これは我が部の活動方針に反している。

詩野

奇行に走る

第1話

 初めての高校生活と聞いて人は何を想像するだろうか。

 通いなれた道を離れ、定期を使った電車通学。まるで知らない土地ではない。けれど親しむ程慣れた土地でもない。義務教育期間の自分と別れ、心機一転のリスタート。

 窓の外を流れる景色の中にショッピングモールやゲームセンターを見つけて、新しい友達と帰りにそこで遊ぶ事を想像するかもしれない。

 車内、スポーツバッグを下げた学生を見て、共に部活に励む自分を想像するのかもしれない。

 或いは対面に座る同じ制服の女生徒と目が合い、甘酸っぱい妄想を膨らませたり。

 それは十人十色だろうが、共通してその色は暗いものではないはずだ。

 けれど、だ。

 果たしてその思い描いた通りの色を描ける者が、思い描いた通りの色のままで高校生活を完遂出来る者が一体どれだけいるのだろう?

 ワインに泥の一滴。泥色の絵の具というのはそこかしこに降って来るものなのだから。

 俺が想像期待していた高校生活は無色。派手な色遣いはいらない。地味であっても暗くはない。流される事はあっても染まることはない。

 絵の具の棲み分けが出来ていればそれで良かったというのに。


「たそがれている君は非常に絵になっていてそれを崩すのは大変申し訳ないとは思うのだが質問をいいかな?」


 夕暮れの教室。出入口上部に掲示されているのは2-Eのプレート。生徒数の減少に伴い空き教室となり、現在は部室として使用されている。

 何の部活かといえばそれは勿論、俺が所属している部活だ。無色で地味な俺にぴったりな『帰宅部』の部室……という事になっているらしい。


「高校生活を自ら望んで入学したのにも関わらず、多くの人間は長期休暇を何よりも楽しみにする。不思議だとは思わないか?」


 放課後、真っ直ぐ家路につかず読書に勤しむ不良部員である俺──甚だ不本意である──に『帰宅部』の主が不思議でも何でもない質問を投げかけてきた。


「質問を許した覚えはないが」


 そう返しつつもどうせ無視しても無駄に終わる事を知っているため、仕方なしに文庫本を机に伏せて視線を向けた。

 腰まで届きそうなほどの黒髪を束ねるでもなく、腰かけた時に床につかないギリギリで切り揃えた髪型に、猛獣の物を移植したのだと言われば信じてしまいそうな瞳。

 その容姿は十人中十人が思わず目で追って、しかし気後れして声を掛けるのは十人中二人ぐらいに収まりそうな程には麗しい。けれど懲りずに声を掛け続ける者は一人も居ないだろうな。


「別に不思議でも何でもないだろう。俺だって夏休みは楽しみだ。夏休みの為に学校に通っていると言ってもいい」


 そんな帰宅部の主様の瞳が、良いから答えたまえよと言っている。

 投げやりに回答すれば主様は心底不思議そうに口元に指を当てて小首を傾げらっしゃった。


「? ならば初めから進学などしなければいいじゃないか」

「仮に進学しなかったとする。そうなれば進路は一つだけ、就職だ。十五から社会に出てあくせく働くなんて御免被りたい」


 見解の不一致。いつもの事だ。彼女と俺の見解が一致する事などほとんどない。

 というより彼女は基本的に同意を求めない。意見を求めているのかと言われればそれにも素直には頷けないが。


「ふむ。つまり君は就労よりも就学の方が楽であると考えているわけだね」

「俺は、というより一般論だろう。学生時代は良かった、なんて酒臭い息と一緒に零す大人がどれだけいると思ってる」

「在学中で未成年の私にはまだ共感できない一般論だね。もしも飲酒をしたら全く逆の感想を漏らすかもしれない」

「ならこの話は終わりだ。成人した後で自分で答え合わせをしてくれ」


 視線を外し、壁掛け時計を見やる。時刻は五時半。

 授業が終わり、この部室にやって来たのが四時と考えればもう一時間半だ。俺が熱心で誠実な帰宅部生徒だったら既に家に帰って風呂に入って、さあ後は飯を食べて寝るまでの自由時間だ、と放課後を満喫してる時間帯。いや今からでも遅くはない。帰りたい。

 だが帰宅部の主様は俺の下校を許してはくれない。文化部の下校時刻である六時まで拘束が約束されている。

 毎日下校時刻一杯まで部活動。そう聞けば学生生活を満喫しているな、と感想を抱く者もいるかもしれないが色にたとえれば決して薔薇色にはならない。少なくとも俺が理想とする無色には程遠い。


「さて残り三十分。私のような美人に見つめられながら読書に勤しむのと、私のような美人と見つめ合いながら討論に勤しむの。君はどちらが好みかな?」

「変人にちょっかい掛けられながら集中力を鍛えるか、変人に付き合って精神力を削られるか、の間違いだろ」


 大勢に流されるのは仕方ない。多色に紛れるのも構わない。

 けれど一人に染められるのだけは勘弁してもらいたい。




 ◇◆◇◆




 俺がのちに帰宅部の主と呼ぶ彼女に出会ったのは五月の事だ。

 高校に入学して一ヶ月が過ぎ、GWが明け、新たな人間関係の構築に勤しんでいた同級生たちの活動も一定の成果を結び、落ち着きが出てきた頃である。

 とある日、そんな落ち着きが僅かに乱れ、教室が騒めいていた。


「ねえ聞いた? 転校生が来るんだって」

「聞いた聞いた。やっぱC組なんでしょ? なんか見た人の話だとすっごい美人らしいよ」


 SHR前、クラスメートたちの大半が登校し出揃った頃、近くに居た女生徒たちが三人寄って噂話に花を咲かせていた。信憑性の薄い噂で期待値が上がりに上がっている転校生とやらは不憫なことだ。

 中学までとは学区が異なる、はじめましての同級生たち。中学までの同級生や本格的に始まった部活動で同じ部に所属していなければクラスが一つ違うだけで学校生活を送るうえで関わる事はほとんどない。

 この噂も今がピークだろう。何人かは話のタネに覗きに行くのかもしれないが、気付けばその転校生とやらもこの学校に溶け込んでいく。

 もっとも、おおよそ人間関係が安定したこの時期の転入でクラスに馴染めるかは知らないが。


「なあツッキー、美人と聞いたらどんなのを想像する?」


 遅刻ギリギリに登校してきた目の前の席の百々原とどはらがにやけ面をこちらに向ける。いつも思うがこいつのパーソナルスペースは近すぎる。女子に対しては弁えているのは幸いか。


「さあ。黒髪の日本人形みたいな奴じゃないか」

「つまりは古き良き大和撫子タイプってわけだ。うん、僕も同感。だけど女子が噂にするならその想像は裏切られると思っていた方がいいんじゃないかな」

「ほー。というと?」


 別に興味もないが、時間まで付き合うだけなら抵抗はない。こいつの話も信憑性は怪しいが、単純な聞き物としては時間潰しにはなる。


「僕たち健全な高校男子が想像する美人と一般的な女子高生が想像する美人にはズレがあるってことさ。勿論、まるで違うとは言わない。美人の条件を互いに五つ上げていったら二つは被って、残り三つは共感を得られない、ぐらいのズレかな」

「同性なら目の付け所が違うのも自然だろう」

「そうかな。黄色い悲鳴を上げられる男の芸能人を見て、これの何処がいいんだ、とはあまり思わなくないかい? あ、嫉妬は抜きにしてね」

「まあ騒がれるだけの事はあるなと思うだけだ」


 それほど興味があるわけではないが、テレビくらいは眺める。人気の俳優なりアイドルなりが出ているドラマを見て、成程、確かにと納得した経験もある。


「けど男性からの支持も集める男性芸能人と女性からも支持を集める女性芸能人では前者の方が圧倒的に多い」

「そうなのか」

「ああ。僕の主観だけどね」

「つまり大して当てにならんということだな」


 てへ、と自分で頭を小突く百々原が小憎たらしい。こいつのこのキャラは高校デビューという奴なのだろうか。だとしたら俺という高校男子から見て、そのデビューは失敗していると言える。これが中学以前からのキャラだというのなら、今更変えられんだろうなとも思う。


「僕は転校生は大和撫子タイプではないと推測するよ。噂が広まったのは休み明けの今日、女子の間でだ。多分、土曜日にでも事務処理の関係で転校生が学校を訪れ、それを部活で登校していた女子が偶然見かけたんだろう。なんでも学年主任と一緒に居たらしいから、それで一年生と判断したんだ」

「どうして見たのが女子だと言い切れる。もしかしたら男子が同じ部活の女子に話したかもしれない」

「ツッキーは転校生が物凄い美人だ、なんて思っても女子に話すかい?」

「俺は話さん」


 これだから男子は、とでも言いたげな視線を向けられるのが関の山だからな。

 だが百々原ならまたこいつは、程度の呆れた視線で済みそうだ。そう言ってやると百々原は肩を竦めた。


「それはつまり僕が軽薄そうに見えるってことかい? 間違ってはいないけどね。でも僕なら女子に話すより先にクラスの男子グループチャットに流すよ。美人転校生の情報は隠しておきたい類のものじゃなく、誰かと共有して盛り上がりたい類のものだからね」

「グループチャット?」

「ツッキーもいい加減にスマホにしたらどうだい? スマホのアプリだよ。このクラスだけでも男子グループ、女子グループ、それからクラス全体のグループチャットがあるのさ」


 スマホねえ。ガラケーの通話とメールだけで連絡ツールとしては十分だろうに。

 それに画面が大きすぎて充電の減りが速そうだ、なんて言ったら古い人間だと思われそうだから口にはしない。


「それで、その男子のグループチャットとやらに話が出ていないから女子が見た、と?」

「うん。それで女子が噂するような美人はどんなタイプかって考えると、僕は今時のおしゃれ女子だと思うね。髪は茶色のゆるふわヘアーで二時間は掛かりそうなネイルで両手を飾って──」

「まーたくだらない事で盛り上がってるねえ」


 百々原の予想が妄想に変貌を始めた時、左隣から呆れた声が掛けられた。視線だけでは済まなかったか。


「そんな君らに朗報だよ」

「あはは……木原さん、朗報って?」


 活発そうな印象を受ける茶色ががったショートカットヘアー。女子にしては高身長でバレー部に入部したという彼女はこの一月で席が隣だからという理由でそれなりに会話の機会があった、木原 沙織だったか。

 百々原と同じく人見知りしないアクティブな性格だが、百々原は少し彼女を苦手としているらしかった。恐らく、会話の回り道を好む百々原とは彼女の即断即決即行動の生き方は相性が良くないのだろう。俺としては話が早くて助かる。


「喜びたまえ、C組の転校生は黒髪美人だそうだ」

「え、マジで!?」

「凄い食いつき……だから男子ってやーね」


 冗談めかしだが、どうやら百々原でも美人の話で盛り上がると白い目を向けられるタイプだったらしい。というか巻き込まれて俺も同一視されている。とんだもらい事故だ。


「いやいや、そうじゃなくてっ。僕はただ自分の予想が外れた事に驚いてるだけだよ! それ、誰からの情報?」

「ん? あたし。だってその転校生見たのあたしだもん。職員室まで案内してあげたの。めっちゃ可愛かったわ」

「ええ……こんな近くに噂の出所があったなんて……」


 予想が外れ、完全に噂に振り回されていた事に百々原は肩を落とした。

 百々原は振り回され損かもしれないが、ちょうどいい時間だ。

 チャイムと同時に教室に入ってきた担任を見て、俺は頬杖をつく手を入れ替えた。

 その後のSHRで噂通り、転校生──正確には編入生らしい──が今日からC組に入る事が伝えられた。

 担任の轟は言葉数の少ない、それなりに厳格な教師なために業務的な報告だけだったからか、SHR後の教室では噂の転校生について少し話題に挙がっていた。別クラスとはいえ話のタネぐらいにはなるのだろう。

 何人かは連れ立って転校生を一目見ようとC組に向かっていた。1限前の短い時間でご苦労なことだ。空いた目の前の席を眺めても労いの気持ちは湧いてこないが。


「ツッキーは噂の転校生が気になんないの? すっごい美人だったわよー?」

「クラスも違うしな。見るだけなら学校に居ればその内機会もあるだろ。わざわざ教室まで出向くほど、野次馬根性は持ってない」

「つまんない反応だなー。百々原ぐらい正直な方が可愛げあるのに。硬派すぎても女の子にモテないよ」


 ほっとけ。別に硬派気取ってるわけでもない。元からこんなだ。高校デビューなんて言葉も俺には縁遠い。

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