第44話 悪意あるものども ※ホラーあり

 何回コールしてみても、晴高は電話にでなかった。

 胸騒ぎがどんどん強くなる。


「元気……私、ちょっと晴高さんの家まで行ってみようと思うの」


 千夏に起こった霊障が晴高と無関係には思えなかった。もし無関係だったとしても、今日の午前中、あんなに具合の悪そうにしていた彼のことが心配でもある。晴高は一人暮らしのはずなので、自宅で倒れていたりしたら危険だ。


「うん。それがいいかもね。住所ってわかるっけ」


 元気に言われ、千夏は少し考える。


「職場に戻れば、職員のデータベースから見れるはず。たぶん、晴高さんもうちの会社の管理物件に住んでると思うんだよね。そしたら、マスターキーも職場の保管庫に保管されてるはずなの」


 八坂不動産の物件だったら、社員割引で住宅補助がでるのだ。おそらく晴高も八坂不動産関連の物件に住んでいるだろうと千夏は考えていた。


 早速職場に出かけると、幸い総務の人がまだ残業をしていた。事情を話すと、すぐに晴高の住所を教えてくれる。彼の住まいは、文京区にある賃貸マンションのようだ。予想通り、八坂不動産関係の物件だったため、マスターキーも会社で保管していた。場所もここからさほど離れていない。


「ありがとうございます!」


 総務の人に礼を言うと、千夏と元気はすぐに職場を出て電車で晴高のマンションへと向かった。


 そこは三田線巣鴨駅から少し歩いた閑静な住宅街にある、五階建ての賃貸マンションだった。

 彼の部屋は、三階の301号室。表札は出ていなかったが、この部屋のはずだ。


 千夏はインターホンを押す。しかし、何の反応も帰ってこない。室内でインターホンが鳴っていることはドア越しに聞こえてくるのだが、それ以外の物音はまったくしなかった。インターホンを何度か押すものの、やっぱり応答はない。


 廊下に面した曇りガラスの窓からも室内の明かりは見えなかった。

 千夏は、ドンドンとドアを叩く。


「晴高さん! 山崎です!」


 やはり、何の反応もない。


「留守なのかな」


 どこかにでかけているのだろうか。今はもう夜の十二時近く。あんなに体調が悪そうだったのに、こんな時間まで出歩いているとは思えないのだが。


 一応マスターキーは持ってきているので、開けて中を確かめてみようか。でも、本当に留守だったら勝手に入ったことが知れたら怒られるだろうな。そう思って迷っていたら、元気がドアに手をあてて神妙な顔をしていた。


「どうしたの?」


「いや……なんか、おかしくないか? この向こう。妙に霊的な力を感じる」


 千夏にはよくわからなかったが、元気は霊的な何かを感じたらしい。


「そうなの……? え、それってどういうこと?」


「わからない。でも、良い状態じゃない。なんか、霊的に閉じられているというか、壁のようなものがあるというか。千夏。そのマスターキーで開けてみよう」


 元気に言われて、千夏はすぐにトートバッグから借りてきたマスターキーを取り出した。

 鍵穴に入れて回すが、なぜか鍵が回らない。


「あ、あれ? 間違えて違うキー借りてきちゃったかな」


 焦っていると、千夏の手に元気が手を重ねてくる。一緒に回すと、何回かの試行の末、なんとかキーが回って鍵が開いた。

 ドアを開けようとするが、なぜか妙に重たい。ねっとりと空気がまとまりついているようだ。それでも元気と一緒にドアを開けると玄関に入った。


 室内は暗く、照明は一切ついていなかった。

 しかし、廊下から漏れ入る光で、玄関に晴高のものと思しき黒の革靴が置いてあるのが目に入る。しかもその靴は脱ぎ散らかされていた。几帳面な晴高らしくない行動。よほど体調が悪かったのか、それとも……。


「晴高さん!?」


 千夏は闇に沈む室内に声をかけるが、返答はない。玄関の壁を触って照明スイッチを探すとすぐに見つかった。押してみるが、カチッカチッと鳴るだけでなぜか照明がつかない。

 千夏は靴を脱ぐと、家に上がった。


「晴高さんっ、いますか!?」


 部屋は1LDKのようだった。千夏の家とよく似た内装だ。どちらも同じ八坂不動産施工の賃貸物件なのだから当たり前ではある。建てた年代によって多少違いはあるが、基本的な作りはよく似ている。


 ただ、やたらくらかった。

 リビングの奥にある掃き出し窓のカーテンは閉められていないのに、まったく外の光が入って来ていないかのような暗さだった。


 千夏が開けた外廊下に続くドアから漏れ入る外の光だけが唯一の光源。

 懐中電灯を持ってこなかったことを悔やみながら、千夏は室内に足を踏み入れる。

 そのとき。


「……く、るな……」


 呻き声のようなものが耳をかすめた。すぐに声のした方に目を向けると、リビングの壁際にひときわ闇の濃い場所があった。まるで、そこだけ墨でぬりつぶされたようだ。その中に、わずかに人の腕のようなものが見えていた。


「晴高!!!」


 元気はその闇の方へと駆け寄ると、闇の一部を掴んだ。


「なんだ、これ!?」


 強く引きはがすと、人の形のように闇が切り取られる。


「千夏! 塩!」


 あっけにとられていた千夏だったが、元気の声で我に返るとトートバッグからお清めの塩を取り出した。こんな仕事をしている以上、念のために常備しているものだ。普段は小分けにして持ち歩いているのだが、今回は保存用のタッパーごと大量に持ってきた。そのタッパーを取り出すと、元気に引きはがされた人影のような闇に千夏は塩を投げつけた。


 ………アアアアアア………


 影は悶え苦しむように身体をくねらせていたが、やがてスッっと闇に溶け込むように消えてしまった。


「こら。晴高にまとわりつくなよっ」


 さらに、元気は晴高の身体にとりついている影を引っぺがしていく。黒い闇は明らかに何らかの霊体のようだった。霊体なんて普通は触れられるものではないが、同じ霊体である元気は人が人を掴むのと同じような容易さで霊体を掴んで晴高の身体から剥がしていく。


「きゃあああっ」


 こっちに向かってきた黒い影に千夏はお清めの塩を鷲掴みにしてドンドン投げつけた。今度は呻き声を発する暇もなく、影は消えてしまう。


 そうやって何体処理したのだろうか。はがしてもはがしても埒があかないくらい、何重にも闇のような人影が晴高にまとわりついていた。しかしそれも、ついにはすべて元気によって引きはがされ、千夏の塩で消えてしまった。


 終わったと思った瞬間、バチバチと天井の照明が明滅して、パッと家中の明かりが点いた。部屋の空気も、すっかり正常なものに戻る。


 晴高はリビングの床に四つん這いになっていた。黒髪も全身もぐっしょりと汗に濡れ、肩で大きく息をしている。苦しそうだ。ついでにいうと、千夏の撒いた塩まみれにもなっている。


「晴高……大丈夫か?」


 元気が床に手をついて晴高をのぞき込むと、彼はまだ辛そうだったが小さく頷いた。

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