今日もソロキャンプ日和り

海野ぴゅう

第1話 初めてのキャンプ場

(なんで僕がこんな場所に…)


 自宅から車で1時間の場所にあるキャンプ場の男子トイレの床を緑のモップでゴシゴシ掃除しているマナは、白い天井を見上げた。


 ゆったりした紺のチャンピオンのフード付きトレーナーに迷彩のカーゴパンツ、という男子の服装をした彼女は、顔が小さくて目鼻立ちが整っている。少し冷たく見える切れ長の目、耳がまるっと見える茶髪のショートカット、168センチの身長に加え中性的な印象のせいで、普段からに見られやすい。

 しかし彼女はれっきとした二十歳ハタチの女子だ。


(久しぶりに太陽の下で身体を動かすの、気持ちいい。やっぱり身体を動かさないとダメだ、毎日ごろごろして夜遅くまで本やマンガばっか読んでたし…)


 こと発端ほったんは彼女の母親である。




「ねえ、あんた暇でしょ。柴田さんとこ大変だから手伝っておいなよ」


 昨夜の夕飯の席で母は決めつけるように僕に言った。

 柴田さん、というのは近所に住む母の友人でとてもおっとりした50代の女性だ。僕も小さな頃からお世話になっている。

 彼女の家は、つい二日前にストーブの上に乾かしてあった洗濯ものに火が移って火事になり、逃げ遅れたおばあちゃんが焼け落ちた2階の下敷きになって亡くなった。それで今家族がなのだ。

 なんせ焼けた上に消防車からの放水ですべてが濡れて家電も布団も使い物にならない。そして警察がおばあちゃんの死因を調べている。近所で評判の仲良し家族だったから他殺はないと近隣住民はわかっているが、警察はそうは思わない。そう簡単に思ってもらっても困るのだが。


 柴田さんは今、敷地内にある長男の新家しんやに避難している。柴田さんの夫は10年以上前にガンで亡くなっていない。

 そして僕は大学を1月から休学しており、今はもう3月に入ったところだ。勉強もせずご飯を食べさせてもらっている僕だからイチミリイチミクロンさえも拒否権はない。

 僕が3歳の時に父と祖母をいっぺんに交通事故で亡くしてからというもの、母は働き詰めで僕を大学に入学させた。もうあと4年でゴール、というとこで僕がこんな状態になったのに、何も言わない。そんな強い、いや、優しい母に『嫌だ』なんて口が裂けても言えないのだ。


「…ええよ、なにしたらいい?」


 僕は彼女が作った肉じゃがを口に放り込みながら聞いた。

 味はいいのだが、相変わらず型崩れしまくりのジャガイモが汁に溶けてどろどろになっている。母は料理が得意ではない。とりあえず栄養が摂取できればいいと思ってる節がある。


(もしくは僕の事をずっと赤ちゃんだと思っているかだ)


 まあ、その意見は大幅には間違ってはいない、と思う。僕はいつも通り文句は言わず咀嚼そしゃくする。この世の中は言わなくていい言葉で満ちあふれているのだ。


「今夜柴田さんちに行くで聞いとくわ」


 母はそう言ったのだった。




 その、僕は柴田さんの次男が経営するキャンプ場、『アイランドキャンピングパーク』で朝早くから働いていた。彼が明日から休むために一通りの仕事を教えてもらう。

 シーズンオフの今は彼を含めてスタッフが2名しかおらず、誰かが入らないと休めないのだ。


「終わった?」


 柴田さんの次男、ヨッシーことヨシフミさんが男子トイレに顔をのぞかせた。

 まん丸でお団子みたいな輪郭に太い眉、いつもにっこりしているように見える細い目、小さめの鼻に笑いを絶やさない口もとの彼は、35歳になっても相変わらずの癒し系男子だ。僕は彼が怒ったとこを見たことがない。

 祖母を急に亡くしたショックでいつもより元気がないし、痩せた。なんせヨッシーがここで泊まり込みで仕事をしている間に起きた火事だ、彼のことだから責任を感じているのだろう。そういう優しい人だ。


「うん、大体」


 僕がモップを持って振り向くと、彼は前よりずっと綺麗になったトイレを見渡して驚いていた。大雑把なヨッシーはあまり掃除が得意じゃないようで、見違えて綺麗になった。


 ちなみに僕は掃除が好きだ。


 母親が仕事で忙しいので、家の掃除は小さなころから僕担当だった。少々出来ていなくても、僕が掃除をすると母親はとても喜んでくれた。そのせいで、掃除が好きになったのだ。


「ああ、めっちゃ綺麗になってたから驚いたよ、ありがとう。モップ片付けたら、キャンプ場内を一緒に回ろうか。説明するよ」


 彼に褒められて反射で嬉しくなるのは、中学・高校生の時に家庭教師をしてもらっていたせいだ。

 彼は褒め上手の教え上手で、僕はおかげで希望の大学の学部にはいることができた。

 せっかく受からせてもらい、入ってからも熱心に勉強していたのに、その大学に今は行けていないのが申し訳ないと思う。




「ふうー」


 ヨッシーの運転する帰りの車の中で僕は大きく伸びをした。

 肉体労働で疲れていた。でも気持ちいい疲れだ。

 今日朝から1日の仕事の流れを教えてもらった。ヨッシーが作った細かいマニュアル(意外とマメだと驚いた)もあるし、わからなかったら管理棟にある固定電話から電話すればいい。


「お疲れ様。初めてで大変だったでしょ。…マナ、明日から本当にお願いしていいのか?」


 彼は教え子でもある僕に甘えていいのか気にしているようだった。


「どうせ僕が死ぬほど暇なの知ってるんでしょ。ヨッシーこそ大変じゃん」


「…うん、母がね、ああ見えてとても落ち込んでるんだ。俺も母もおばあちゃんに可愛がってもらってたから…。じゃあ、ありがたく明日から休ませてもらう、本当に助かるよ。でも日中は一人だし怖くないの?」


「いいよ、美月みつきさんが10時までいてくれるし、まだ寒いからお客さんもあまりいない。それに僕こう見えて強いから」


 僕は小学1年生から近所の空手道場に通っている。

 大学に入ってすぐ、ヘロヘロで死にそうになりながらも10人抜きをし、黒帯を取得した。一人で留守番することが多いので、母が心配して習わせてくれたのだ。

 今でもたまに通って稽古をしている。師範の用事の際にはちびっこたちに稽古をつけることもある。


 僕は、一人で静かに考えたいし、という言葉を飲み込んだ。家が大変な状態のヨッシーにこれ以上いらぬ心配かけたくない。




「ありがと。ねえ、ヨッシーさ、今朝久しぶりに僕を見てびくっとしたよね…思い出す?」


 家に送ってもらって、車から降りる直前に前触れもなく聞いてみた。ヨッシーは素直なので見るからに動揺してあわあわしていたが、僕の嬉しそうな顔を見て、


「うん…ナユタかと一瞬思った…本当にその格好してると似てて…高校生のナユタを思い出すよ」と白状した。


「そっか…嬉しい。ねえ、ヨッシーは忘れないで、ナユのこと」


「当たり前だ…でもマナはそれでいいのか?いつまでも男子の恰好して、ナユタが喜ぶとは思えない…俺はおまえが心配になる」


「…大丈夫。みんなが僕を見てナユを思い出すと思うと嬉しい。彼が生きてるって気がするから」


「…わかった。でも俺は以前のマナに会いたい」


「もう少し、だけ。…心配かけてごめん、ありがとう」


 僕はヨッシーの言葉に泣きそうになりながら、ナユがまだ二人の間で生きていることを確認出来て胸が痛くなった。




 バイト2日目、僕は母に車で送ってもらってキャンプ場に着いた。


 僕は免許を取っていない。

 父と祖母を交通事故で亡くしたので、自動車を運転するのが怖いのだ。でも田舎町だしそうは言ってられないのもわかっている。

 ここのバイト代で夏休みにでも通おうと思い始めたとこだった。


 1週間ここで寝泊まりするので3日分の着替えと本が入ったスーツケースを管理棟の2階の仮眠室に運んだ。全自動洗濯機がここにはあるので着替え枚数はそれほどは必要ないだろうが、念のためだ。

 そして母が用意してくれた食材を管理棟にある大型の冷蔵庫と冷凍庫に放り込んだ。今はシーズンオフなのでからからだ。


「おはようございます、美月みつきさん。お疲れ様です」


「ああ、おはよう。引継ぎするから、ちょっと来て」とパソコンに向かって予約受付作業している彼は眼だけこっちを向けて挨拶し、クールに手招きした。


 僕は彼の笑顔をまだ見れていない。シャイなのか僕を嫌いなのか。まあどっちでもいいけど、できたら仲良くしたいものだと思う。

 背が高くてがっちりした美月は高校を中退した19歳のフリーターで、このキャンプ場の夜番を主にしている。

 深夜に起きているのが好きなのだそうで、変わっていると思う。まあ、一昨日まで引きこもりで朝方まで起きていた僕が言う事ではないが。

 ちなみに彼がたまに休みを取る日には柴田さんはずっと連続で仕事に入っている。


 今日の予約状況と昨夜の泊り客の様子などを聞き、一緒にぐるりと場内をまわった。

 まだ3月の初めなので空気が冷たい。お客さんは皆起きて朝ごはんを楽しそうに作ったりしている。ぽつぽつと立ち昇る煙や湯気を見ているとなんだかうきうきする。

 昨日は忙しくてあまり見れなかったが、本当にこのキャンプ場は海に囲まれていて美しい。

 海は泳げるようなのんきなものではなく、釣り向きで岩場の多い海岸で、たまにだが海が荒れて波しぶきが大きく上がるそうだ。

 砂浜は探してやっと見つかるくらいの面積しかない。ちょっと歩くと海水浴場があるので、家族連れはそこに遊びに行く。

 広々としたサイトは半分以上空いている。この時期は海釣りのソロキャンパーが多く、彼らの小さめのカラフルなテントがぽつぽつと立っていて可愛い眺めだ。

 でもカップルはいない。なんせここにはのだ。マナにとってそんな場所は生まれて初めてだった。なんとなく若者が来ない理由がわかる気がする…そう思っていたら、


「マナ君はなんでこんなとこに?柴田さんとどういう関係?」と美月がキャンプ場を見ていた僕に鋭く聞いた。

 ウソを見抜こうとする目と口調に敵意をほんの少し感じる。


「ご近所なんです。学生時代は柴田さんに家庭教師をしてもらってました。柴田さんちが大変なので落ち着くまで手伝いに来させてもらうつもりです」


「ふーん、近所ね…」


 その目つきは僕と柴田さんの関係を疑っているように見えた。まさか?いやいや、と思っていると、追い打ちをかけるように、


「付き合ってる、なんてことはないよね?」と詰問きつもんした。


 やっぱりこの人、ヨッシーのこと…?


 彼ののんきな顔を思い出す。癒し系だからモテるんだろうか…美月は男だけど、そういうこともあるのだろう。


 柴田家とは付き合いが長いが、彼は毎回違う彼女を家に連れてきているらしい。柴田さんの長男は高校生の時から付き合ってる彼女とハタチで出来ちゃった結婚したのに、次男のヨッシーは全然結婚の気配がないそうだ。

 僕の母情報なので少々怪しいが、美月にとっては前途多難の恋だなと少し同情する。


「付き合ってませんし、まずはタイプじゃないです」と安心させるためにはっきり言うと、


「よし、男の約束だぞ!!」と言って、バシンと僕の背中を叩いた。


(は…?ん…?…ってことは僕を男だと思ってて、男であるヨッシーと付き合ってるかって美月は聞いたってこと?)


 まあ恋は盲目って言うし、近くにいる人がすべて自分と同じで彼を好きなに見えるのかもしれない、と僕は自分を納得させた。


 彼は男性みたいに短髪にしている僕を完全に男だと思っているようだった。

 確かに今日も昨日もトレーナーにモコっとしたフリース、下は昨日と同じカーゴパンツを男の子っぽく腰でいているので仕方ないだろう。

 化粧は時間の無駄なのでしない。さすがに日焼け止めは薄く塗るけど。


 女だと訂正するのも余計嫉妬されそうだ。ややこしくて面倒だと思い、


「はい、約束です」と僕は答えた。


 すると彼はほっとしたのか初めて僕に笑顔を見せた。しっかりしててガタイがごついわりに意外と笑い顔が可愛かったので、そういえば彼は年下だったなと思い出した。

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