第45話 鹿の案内

 僕たちがテントに入る準備をしていると、ガサガサッと暗闇から1メートルくらいの塊が飛び出てきた。


「ひゃっ!」


 驚いて思わずリアムに飛び付いた。お化けは信じてないが、リアルな脅威にはびびる。

 リアムの身体が震えたので見上げると、


「鹿、だよ、マナ」と言って笑いをこらえ、背中をポンポンと優しく撫でた。


「やだ、すごくびっくりした」と言いながらもまだしがみついていた。身体がまだ驚きの余韻の中にいる。


「ふふ、マナが珍しい。怖いもの、あるんだね。安心したよ」


「僕にだって怖いものくらいあるさ」


 僕は頬をふくらませて彼から離れ、黒目でこちらをじっと見ている鹿を見る。無駄なものが何一つ付いていない造形がとても美しい。


「何かあるかなぁ…パン食べさせてもいい?」とリアムに聞くと、


「少しならいいと思うよ」と笑って答えた。


 僕は保冷ボックスからパンを一切れだけとりだし、おいで、と手招きした。


「野生だもの、来るわけないよ」


 動物に詳しいリアムは言ったが、鹿はテクテクと躊躇ちゅうちょなく寄ってきたのでリアムが驚いた。


「この子人間に慣れてるんだね…」


 パンを食べると、鹿が僕の袖をくいくいと引っ張ってどこかに連れていこうとする。そこには明らかな意志があった。


「ん?来て欲しいの?」と聞くと、頷いたのでリアムが驚いた。


「鹿が頷いた!マナも見た?」


「うん…」


「もしかして、お使い?」と僕が聞くと、また鹿は静かに頷く。


(これは…間違いない)


「リアム、ルリさんの話はあとになりそうだ。るものを持って、鹿に付いていこう」


 僕がそう言うと、リアムが今度は飛び上がるほど驚いている。そりゃそうだ、でも行かなくちゃならない。


「え?マナ、気は確か?鹿だよ?」


「この子を使って誰かが呼んでるんだ」


 僕が真剣に言うと、彼は一瞬考えて答えた。


「…わかった。マナを信用するよ」


 彼の話が早いリアリストなところが好きだ。



 僕たちは、最低限の持ち物、つまり、携帯と歯ブラシとパン、下着と着替え、人形を持って、鹿に付いていくことにした。

 車は仕方ないので置き去りだ。テントは適当に畳んで車に放り込んだ。


「マナと出逢ってから色んな事が起こるけど、今回も自分で見たから信じるしかないな」とリアムが面白そうに獣道を鹿の後を辿りながら言った。


 鹿はたまに後ろを確認しつつ、迷いなく進んでいく。本当に人間みたいだ。


 僕だってルリに会うまでそんなの信じてなかった。でも見えないし聞こえないリアムには言わないほうがいいのかもしれない。下手したら僕は異物として気持ち悪がられてしまうだろう。


「マナ、大丈夫?」と彼が心配して後ろから声をかけた。


「う、うん…わわっ」


 振りかえって彼の顔を見た瞬間、体重を乗せていた石が動いて足首をくじいてしまい僕はうずくまった。


「てててっ…やっちゃった、ごめん。でも戻りたくないし、少しじっとしてたら行けるよ」


 彼は僕の側に屈み、医者の卵らしく僕の足首を長い指で触った。鈍い痛みが足首を貫いた。


「どう?」


「だ、大丈夫だよ」


 僕が痛みをこらえながら言うと、彼は呆れたように笑った。


「嘘、痛いんでしょ。さ、背負ってあげるから」と言って自分の荷物を前にしょった。


「え…僕重いんだけど…大丈夫?」


「マナくらい大丈夫だよ。もう大分と身体は元に戻ったから」


 彼は僕が乗りやすいよう背中を差し出した。


(困ったな…)


 迷っていると、


「もう!ほらっ」と強引に手を引っ張って僕を背負った。


 温かくて広い背中に安心する。


「重いでしょ、ごめんね」


「全然。空気みたいだよ」


(そんなわけない)


 リアムと僕が笑うのを、鹿が馬鹿らしいと言わんばかりに見ていた。




 20分くらい歩いただろうか、真っ暗なのでわからなかったが、不意に森を抜けてひらけた土地に出た。街灯が少なくて暗いので見にくいが、ポツポツある家のなかのひときわ大きな家に案内された。 


 彼の背中から降ろしてもらって「ここ?」と鹿に聞くと、頷いてからタタタっと早足で歩き、裏の引き戸の前に立った。


「いらっしゃい、待ってましたよ」


 戸板ががらりと音を立て、白髪の上品な女性現れた。彼女は用意していたご褒美のみかんを手のひらに乗せ鹿の口に運んだ。その美しい手の動きに僕は見とれた。

 鹿は嬉しそうにみかんを食べてから、タンッと飛んで森に入っていった。まるで「あいつんらおせーんだよな、案内するの疲れたよ」って感じだ。


 そして僕たちはなりゆきに呆然としていた。




「さ、取り敢えずお風呂を用意してるから、ちょっと待ってね。マナはこっちに来て足を出して」


「…は、はい…」


 僕たちは家にいきなり招き入れられ、泊るよう勧められた。僕らが来るのをわかっていたように。

 彼女はシズと名乗った。この広い家に独りで住んでいると言う。

 家の中はセドロール(ちなみに化学式はC15H26Oだ)という杉などに含まれる針葉樹のいい香りで満たされていて、すぐに眠れそうなくらいにリラックスしてしまう。


「少し動かないでいてね」


 彼女が僕を囲炉裏のそばに座らせ、目を閉じて僕の足首の腫れた部分に手を当てた。

 彼女の掌から金色の極々細い糸が何本か出て、僕の足に入っていった。僕は驚いてリアムを見たが、彼にはその糸が見えていない様だ。

 そして、驚くことに5分ほどですっとれがひいた。痛みもなくなっている。


「…あり得ない…」

 

 リアムが呆然として呟いた。

 

(そりゃそうだ、医者の存在意義を疑うくらいの出来事だもんな…)


「えっと…ありがとうございます。とても不思議な技ですね、ルリさんから聞いてはいましたが、実際目の当たりにして感動しました」


「あなたも修行したらできるようになるわよ。ルリからもらったんでしょ?」


「多分、そうだと思います。以前は出来ない事がいろいろと出来て戸惑ってしまって」


「良かったら使い方を教えるから、ここに修行にいらっしゃい。いつでもいいわよ。そちらのルリのひ孫がいいって言ったらね」


「だ、ダメだよ、絶対許さない」と焦ってリアムが言った。意味がわからないながらも嫌な予感がするのだろう。


「だそうです」と僕が笑うと、


「やっぱり。こんな力は危険だってわかってるのね。さすがルリのひ孫だわ、賢いのね」と言って、彼の銀色の髪を綺麗な手で撫でた。野良仕事とは無縁の手だ。


 僕らは英語と日本語のちゃんぽんで話しているのに、話が問題なく通じる。これも彼女の能力なのだろう。


「なんか…グランマに似て、る…?」とリアムはシズを見て言った。


「そうね、似ていてもおかしくないわ。あなたの曾祖母ルリは、私の叔母に当たるの。ここの家の女性は代々能力を受け継いでいるのよ。そして、そのルリの能力は魂の成り立ちが似ていたマナに移行した。思い出してごらんなさい、ルリは不思議な人だったでしょ?」


「…はい」


 いろいろ思い当たる節があるのだろう、彼はすぐに返事をした。


「俺、10歳の頃、誘拐されたんです。その時…グランマが助けてくれた。本当に不思議だと周りの大人が騒いでいたので覚えています。なんで居場所がわかったのか、とか、見張りの誘拐犯をどうやって眠らせたのか、とか。でも今やっと腑に落ちました」


 神妙な顔で考えていたが、でもやっぱり咀嚼そしゃくしきれなかったようで銀色の髪をいている。


「さ、お風呂に入って頭と体をスッキリさせましょう。案内するわ。そうだ、広いし良かったら二人で入る?」


「い、いえ、結構ですっ」


 真っ赤になったリアムは速攻で申し出を断って部屋を出ていった。笑いながらシズは彼をのんびり追いかけた。



 彼をお風呂に案内して戻ってきたシズは「ルリの人形、触らせてもらっていいかしら?」と僕に聞いた。

 なんで持っているのを知っているかはもう聞くまい。ここでは不思議が不思議として機能しないのは十分にわかった。


 僕は頷いて、リュックから30センチほどの日本人形を丁寧に出した。髪は傷み、着物も正絹だから黄ばんでいるが見るからに高価なものだとわかる。目に力があるのでまるで生きているかのようだ。


「ああ、ルリ…あなた大変だったのね…でも良かった、リアムとマナが出会ったのがあなたの救いになったのは神様の計らいね」と人形に話しかけている。


「やっぱりルリさんここに少しいますか?」


「わかるかしら?ここに彼女の心が残っているの、本当に少しだけど…。義姉を、つまり私の母を慕う心が強いわ。腹違いの姉妹だった。ルリは苦しんだのね…とても可哀そうな子供時代だったと聞いてるわ。でもいらない子だったおかげでここから出られた。彼女はそれをわかってて、出られなかった姉に申し訳ないって思ってたの。母は一生ここから出ないまま亡くなった。私もそう、ここから出たことがない」


「え…?今の時代ならもう出られますよね?なんなら僕らの車に乗って一緒に出ませんか?」


「いいのよ、私はここに残るとずいぶん前に決めた。私を守るために残っている村人の為にも最後の蚕様として勤めを果たしてここで死ぬってね」


「…そんな…」


「マナ、これはたくさんの道の中から自分で決めたことなの。母は私が若い時にルリみたいにここから出るように私に勧めたのよ。その時日本は大きな2度の戦争のせいで混乱していた。この村も例外ではなかった。混乱に乗じて村長の息子さえ出て行ったわ。だから出ようと思ったら出られたの。でもね…捨てられなかった。どの道を辿っても後悔するってわかってたから」


「シズさん…」


 僕はシズさんが抱いている人形が悲しんでいるように見えた。

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