第51話 死ぬときの音楽

 何度も言うが、電波のない夜は深く長い。

 そんな夜は余計に誰かを恋しいと強く思う。



 スープを皆に振舞ふるまって、本を取りがてら美月に一皿持っていったら、お返しにコーヒーを作って持って来てくれた。隣の森田にも。

 しばらく森田のサイトで3人で話していたが、美月が管理棟に帰って行った。


 僕も自分のサイトに戻り、管理棟から持ってきた本を読んでいると、


「マナさん、少し宜しいですか?」とおずおずと声をかけられた。


 森田だった。




 僕は本を急いで閉じて机に置いた。


「はい、もちろんいいです。どうせ暇ですしね」と笑うと、彼は上品に笑い返した。


(とてもじゃないけど今夜を考えてるような人には見えないな…)


 でも管理棟で受け付けした際の彼の頭の中は『誰にも迷惑をかけない場所で死なないと…』という切迫感であふれていたのだ。


 彼は椅子を持参して僕の机越しの向かいに置いて「失礼します」と言ってからかけた。そして僕の本を見て、


「何を読まれているんですか?今時の若者の読書に興味がありまして」と恥ずかしそうに聞いた。他人の読んでいる本に興味があるなんて、よっぽどの読書家なのだろう。


「そんな威張ってお見せするような本ではないんですが…これです」


 僕は彼の前に寺山修司の『青少年のための自殺学入門』をスライドした。

 彼はそれを見て案の定目を丸く見開いた。


「ど、どうしたんですか?マナさんは悩み事でもおありですか?良かったらお聞きします」


 明らかに動揺して僕に言った。


「…実は、彼氏がハワイにいるのですが、夏休みに遊びに行ったときに彼の浮気が発覚したんです。彼が歌うバーに内緒で行ったら…知らない女の人としてるのを見ちゃって…すごくショックを受けました。一応指輪ももらって仲直りはしたんですが、やっぱり不安で…でも彼以外考えられないですし、死んでしまおうかと思っています」


 とっさにリアムのことを言ってしまった。ほぼ本当なだけに、言ってるうちに悲しくなってくるじゃないか。僕はそんな理由では絶対死なないけど。


「そ、そんなことが…それはお辛いですよね…信じてた人に裏切られるのは…でも若いのですし、とにかく彼とは別れて別の人と生きてみてはいかがでしょう?」と彼は親身になって提案した。


(まあ、そうだよね…)


「彼じゃないとだめなんです…今なら彼も僕を好きで僕も彼を好きってわかってる、最高のタイミングだと思って。でもこの本を読むと、死ぬのも大変なのでどうかなって思います。一人ではとても面倒で死ねないですよ。仲間がいればいいのですが…」と言って僕は愁傷な振りでうつむいた。


 森田はしばらくじっと自分の握りしめた拳を俯いて見つめていたが、思い切ったように顔を上げて僕に告白した。


「…では、マナさん、私が協力します。実は私はすぐにでも死にたくて、でも死ねそうになくて電波のないここに来たんです。私は何をしたらいいのでしょうか?教えてください」


(

やっぱりそうだったんだ…)


 そして僕たちは真っ暗の海を前にして、自殺の協力をし合う約束を交わした。




「えっとですね、この本によると『死ぬ自由くらいは自分で創造しよう』とあります」


「は…?すいません、意味がよく…」


 森田は明らかに戸惑っている。


 そりゃそうだ、死ぬのに創造とかいう言葉があまりにそぐわない。管理棟にお客様が寄付していったたくさんの本の内の一冊なのだが、僕も読んだ時は面喰めんくらった。


「自分らしく死を装飾するんですよ。せっかく死ぬんですから、人から『あいつはつまらない死に方だったな』って言われたらすごく悔しいじゃないですか!正確な死の意味を周りに伝えねばなりません。それも個性的に。

 ではまず、死ぬときの音楽を決めましょう!」


「お、音楽ですか…」


 彼は最初は混乱していたが、頭がいいのかすぐに切り替えて理解したようだ。なるほど、と真剣に言っている。

 素直で真面目な人なのだろう。まあ、真面目だからこそ死に場所を求めて来たのだ。


「そうです。僕は明るいのがいいですね、そうだ、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』にします!結婚気分を最後に味わうことが出来るかもしれません。森田さんはどうしますか?」


 僕は紙とえんぴつを管理棟から借りてきて、(もちろん美月には『森田さんやっぱりだった』と報告した)表を作り、『マナ』の列の音楽の欄に『結婚行進曲』(メンデルスゾーン←ワグナーではないので注意)と書き込んだ。

『森田』の列ももちろんある。


「そ、そうですね…私は仕事ばかりで音楽など聴いてこなかったので…」


「若い頃は聴いてませんでした?そうだ、奥様との思い出の曲とかはどうですか?」


「ああ、ありますね…いえ、家内との思い出の曲を自殺の音楽に使うなんて彼女に申し訳ないので…」


「そうですか…奥様の事を愛されているのですね。羨ましいです。浮気なんてしなさそうで」と少し、いや、かなり本気で聞くと、


「もちろんです!私は全身全霊で家内と娘を愛してます!!浮気なんて恥ずべき行為をするわけがありません!」と立ち上がって言ってから、恥ずかしそうに座った。


 どう見ても家族を愛してる裕福で真面目な男性だ。

 家庭には問題がなさそうに見える。今頃家族が死ぬほど心配して探し回っていることだろう。

 という事は、仕事、だろうか?まあいい、もうすぐ消灯の時間だ。


「では、宿題にしましょうか。僕は焦ってないので、森田さんの答えを待ちます。死ぬのは一回切りですからね、お互い満足なものにしましょう。では、僕はシャワーを浴びてきます。

 そうだ、この本ですが何度も死ぬ勉強の為に読んできたので、良かったら森田さんも読んでおいてください。イメージがくときっといい曲も思い浮かぶと思います。お互い素敵な自殺にしましょうね」


「は、はあ…ご丁寧にありがとうございます、ではお借りします」


 森田さんは生真面目にその本を両手で受け取って頭まで持ち上げ、感謝の気持ちを表した。その様子を見て僕は決心した。


(こ、この人は間違いなくいい人だ…彼を死なすわけにはいかないよ)


 僕はその本を1回しか読んでいなかったが、読んだら大抵の人は面倒で、そんな本だった。僕はその本をナユに読んで欲しかった。

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