平和の味と安寧の家

 帝城を出て歩き続け俺は一つの建物の前に立っていた。

勿論、宰相殿に紹介された借家に来たはずなのだが。


「おとさん、ここおうち違う、たべものやだよ」

「エル、ここは上に玄関があるアパートも兼ねてるようだぞ」

「本当だ」


 そこにあったのは喫茶店だった、しかし横に階段が備え付けられており、それを登れば上の玄関のある廊下につながっている、3部屋って所か。

 部屋が空いていればいいんだが、不動産を扱う店ではなく直接この住所を紹介したのは、おそらく上の賃貸はこの喫茶店の店主かそれに準ずる者が管理しているのだろう。意を決して喫茶店の中へと入っていく。


「いらっしゃいm……守護英雄様!? な、なんで、このお店に!?」


 軽やかなドアベルを鳴らして入れば。女性の店員が挨拶をしてる途中で俺に気づいたのか思い切り驚いていた、ひとまず落ち着くように言って、こちらで部屋を貸していると紹介を受けたと話せば現在上の部屋を管理する者は留守にしているそうだ。

 なら先に服なんかの生活に必要な者をそろえてから……ぐぅ~


「おとさん、お腹空いた」

「そんな時間か、ここで食事は?」

「は、はい! ございますよ、お席にご案内しましょうか!」

「ああ、頼むよ」


 女性店員はこちらですとガチガチになりながらもテーブル席へと案内してくれる。

落ち着いた雰囲気のするいい店だ。まばらだが人が入ってるな、何人かがこちらを見ている、やはり英雄の名前は大きいみたいだな。店員は彼女と厨房に男性と老婆が一人いる。ここにもう一人、留守にしている店主といったところか。


 エルは俺の隣に座って、既にメニュー表を開いていた。俺も横から覗いてみる。

コーヒー、サンドウィッチ、ミートボールスパゲティ、アップルパイ。

普通に喫茶店だな。ちなみにこの異世界の名称はほぼ向こうの世界と一緒だ。

一部の言葉は置き換わっているが、ほぼ一緒だ。

おそらくは女神の力で俺達にはそう聞こえる修正力が働いているか。

この世界を作った女神が地球を参考にした、そんな所か。


「おとさん、エル、スパゲティとアップルパイにするー」

「そうか、すまない店員さん」


 手を挙げて女性店員を呼び、エルの注文と自分も同じのとコーヒーをと注文する。

それと一緒に銀行券で支払いは出来るかを尋ねれば、問題なくできると言ってくれた

そうじゃなかったら、大急ぎで銀行に走って現金を下ろしに行く必要があった。

 しばらく待てば先に来たのはコーヒーだった。角砂糖も一緒に持ってきてくれたので2つほど入れてよくかき混ぜ早速飲む。


 俺はコーヒーの香りだとか、風味がなんたらだとかコクがどうたらだとか、酸味が効いてるだとかそんなのはまったくわからない、だがこのコーヒーは美味い、そう思った、考えてもみれば、ここ数十年俺の飲み水と言えばよくて普通の水、一番ひどい時なんかだと…………考えるだけでも気が滅入るのでやめておこう。


 とにかくまぁだからこそだろう、俺はこうして味のついた飲み物を初めて飲んだそんな感覚すら覚えている、このコーヒーは美味い、誰が何と言おうと。


「おとさん、それ美味しい? どんな味?」

「そうだな……平和の味だ」

「へいわ?」

「そうだ」


 何味かと問われてるのだからコーヒー味でもいいかもしれないが。

喫茶店で何気なく心安らかにコーヒーを飲むことが出来る時代。それはすなわち平和な時代と言えるだろう、だからこそ今俺が味わってるのは平和の味と気取ってみた。

そんな風にコーヒーの味に酔いしれていれば、次に来たのはスパゲティだった。


 一口食べる……美味い、こちらも散々食べてきた魔法で兵士が作ってくれた携帯食ではない、誰かが手ずから作ってくれた、きちんとした食材を使った料理なのだ。

俺はこれが誰が何と言おうと世界一美味いスパゲティだと断言できる、美味い。

俺はきっと食レポには向いていないだろう、この先数年は何を食っても美味いという感想以外は出ない気がするぞ、うん。


「おとさん、このスパゲティ美味しいね!」

「ああ……」

「やっぱりへいわの味がする?」

「……ああ」


 エルも口の周りにトマトソースをべったりつけながらスパゲティを食べていた。

エルにも言われた平和の味、こうしてこれからも一緒に食事が出来るのはきっと多くの幸福を生むだろう。


 それ以降は喋ることなくスパゲティを二人で食べ進め、やがて皿にフォークで乾いた音をさせてしまう、もう無くなったか、夢中で食べてると無くなったのもわからないとは。


 テーブルに備えついていた紙の布巾で口周りを拭く、エルも口の周りがトマトソースで酷いので拭いてやる、さて食事が終わったが管理人はまだ来てないのだろうかと思っていたら、声を掛けられる。


「こんにちは守護英雄様、部屋を借りたいとお聞きしました。まずは自己紹介を私、この店のオーナーでウランと申します」


 声をかけてきたのはこの店のオーナーで上の部屋の管理人もしているというウランと名乗る60を過ぎたくらいだろうか、頭髪こそないが口と顎に豊かな髭を蓄えたご老人であった、どうやら俺の食事を終えるまで待っていてくれたようだ。


 とりあえず、前に座らせていただいてもと言うので、勿論どうぞと俺は立ち上がり椅子を引いてやる、ウランさんは英雄様に椅子を引いてもらうだなんて光栄ですなと言ってくれた、そんな大層な事はしてないつもりだが。


「さて、部屋ですが、誰に紹介されたので?」

「宰相閣下に」

「ああ、アト君に、失礼、宰相閣下を私はこう呼んでいてね」


 そういえば、宰相閣下はアトムという名前だったか、愛称で呼び合うくらいには親しい間柄なのだろうか、そこはさして重要ではないので聞き流し、部屋はいくらで借りられるかの相談を始めることに。


「部屋ですが、開いておりますよ」

「そうですね、階段に近い部屋でどうでしょう?」

「そこで構わない」

「それでは後の細かい手続きや初期費用などはこちらで整理、負担しますね」

「いいのか?」

「はい、私からの守護英雄様へのご帰還のお祝いとして受け取って貰えれば」

「ありがとう、だがこう言った忖度はこれきりで頼む」

「…………かしこまりました」


 お礼は一度だけ、守護英雄だからと何でも貰っていては気が引ける。

それに戦争や乱世、騒乱で生まれた英雄は表沙汰にし過ぎるのはよくないと思う。


 国民は今、戦争を少しでも早く忘れ、日常に帰るべく頑張っている。

そんな中で戦争で輝かしい活躍をした英雄に未来永劫とまで言わなくとも、長きに渡る感謝を等と取り上げれば忘れたいものも忘れれないだろう、ウランさんは宰相閣下の知り合いというべきか察してくれたようだ。


「お待たせしました、アップルパイです……あ、すみませんお話の途中で」

「構わない、エル、アップルパイだぞ」

「いっただきまーす……うんまーい! おとさんも食べてみて! はい、あーん」 


一口フォークに差してこちらに向けるので折角なので頂く事にする。


「…………ふむ、確かに美味い」

「でしょー、とってもへいわの味する?」

「ああ、とっても……失礼、話の続きを」

「いえいえ、当喫茶自慢のアップルパイです、英雄様の舌に合ったようで」


 エル、平和の味のフレーズそんなに気に入ったか? まぁ、味の感想についてはただ単に久しく甘味を食べていなくて、そのせいもあって余計に美味いと感じるだけなのだが、言わぬが華だろう、エルはおいしそうにパイを食べてるしな。


 ウランさんにこの後、エルが食事を終えたら早速部屋を使っていいかを尋ねれば。

勿論、どうかご自由にお使いくださいと言ってくれた。


 そうして、エルがアップルパイを食べ終えたので勘定を済ませ、階段を上りすぐの部屋の扉を開く、部屋は2LDK、リビングと洋室の間は稼働壁になってるようで。

それを使えば1LDKにすることも出来るだろう。風呂やトイレも備えついている。


 一通りの魔道製品までもが揃っていた……まあどれも俺には使えんがね。

ま、エルが使えればそれでいいだろう、最悪エルに手伝ってもらおう。

 ただまぁ、しばらくはこの家でゆっくりと安寧を享受させてもらうか。

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