第7話 少女に愛される者には殺意がよく似合う


 「会いに来てくれたのですね、サクラ様」



 少女は頬赤く染めて、駆け寄ってくる。


 彼女の名前はアリス――――トクラター・アリス



 「……あぁ、えっと」と僕は言葉に詰まる。


  すると、部屋の中に戻ったサヲリが僕の手を掴み、強引に室内に招き入れる。


 「なにを!?」と僕の抗議を、サヲリは早口でかき消した。



 「あぁ、ごめん!気が回らなくてごめんよ!サヲリお姉さんはお邪魔でしたね!ではでは!アリス姫はサクラお兄ちゃんに可愛がってもらいなさい!」



 サヲリは、一気に言葉を捲し立てると次の瞬間には、部屋の外へ飛び出していた。


 その言葉は、台風のように暴れて、去ってしまうと静寂が支配する。


 まるで音が死んだみたいだ。


 困惑する僕に対して、静けさの中、確かに聞こえた。


 アリスの「……はい」という小さな、しかし力強い返事を



 トクラター・アリスは正真正銘の貴族である。


 言い方は悪いけれど、オントのように探索者から成りあがったダンジョン貴族とは違う。


 貴族とは、国家における文化の守護者。


 国の輸入輸出の貿易などを司るため、一時の利益に流されぬ高い倫理観と道徳心を必要とする人種。


 それが貴族である。


 その貴族において、トクラター家は特別を意味している。


 アリスの母親は降嫁――――つまりは旧王族から民間へ嫁入りした人だ。


 先代の王弟の子供であり、かつては王位継承権も持っていたらしい。


 つまり、王族に対して、最も強い影響力を持つ貴族になる。


 あくまで、継承権を持っていたのは、『かつて』であり、サヲリがアリスの事を『姫』と呼んでいるのは言葉のあや的なものである。



 そんな彼女は、僕にこう言った。



 「二人きりですね」



 「あぁ」と僕は答える。


 恐怖から、背筋が凍りつく。それを彼女に気づかれてはならない。


 できるだけ平常心を常に…… 先手必勝。彼女が、何かを言う前に……背負っていたバックパックから、鎖を取り出す。


 訓練用の鎖だ。それを彼女に渡し、セリフを添える。



 「勝てたよ。君のおかげで」



 歯が浮くような言葉。訓練されたとは言え、こんなにも自然に発せられるようになった自分に驚く。


 一方、アリスは赤く染まり切った頬を両手で隠すような仕草。



 「そんな……私なんか……全てはサクラさまの実力です」



 彼女の照れた表情に、僕の心拍数が急上昇しているのが感覚としてわかる。

 同時に死の気配が、濃度を高めていく。



 僕とオントの確執。


 それを知った彼女が訓練用の鎖を2つ用意してくれたのだ。


 差し上げますという彼女の言葉を辞退して、借り受けるという約束にしていた。


 訓練用の鎖。実は戦闘で使用される鎖よりも高価だったりもする。


 なんせ、学生同士が本気でぶつけ合っても――――人体に対する衝撃を、限りなく皆無へ近くづける魔法が、いくつも仕掛けれている。


 現に、空中で急加速した人間の攻撃を喉元に受けたオントは、医務室に行く事もなく、普通にその後の授業を受けていた。



 「それではお暇させていただきます」



 180度ターンを決め、僕はドアに手を伸ばし、退室しようとする。


 来たばかりではあるが、女性の部屋に長居するのはよくない。自分のためにも……



 しかし――――



 「お待ちください!」



 僕は動きを止めた。彼女の小さな手が、僕の服を摘まんでいた。


 膨大な殺意が僕へ降り注がれ、脳内から過剰な危険信号が警告を鳴らす。


 今……死が近づいている。


 そんな風に、僕が死期の訪れを迎えているとは、彼女は気がつく事はない。



 「サクラ様、お慕い申しております……いえ、自分の感情に嘘はつけませぬ……私は……」



 そんな彼女に、僕は……



 (嗚呼、死んだな、これは……)



 しかし、死の直前に迎える集中力。 着火を迎えたか如くの熱を持って脳がフル稼働を開始する。


 振り返った僕は、緊張で強張っているであろう顔を無理やりほぐし、笑みを作り上げる。


 発する声は低過ぎず、高過ぎず、聞く者に心地よさを感じさせるブルースカイのイメージ。


 一瞬の停止。次に笑みを崩し、真摯な表情を構築させる。


 そして――――



 「アリス、それ以上はいけない。きっと、僕が貴方に相応しい男に……いえ、貴族になってみせましょう。その時は必ず、貴方の元へ……」



 僕は最後まで述べることなく、部屋から飛び出した。


 そう、飛び出した。彼女アリスを振り切り、背後の扉が閉まり切って、彼女アリスの視界から逃げきった事を確認してもなお……


 決して広くない通路を人目を気にする事もなく……


 全力疾走で駆け抜けた。


 あらゆる物から逃避が成功する事を神さまに願いながら……



 一気の女子寮を抜け出し、足を止める事もなく、そのまま男子寮へ――――



 逃げ込む!



 その願いは叶わなかった。


 一瞬の浮遊感。誰かが背後から僕の首を掴み取り――――そのまま地面へ。



 「————うわぁ!?」



 叩き付けられた。しかし、衝撃もダメージもない。 僕は背中から地面へ衝突したはずなのだが……


 硬いはずの地面は、まるで羽毛で作られた毛布のように優しげですらあった。

 一体、どんな技を使われたのか? 見当もつかない。


 気がついた次の瞬間には、僕は自分の両足で立ち上がっていた。


 目の前には、その技を仕掛けた人物がいる。


 その人物は、ついさっき部屋で別れたはずの彼女……




 そう、彼女――――その人物の名前は……




 ラン・サヲリだった。





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