第44話 キャンプにレトルトは便利な優れもの

「ほ、本当にこの道?」


「うん、多分…。一本道だし、これで合ってると思うんだけど…」


 僕らは車で三重県の山中さんちゅうの一本道を奈良県に向かってゆっくり進んでいた。まだ6時なのに辺りはだんだんうす暗くなってくる。山の影なので陽がかげるのが早い。


 リアムが不安そうな声で聞くので僕もドキドキする。でもこの道しかない。


 すれ違いなど全く出来なさそうな細い道をずっと登ったりくだったりしてる。たまにバス停があるので、これでもメインの道で間違いないはずだ。

 曲がり角以外ガードレールのない道の下は崖になっている。崖はリアムの側なのでたまに見ては「ひゃっ」と小さく悲鳴をあげた。


 そう、僕らは命の危険を感じていた。


 落ちたら1年は見つけてもらえなさそうだ。だって母には詳細を伝えてない。ただ、三重県の山奥でリアムとキャンプをしてくるって言っただけなのだ。


(まさかこんな場所だとは…思ってもみなかったよ)


 ふいにリアムが「マナ、大変!電波がない!」と自分の携帯を見て絶望をにじませながら告げた。


(なるほど…それはやばい)


「ごめん、リアム。私の携帯の電源も落としておいてくれる?」


 電波がない場所だと電池の消耗が早い。


「うん…わかった。でも不安だ…これさ、ずっと目的地まであと何キロの表示が変わらないんだ。もうそろそろ着いてもいいくらいなのに…ここだろ?」とレンタカーのナビを指さした。


 僕の集中力もそろそろ切れてきている。


(困ったな、事故る前になんとかしなきゃ…)


 そんなときに廃業した食堂と大きな駐車場があった。バス停に公衆トイレもある。僕はそこに車を入れた。まさに天の助けだ。

 無理して崖に落ちるのだけは避けたい。明日の朝に村への入口を探せばいい。ここらにあるはずなのだ、村は動かない。


「もう遅いし、ここでキャンプしちゃおうか。この車だと狭いから、テント張ろう…」と言ってから気が付いた。


(さすがに一緒のテントはまずいよね…今は他の女子との接触もないようだし)


「バカだな、心配しなくても襲わない。俺はマナが恋人になるまで手を出さないから」と僕の心配そうな表情をみて彼が自信たっぷりに言った。


 そっと彼の肩に触れると、『あーあ、カッコつけて言っちゃったよ。俺我慢できるかな…』と考えている。


(だよね…)


「大丈夫だよ。信用して」と僕の頭をポンポンと撫でた。


(やせ我慢してるよ…)


 あまりに可哀想になってきて「僕、車で寝る」と言った。


「ダメ、我慢してもいいから一緒にいたいの。マナって本当に鈍感だな」


 いや、リアムの心の声を聞いたから、とも言えず、まだ少しだけ明るいうちに二人でテントを張って2つ寝床を作った。

 グラウンドシートと分厚いほうのインナーマット、折り畳み式のエアークッションを敷いた。山中だし寒くなりそうなので寝袋も出す。持ってきて良かった。


 アスファルト舗装の上でキャンプするのは初めてで変な感じだ。周りはうっそうとした大きな木で囲まれていて、構造物が新参者の異物だと強く感じる。


 とりあえずガスコンロでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れた。

 そしてロゴスの組み立て式バーベキューコンロに火を付け、網の上に水を入れた鍋を置いて無印のインスタント『辛くないグリーンカレー』を温め、隣で胡桃入りのドイツパンを焼く。

 火があるととりあえずホッとする。


「なんか、全然車通らないよね…すぐ近くまで来てるはずなんだけど」


 僕が少し不安そうに言うと、恐怖の道から逃れられたからか、


「明るくなったらすぐに見つかるよ。はい、食べよ」と楽天的な事を言いながらリアムがプラの皿にシチューとスプーンを入れて渡してくれたので受け取る。

 暖かい指先が一瞬触れると、僕への愛情が流れ込んできた。


「頂きます」


 二人で手を合わせる。

 辺りはもう真っ暗になり、僕らは暗闇の中の頼りない灯りに包まれて浮かんでいるようだ。

 こんな場所で二人で温かい夕飯がとれるのはありがたい。一人で来なくて良かったと思う。彼のおかげだ。


「この胡桃入りパン美味しい。カレーに漬けるともっと美味しいね」


 彼が嬉しそうに食べるところを見てると幸せな気分になる。でも同時に、バーのソファーで女性と絡んでいるところが脳裏に浮かんでしまい心臓がチリチリと痛い。


 好きな人が他の人と肌を合わせることへの嫌悪・拒否感とでもいうのだろうか、これはなかなか強くて、服に着いたガソリンのように匂いがこびりついて消えない。

 この汚い感情はいつ消えるのだろう。まさか一生付いて回るものだったら困るのだ。着替える、つまり彼を代えるしかないのだろうか。


 僕がハワイから帰ってきて明らかに落ち込んでいた時、日紫喜が面白いことを言ってた。

 自分以外との女性との生殖活動によって子孫が増えるのを本能的に恐れてるんじゃないか、と。つまりは彼の経済活動から生まれるパイを奪い合う人数が増える事への経済的恐れが嫉妬に含まれる、と。


(でもどうなのだろうか?それだけではないだろう。だって僕は母のようにずっと仕事を続けるつもりだから、彼には出来るだけ経済的に頼らない精神的スタンスでいるはずだ。とすれば本能的に男性に頼っているのだろうか?わからないな…)


「どうしたの?怖い?それとも寒い?」と彼は黙り込んだ僕の肩を遠慮がちに抱いた。

 ぼんやしていた僕の身体が彼に触れられて少しびくりとする。夜だからだろうか。それとも嫌悪感がまだ僕の中にあるのかもしれない。

 ちょうどいいから彼の考える浮気というものについて聞いてみようかと思ったけど、止めた。いらぬ勘繰りをされたくない。

 前を向いたまま、首を振ると、


「こっち向いて。俺と目をあまり合わせないようにしてるのは気のせいじゃないよね。ずっと気になってた。俺が怖い?」と僕の顔を両手で優しく自分に向けた。


「う…違う。…リアムを見るたびに、その…バーで見た光景を思い出しちゃって…」


 僕は彼から目をらして正直に言った。彼の顔を直視できない。


「…そうな、んだ…」


 案の定弱弱しい返事が返ってきた。


「うん、困ったなって…ごめん。どうしたらいいんだろうね…」


「なんでマナが謝るの?俺が悪いのに…君が謝ったら俺の立場がないじゃない」


「それでもリアムと友達として一緒に居るのを選んだのは僕だからさ、リアムには関係ない」


「関係あるよ。ないわけないじゃないか…」と言って、ひざまずき、僕の身体にぎゅっと抱きついた。自分の顔が見えないように、僕の胸に顔を埋めた。しばらくその姿勢で僕らはじっとしていた。


(少し震えている。彼は泣いているのかもしれない)


 彼は涙を見せない。ルリが亡くなった時も僕に見せなかった。

 僕が見たのは初めにナユの話をした時と、ハワイの空港でだけだ。


「寒くなってきたから、テントに入ろう。歯磨きして顔洗ってくる」と言って僕が彼の身体を優しく剥がすと、リアムはとても苦しそうな表情をしていた。


 僕は自分が苦しいからって無意識で意地悪な気持ちになってやり返していたのかもしれない。ルリがいなくなってショックを受けている彼に悪い事をした。


「ごめん、忘れていい。せっかくのルリさんの人形の里帰りにいらないことを言った、反省してる」 


「…マナが謝ったら俺はどうしたらいいんだよって言ってるだろ?…ごめんね、苦しい思いをさせて。俺もマナが誰かとしてるとこ見ちゃったら…って考えただけで胸に泥がいっぱい詰まってるみたいに苦しいんだ。一生かけて償うから…許してくれないか?」


「…これは僕の問題だよ」


「…マナは強いね、グランマみたいだ。初めて会った時から魅かれて仕方なかった…。離れていてもずっとマナの事を考えてたよ。でも、大事にするって意味がわかってなかった。でももうわかるんだ、マナが傷付いてると俺も痛いんだよ、本当に…嘘じゃない」


「疑ってなんかない。ルリさんが言ってたんだけど、僕には欠落がたくさんあって、君にはあるものが僕にはないんだ。たとえばたくさんの人からもらった掛け値なしのたっぷりの愛情とかね。反対に僕にあるものが君にはないらしい。僕たちは友人として補い合える。それでいいじゃないか?さ、寝る用意しよう。携帯を切ってるからわからないけど、結構遅いよ」


「続きはテントの中で」


「もういいでしょ?僕本当に怒ってないし」


 リアムは僕を一瞬見てから目を逸らして言った。きっと僕があのバーでの場面を思い出すって言ったからだろう。


「じゃあ、グランマの話を聞かせてくれる?マナがグランマについて知ってることも全部教えて欲しい」

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