していたが、俺が緊張しているのを見たからか、それともレオを撫でて癒されたからなのか、すでに緊張は解けている様子だ。


「それで、タクミさん……」

「はい、何でしょう?」


 改まってこちらを真っ直ぐ見て来るクレアさん。

 ここに来た目的はわからないが、そうしてると……クレアさんの綺麗な顔が近くて、吸い込まれるように……。


「今日のお父様が企んだ件、本当に申し訳ありません!」

「は、え?」

「ワフ?」


 よこしまな事を考えている俺とは違い、クレアさんはガバッ!と頭を下げ、俺に謝って来た。

 あー、成る程、そういう事か……。

 クレアさんは、エッケンハルトさんがセバスチャンさんと組んで、俺に鍛錬と称した実戦を行わせた事を謝るために、ここに来たのか……。

 まぁ、そりゃそうだよなぁ。


「えーと、まぁ、何とかなりましたから、気にしてませんよ。それに、クレアさんが謝る事じゃないでしょう?」

「それでも、タクミさんが気にしていないとしても、謝らないと気が収まらないのです。お父様のした事ですが、私も娘として……」

「んー、そうですねぇ……。わかりました。クレアさんの謝罪、しっかり受け取りました」

「……ありがとうございます」


 公爵という貴族なんだから、悪い事をしなればデンと構えておけば良いのに、クレアさんはこういう所、律儀だなぁ思う。

 父親のした事で、自分が謝る事になっても、しっかり謝ってくれてる。

 俺も、それに応えるため、よこしまな考えを捨てて、クレアさんを正面から見て、頷いた。

 まぁ、そもそもあの時、ネタ明かしをした時にクレアさんが俺の代わりに怒ってくれたから、エッケンハルトさん達にたいして、もう怒ると言う気持ちはなくなったしな。


「クレアさん、俺の代わりに怒ってくれて、ありがとうございます」

「いえ、その……あれはお父様が明らかに悪かった事ですし……」

「それでも、俺は嬉しかったんです。俺の代わりに誰かが怒ってくれる……そんな事は初めてでしたからね」

「……そうですか」


 仕事で、俺が怒られる事はあったし、理不尽な事があって怒りたい事もあった。

 でも、俺の周囲にいた人間は、誰も代わりに怒ってくれる事なんてなく、ただ自分の方へ火の粉が降りかからないようにするだけだったからな。


 今のように大きくなったレオがいてくれたら、もしかすると代わりに怒ってくれる……何て事もあるだろうが、そうすると大惨事になりそうだ。

 クレアさんは、俺の言葉を受け、少し恥ずかしそうにして俯いている。


「それに、クレアさんが代わりに怒ってくれたから、俺もエッケンハルトさんに怒るという、身分知らずな事をしなくて済みました」

「身分知らず……ですか? でも、タクミ様の事はお父様も気に入っていますし、友人のように接しています。身分はあまり関係ないと思いますが……?」

「それでも、です。エッケンハルトさんは公爵家の当主。公爵様ですからね。屋敷の中だけでならまだしも、衆目を集めているあの場面で、貴族でもない俺が、公爵様に怒鳴るなんて……できないでしょう?」

「……それは確かに……そうですね」


 エッケンハルトさんは、公爵様なんだ。

 対して俺は特に身分もない、ただお世話になってるだけの平民。

 そんな俺が、公爵様であるエッケンハルトさんに、あの時怒鳴ってしまったら、俺が身分知らずの馬鹿者と言われるか、公爵家が舐められるかのどちらかだろう。

 あの時、衛兵さんもいたし、さすがに外まで声は聞こえていないだろうが、騒ぎを聞きつけて街の人達も集まって来ていたしな。

 伯爵家の事があって、公爵家までおかしな噂が流れたらいけない。


「だから、あの時クレアさんが怒る……ということで正解だったんです。他の誰かではいけなかったんですよ」

「そう、ですね。あの時は頭に血が上ってしまって……周りの状況を考えてはいませんでしたが……そう言ってもらえるなら、良かったです。……ちょっと恥ずかしいですけどね」


 クレアさんにとっては、あんな所で起こってしまった事は、恥ずべき事なんだろうな。

 淑女として……と考えると、怒鳴るという事は結び付かないしなぁ。

 それでも、俺にとっては立派な淑女だけどな。


「ははは、まぁ、エッケンハルトさんじゃないですが、俺も、クレアさんを怒らせないように気を付け無いといけませんね」

「もう、タクミさん……私はタクミさんに怒るような事はありませんよ?」


 それはどうだろう……?

 確かに今までクレアさんに怒られた事は無いが、この先何があるかわからないからなぁ……。

 とりあえず、怒らせないように気を付けようと思う。


「ワフワフ」

「おぉ、レオ。お前もありがとうな。エッケンハルトさんに怒ってくれたんだろ?」

「ワフ」

「レオ様は本当に、タクミさんが好きなのですね……」

「ワフ!」


 自分も代わりに怒ったよ! と言うように、顔をこすりつけて来るレオを撫でて感謝する。

 クレアさんも、そんなレオを撫でながら、感心するような言葉。

 それを力強く肯定するように鳴くレオ……ちょっと面映ゆいな。


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