第46話 なれそめ
このあと廃病院に行くにしても、ひとまず晴高には休息が必要だ。
しかし、自宅に一人にしておくと勝手に廃病院まで行ってしまいかねないので、タクシーを拾って千夏の家まで彼を連れていくことにした。
千夏の家に着くと晴高にはリビングのソファで寝てもらうことにする。実はこのソファ、背もたれを倒すとベッドにもなるのだ。元気は近頃は千夏の部屋で過ごすことも多くなっていたので、今日の晩もこちらに来てもらう。
そして、翌朝。
幸い土曜日だったのでいつもより少し遅めに起きた千夏だったが、ソファの晴高はまだ寝ているようだった。もしかしたら、悪霊たちの影響でここしばらくちゃんと寝られていなかったのかもしれない。
朝ごはん、何を作ろうかなぁと迷うものの、晴高の体調を考えるとあっさりした食べやすいものがいいだろう。
冷蔵庫を見ると青ネギ、冷凍庫には以前安売りのときに多めに買った鳥のささみがあったので雑炊をつくることにした。
元気はダイニングテーブルで、タブレットを使って何やら調べものをしている。
鍋に出汁とご飯、それに鳥肉を入れてぐつぐつ煮込んだ。ご飯が出汁を吸ってきたら、溶き卵を流しいれて、刻んだ青ネギを散らすとできあがり。
「さあ、できたよ」
器三つに雑炊を盛ってテーブルへ運ぶと、元気は「ああ、ありがとう」とタブレットをしまった。
「なんかさ。晴高が言ってた廃病院。やっぱ幽霊病院として有名だったみたいで、ネット上にいっぱい出てるね。ほとんどがブログとか心霊体験レポみたいなやつだけど」
「へぇ、そうなんだ。心霊スポットになってるのかな」
「うん。そうみたい。しかも、最恐の心霊スポットとして有名みたいだな。行った奴がしばらく原因不明で寝込んだり、二階から落ちて怪我したりとか実際いろいろあるみたいでさ」
朝ごはんの準備ができたところで、ソファに横になっていた晴高が起きてきた。
「あ、晴高さん。朝ごはん、どうぞ」
「……ああ」
晴高は額を抑えて呻くようにいう。まだ体調が戻りきっていないのか、もしかすると単に寝起きが悪いだけなのかもしれない。
元気の隣に晴高が座る。
「いただきます」
「いただきまーす!」
「……ます」
(晴高さん、食べてくれるかな)
聞くと、昨日の朝から何も食べていないということだったので、何か少しでも口に入れてほしい。
千夏はレンゲで雑炊を自分の口に運ぶ。ちょうどいい塩加減の優しい味が口の中に広がった。
食べつつ元気と他愛もない会話を交わしながらチラと晴高を見ていると、彼はまだ少し寝ぼけているようにゆっくりとした動作だったが、レンゲを口元に運んでもそもそと雑炊を食べ始めた。
千夏は元気と目を見合わせ小さく笑いあう。良かった、食べてくれそうだ。
食べ終わると、千夏は食後のお茶を淹れてくる。パンの時はコーヒーを淹るのだけど、今日は和食だったので緑茶にした。
トレーにのせて運んできた緑茶の湯飲みを、元気と晴高の前にも置いた。
「ああ、ありがと」
「いいえー」
湯気の上がる湯飲みを手で包み込むようにしながら千夏はゆっくりと口をつけた。やっぱり食後のお茶は、ほっこりと身体が温まって良いものだ。
向かいの席の元気は、ふーっと念入りにお茶を冷ましていた。千夏は熱い飲み物が好きなのだけど、元気は猫舌ぎみなのかいつも少し冷ましてから飲む。今日のは少し熱すぎたかもしれない。氷入れてきてあげた方がいいかな。そんなことを思っていたら、それまでずっと無言で黙々と食べていた晴高が、ようやく食べ終わってレンゲを置いた。
「晴高さんも、お茶どうぞ」
「ああ……」
彼は湯気のあがる湯飲みをジッと見つめる。あれ? 彼も猫舌だったっけ?と思っていたら、ぽつりと晴高の口から言葉が漏れた。
「……アイツは、筋金入りの猫舌だったんだよな」
彼が言う『アイツ』が誰なのかは、なんとなく想像がついた。彼の視線は、目の前の湯飲みに注がれているようでいて、どこか遠くを見ているようだったから。
千夏も元気もお茶をすすりながら、特に促すようなこともせず晴高の言葉を待つ。
晴高は、ぽつりぽつりと記憶の引き出しから大切なものを取り出すように少しずつ話し始めた。
「アイツとは……華奈子とは五年くらいの付き合いだった。身体が弱くて入退院を繰り返していたから実質的に一緒にいれた時間は短かったし、アイツには何もしてあげられなかった。良くなったら一緒に旅行に行こうって約束してたのに、叶わなかったしな……」
短いといいつつも、それが晴高にとってかけがえのない時間だったのだろうということが彼の口調から察せられた。だから、彼は今もこんなにも彼女のことを想っているのだろう。そして、それはきっと華奈子にとっても同じだったのだろう。
なんてことを思っていたら晴高が衝撃的なことを口にした。
「俺、元は女子高で教師をやっていたんだ」
「……え。お前、先生だったの?」
と驚いた顔をする元気。晴高は、小さく苦笑を浮かべて返す。
「ああ。公民の教師で、現代社会とかを持ってた。華奈子は、……俺が勤めてた高校の生徒だったんだ。知り合ったとき、アイツは高三で、俺は新任教師だった」
「……意外過ぎる」
と、千夏も唸る。でも驚く半面、クールで無口なイケメンの新任教師なんて女子生徒たちの間で人気あったんだろうなぁなんて想像してしまった。
「付き合いだしたのは、華奈子が卒業してからだったんだが。……身体の弱いアイツは高三のとき治療のためにしばらく休んでいたことがあったんだ。それをなぜか、俺が彼女を孕ませたせいで彼女は学校に来れなくなっていたっていう噂がたって。……もちろんそんな事実はないし、学校にはそう説明したんだが。卒業したばかりの華奈子と付き合ってたのは確かだし、学校側もそれにあまりいい顔しなくてな。結局、学校は辞めて、叔父が管理職をやってたいまの会社に拾ってもらったんだ」
そんな経緯があっただなんて全然知らなかった。たしかに、八坂不動産管理には彼と同じ苗字の久世という管理職がいる。だから紛らわしいので晴高は久世係長ではなく晴高係長と職場では呼ばれているのだ。
「華奈子さんは、大学とかに行ってたのか?」
元気の問いかけに、晴高は頷く。
「ああ。美術系の大学に通ってた。でも、入院のために休学したまま結局卒業はできなかったよ。卒業したら籍を入れる約束してたんだけど、それも果たせなかったな」
そういって晴高は自分の右薬指に嵌めたリングを触った。
「ときどき。俺は生きてていいのかなって、思うことがあるんだ。死ねば、アイツと同じところにいけるんじゃないか。それを、アイツも望んでるんじゃないか、って」
そう語る晴高の言葉はわずかに震えていた。いつもの彼からは信じられない姿だが、いまの晴高は本当にそのまま命を捨ててしまうんじゃないかと心配になるほど儚げに見えた。でも、その気持ちの切実さを千夏は痛いほどわかってしまう。
千夏の視線がスッと元気の方に向いた。
元気のことを見つめながら、千夏は思う。今は元気がそばにいてくれるからいいが、もし何かの事情で彼がここからいなくなってしまったら。それが生きている限り到達できない場所だったとしたら。晴高と同じことを想わずにいられるだろうか。一人で強く生きていけるだろうか。……そんな自信ない。
しかし、そんな千夏の思いを否定するように、元気がぴしゃりと強い口調で言った。
「そうかな。悪いけど、俺にはそうは思えない」
晴高が視線をあげて、少し驚いたように元気を見る。
「なんで、そんなことお前にわかるんだよ」
「わかるよ。俺、死人だもん。だから……死んだやつの気持ちは、よくわかる。誰だって、大切なやつを残して逝きたいなんて思わない。でも、そうせざるをえないんだったら、せめて……」
元気は、小さく笑んだ。
「せめて。残していった人には、幸せに生きてほしいって思うもんだろ。華奈子さんも同じだと思うよ。だってさ。考えてみろよ。お前が倒れたとき、俺と千夏が見た誰かの霊の記憶。あれ、誰の目からみた記憶だった?」
そこまで言われて、千夏は「あ!」と声をあげた。
「あれ、華奈子さんの視点だった。ということは、……華奈子さんの記憶?」
千夏の言葉に、元気はこくんと大きくうなずく。
「そう。あれは華奈子さんの記憶だ。ということは、晴高の身体に彼女の霊の
「でも、逆に華奈子さんが晴高さんをあっち側に連れて行こうとしてるんだったら?」
ただ霊の残滓があったというだけでは、どっちにもとれてしまう。
しかし元気は首を横に振った。
「もしあっち側に連れてこうとしてるんだったら、廃病院に晴高が行ったときにとっくに連れてってるよ。こいつ自身があっち側にこんなに惹かれてんだから簡単だろ? でも、晴高はまだ生きてる」
元気が話している間、晴高はテーブルを見つめていた。しかし、急に立ち上がると、「悪い。ちょっとタバコ吸ってくる」と抑揚の薄い声で呟いてベランダに出て行ってしまった。
リビングの窓越しに彼の背中が見える。紫煙をくゆらせながら、彼は何を考えているのだろう。もしかしたら、何かを自分の中で決着つけようとしているのかもしれない。
その背中から視線を引きはがすと、千夏は立ち上がって飲み終わった湯飲みを片付けはじめる。
そうやって手を動かしながらも、さっきの晴高の言葉が何度も頭の中で反響していた。死ねば同じところに行けるんじゃないか。死ねば……。
言葉が胸に詰まって息苦しくなる。その息苦しさを少しでも吐き出したくて、千夏は何気ない雑談のような素振りでほろっと口にした。
「ねぇ。もし、私がさ。元気のあとを追ったりしたら、元気どうする?」
軽い口調で。なんでもないことのように装って、心の奥底にあった本音がちらりと顔を覗かせた。
冗談めかして言った言葉だったから、冗談として流してくれると思っていた。
けれど湯飲みをトレーに乗せて顔を上げると、元気がじっとこちらを見ていた。まっすぐにこちらを見つめる彼の視線に、千夏は息を飲む。
「そうなったら、俺は、ものすごく自分を責めるだろうな。それは俺のせいなんだから。でも俺、君に生きていてほしい。だから君が望む限りそばにいるよ。たとえ、君から視えなくなっても。ずっと君のそばにいる」
彼の言葉からは、嘘や誤魔化しは感じられなかった。それは彼の決意、だったのかもしれない。
うん。と小さく微笑んで頷くと、千夏はトレーをもってキッチンへ足早に向かった。
トレーをキッチンに置くと、つ……と一筋涙が頬を伝う。ずっと一緒にいてくれるという言葉が、心の深いところにあった不安をじんわりと温めて癒してくれるようだった。
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