三回戦
オレからみた水橋は野球の神じゃないかと思ってる。初めてバッテリーを組んだのは丸久工業戦だったが、あの時に水橋は、
「ちょっと早めの球投げるから、踏ん張っといてくれ」
「サインは」
「お前の構えたところに投げるから、目瞑ってても大丈夫や」
オレは一球目は無難に外角低め一杯を要求したんだけど、見た事もないスピードボールがミットのど真ん中に飛び込んでた。次の回からはスローボールを投げまくるんだけど、あれもただのスローボールじゃなくて、スローカーブとスローシュートを織り交ぜてあるんだよ。
そのコントロールがまさに神業。キャッチャーやってからあんなラクなピッチャーはいないぐらい。構えてりゃ、そこに間違いなく飛び込んでくるんだよ。だからオレがやる仕事は、オレの構えるミットの位置から、相手にコースを読ませないようにすることなんだよ。
春川や古城のコントロールも一級品だが、水橋になると精度の桁が違いすぎるんや。キャッチャーやってて、ミットのど真ん中に、常に寸分たがわず投げれる奴なんているはずないと思ってた。どうやったらあんなコントロールを人間が出来るんや。
水橋の投球の最大の特徴はストライクしか投げないこと、いわゆる『一球遊ぶ』は絶対にしないんだ。だから投球のほとんどはストライク。たまにボールもあるけど、あれは審判との見解の相違ってところだ。なんでそうするんだって聞いたら、
「オレは遊びが嫌いだ」
どっか違う気もするけど、あの物凄い緩急の差の投法はそうは打てるもんじゃないと思うよ。さらにいざとなれば、あのハイ・スピードボールがあるし。あれだって水橋に言わせれば、
「全力でやったら秋葉が怪我するからな」
いくらなんでも大袈裟すぎると思ったけど、一度だけ見せてくれた。コンクリートの壁にボールが本当にめり込んでた。野球マンガなんかには良くあるけど、実際に起こるとは信じれへんかった。たしかにあんなもんいきなり投げ込まれたら怪我どころか下手すりゃ死ぬわ。しかもだよ、それをやってのけた後に、
「あちゃ、ちょっと力を入れ過ぎてもた。ボール一個パアにしたから、カオルに怒られる」
やって来たリンドウもリンドウで、
「ユウジ、なにするねん。このボール一個集めるのにウチがどんだけ苦労してると思てるねん。それも、選りによってまだ新しい方のボールを潰しやがって。この馬鹿力、チイとは加減せんかい」
そしたら水橋が
「悪かったカオル、これから気つけるから」
リンドウは相当怒ってたみたいでエラい剣幕で、
「これで壁でもぶち壊しやがったら、タダではおかへんからな。そんときゃ、壁の修理代はユウジが払え」
水橋は頭をかきながら、
「壊さんように注意しとくから、カオル、これぐらいで堪忍や」
オレは奇跡の瞬間を見た方に腰が抜けそうになってたけど、水橋を昔から良く知ってるリンドウからすれば、ボールが壁にめり込んだことは『どうでもよい』というか『だからどうした』程度のお話のようだ。
問題にしているのはボールが潰れたことで、心配しているのは壁が壊されないかみたいなんだ。野球のボールでコンクリートの壁なんて壊れるなんてあり得ない話のはずなんだけど、水橋を見てると冗談とは言いきれないんだ。それにしても、水橋も化物やと思うけど、水橋の化物ぶりを気にもしないリンドウも考えたらなんか怖い。
そんな水橋だけど、やはりスタミナに不安があるとオレは見てる。スローボールを駆使するのは実戦での守備練習の目的もあるけど、出来るだけスピードボールを投げないための工夫と思ってる。ストライクしか投げないのも同じ。
だから三回戦の先発には古城を立てろと監督に進言したんだ。水橋のスタミナを少しでも温存するには、控えのピッチャーが一イニングでも多く投げることが必要で、さらに控え投手を育てるには実戦経験が必要と思ったからだ。そんなことをやれるのはこのレベルしか出来ないって。そしたら監督は難しい顔をして、
「うちの守備じゃ、上に行けば勝てないんだ。どうしても、初戦、二戦ぐらいで実戦の活きた球の守備練習が必要なんだよ。そんな芸当をしながら勝てるピッチャーはこの世に水橋しかおらへんのや」
今日七月十六日は三回戦の大橋農業戦。やはり先発は水橋。スローボールで翻弄しながら適当に打たせる芸術をやってくれた。ただ初戦よりスピードボールが多かった。というのもうちが三点しか取れなかったんだ。安打こそ七安打を放ったけど、言ったら悪いがこのレベルの投手でもうちの打線じゃこの程度ってところなんだ。とりあえずスコアは3対2。
この辺は昨日までの合宿の疲れが残っている部分はあるとは思う。あれだけ練習した守備も八失策なのも同じ。次の試合はもう少しマシになると監督も期待していたし、オレもそうなって欲しい。いや、そうならないと困るんだ。
それより監督に見て欲しかったのは、水橋のスタミナ。たしかに水橋は化物のような奴だが、あいつだって人間なんだ。夏の連戦は応えるんだよ。水橋もそんなに体力を積むトレーニングはしてないはずなんだ。
水橋ならブロック予選ぐらいは余裕で突破すると思うけど問題はその次なんだ。予選はトーナメント方式だから上に行くほど試合日程が詰まってくるんだ。日程通りに行っての話だけど、七月二一日の四回戦までは中三日、五回戦は七月二四日だから中二日。そこからは翌日が準々決勝の連戦、一日置いて、準決勝と決勝が連戦なんだ。これだって雨が降れば押せ押せになって、五回戦から四連戦だってありうるんだよ。
オレは甲子園に是非行きたい。本来ならこんなチームにとっては夢のまた夢なんだけど、水橋はそれが出来るスーパーエースなんだ。おそらく百年に一人出るかどうかの大投手だ。ひょっとすると千年に一人かもしれない。いや、もう二度と現れない気さえする。
メジャーの伝説の大投手にサチェル・ペイジってのがいる。通算二千勝って怪物投手で、全盛期にはベイブ・ルースさえかすりもしなかったと言われてる。ペイジの好きな遊びに、一点差の最終回に四球でわざと無死満塁にして、野手をすべてベンチに下がらせ、ペイジとキャッチャーだけで勝負するってのがあったと言われてる。それでも誰も打てなかったんだ。水橋に辛うじて匹敵するのは、まさにそのクラスだ。それだけの投手を手にしながら甲子園に行けないなんて悔しすぎるじゃないか。
四回戦はシード校の城翔学園とのブロック代表決定戦。しっかり偵察に来てた。水橋のスローボール崩しの作戦に出るかもしれへんけど、水橋ならスピードボールで片づけてしまうだろう。ただスピードボール主体になればなるほど水橋のスタミナの消耗は早くなるんだ。水橋のスタミナの消耗を防ぐうちのカードは古城だけど、古城だっていきなりシード校相手に出せへんやんか。
夏海にも相談してたんだけど、夏海も水橋が怪物であるのは認めてたし、水橋ならオレたちを甲子園に連れて行ける力があるって認めてた。水橋のスタミナの不安についてのオレの意見も基本的には同意してた。ただ水橋の使い方は監督の意見に近かった。
「ヒロシ。古城はええピッチャーやと思う。このまま順調に伸びたら、三年になれば全国行ってもおかしくない」
「だから、少しでも水橋の負担を軽くするために・・・」
「無理や、二年後の古城でも無理や」
「どういうことや」
「オレらがバックやからや。たった二試合で十八個もエラーする、こんなザル守備のお荷物バックを抱えて勝てるピッチャーなんて普通はおらへん」
夏海の分析は現実的だった。竜胆監督はよくやったが、それでもたったの二か月じゃチーム力なんて、そうは上がるもんじゃない。ここまで上がっただけでも驚くようなことだけど、それでもザル守備の目が少々小さくなった程度に過ぎないと。
これが来年に甲子園を目指すのなら古城にも活躍の場は十分あるが、今のザル守備で甲子園の可能性があるのは世界中探したって水橋しかいないって。そう言われたら納得するしかなかった。丸久工業戦よりマシになっているのは確かやけど、今でも実力的には一回戦とか二回戦あたりでコールド負けするぐらいの守備としかいいようがないんだ。
「水橋のスタミナは」
「祈るしかない」
夏海も悔しそうだった。
「ザル守備だけやないで」
「他にもあるんか」
「バッティングや」
春川や冬月も来て話に加わったんやけど、夏海の意見と同じだった。中平高校も、大橋農業も正直なところたいしたピッチャーやなかった。でも打ち崩せなかった。あのクラスならあっさりコールドにしておかないとあかんはずや。
これから上と対戦したら、点なんか取れるのかの不安が正直なところある。ここから上は、丸久工業のエースクラスがゴロゴロしてるんや。いや、それ以上のがいるんや。プロからも狙われるクラスを優勝候補の学校は抱えてるんや。
「オレたちは水橋におんぶにだっこで抱えてもらわないと、どうしようもないってことやんか」
野球をやってきてこの時ほど後悔したことはなかった。なんで三年まで野球から離れていたのかと。オレたちがちゃんと準備して待っていたら、夢の甲子園に行けたんだよ。普通に守れて、そこそこ打てる打線さえあれば、水橋なら間違いなく甲子園に連れていってくれるはずなんだ。全国制覇だって夢じゃない、そんなスーパーエースが水橋なんだ。
それなのにオレたちが水橋に与えているものはザル守備と貧打のバック。ただ水橋の足を引っ張るためだけにいるようなものやんか。もう悔しくて、悲しくて。あの冬月の表情が珍しく変わっていた。
「情けない、情けなさすぎる。ボクたちが水橋のお荷物になって甲子園を阻んでるなんて・・・」
春川が、
「ホンマに後悔してる。オレたちは水橋がこの学校に来てるのを知ってたんだ。水橋がどれだけの化物かも知ってたんだ。それでも野球から離れてしまっていたんだ。こんな怠慢なオレたちに与えられた役割は水橋のお荷物として足を引っ張るだけなんや・・・」
オレたちはただ天を仰いで歯がみするしかなかった。
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