第14話 ありがとう
タンスの中から、探していた小箱を見つけた千夏たち。
整理業者の男性にそれを告げると、とても驚いた様子だった。彼に敷地にある事務所の会議室を借してもらうと、そのテーブルに小箱を置いて晴高が簡単に読経をあげる。
そのあと、小箱を開けて中を確かめてみた。
それは桐でできたマッチ箱のような小さな箱だった。開けてみると、中には遺骨ではなくわずかな灰が入っていた。
きっとご遺体が小さすぎて骨が残らなかったのだろうと思うと、いたたまれない。
すぐに相続財産管理人の弁護士に連絡をとって行政に記録がないか調べてもらったところ、二年ほど前に胎児の死亡届が出ていて火葬許可証が発行されていたことが確認された。
胎児の死亡届は戸籍にも載らないため、弁護士もそれまで気づかなかったのだという。
この遺灰は、二年前に幸子が流産(もしくは中絶)した実子・小雪で間違いないと考えられた。
一通りの手続きや確認を終えたあと、千夏たちは小箱をもってあのアパートを訪ねる。
でも、202号室に入った瞬間、以前とはまったく様子が違うことに気づく。
部屋を覆っていたあの妙な寒さを感じない。空気の重たさもない。
窓も開けていないのに空気はさわやかに澄んでいる。まるで同じ部屋とは思えなかった。
「え……これって、どういう……」
部屋にあがって千夏はキョロキョロと室内を見渡すが、嫌な感じはまったく受けない。
元気も、
「何も視えなくなってる」
という。
「おそらく、想いを達せられて、田辺幸子の霊がここからいなくなったんだろうな。現に、お前たちがここで一泊した日から怪異現象はピタッと止まったらしい」
と、これは晴高。
「じゃあ。この小雪ちゃんはどこに連れて行けば」
千夏は小雪の小箱を入れたトートバッグをぎゅっと胸に抱いた。
すると、晴高がさきほどから何かを検索していたスマホの画面を見せてくれた。
「ここしかないだろ。区が管理している霊園。幸子の遺骨はここに安置されてる」
身元がいない人の遺体や、身内が引き取り拒否をした遺体などは自治体が火葬し、簡単に葬儀をあげたあと、自治体が管理もしくは委託している霊園に無縁遺骨として預けられるのだという。
田辺幸子の遺骨もやはりそういう経緯を経て、都立霊園の無縁納骨堂に安置されていた。
霊園の職員に案内されてやってきたのは、霊園の片隅にある堅牢そうなコンクリートの建物。その入り口には『無縁納骨堂』の文字があった。
中は壁に沿うようにぐるっと棚が置かれていて、白い袋に包まれた骨壺が沢山ならんでいた。このほとんどが、自治体から依頼された無縁遺骨なのだという。
千夏は小箱の入った小袋をそのまま職員に手渡した。白手袋をした職員はその小袋を手にゆっくりと棚の奥へ歩いていき、一つの骨壺の隣にそれを置いて手を合わせた。
その骨壺には、『田辺幸子』と名が記されている。
職員の人が拝むのに合わせて、千夏と晴高、そして後ろからついてきていた元気も手を合わせた。
これで、ようやく親子一緒に過ごせるのかな。そうだといいな。
二人が穏やかに過ごせますように。手を合わせながら、千夏は心からそう願った。
納骨を済ませて外に出ると、よく晴れた春の空がまぶしかった。
職員に礼を言って、千夏たちは駐車場へと向かう。
霊園の中は緑が多くて気持ちがいい。千夏は気持ち軽やかに、温かい春の陽気の中を歩いていた。すると、ふいに「おい」と晴高に呼び止められる。
「え? なんですか?」
足を止めて彼を振り向き尋ねると、晴高は顎をくいっと動かして、いま自分たちが歩いてきた納骨堂の方を示した。
そちらに視線を動かすと、
「あ……」
納骨堂の前に一人の女性の姿があった。
淡い桜色のワンピースを着た、髪の長い清楚な印象の女性。
彼女の胸には、赤ちゃんが抱かれていた。
女性の身体の輪郭はほんのりと光を帯びている。
それで、わかった。彼女たちは生きている人間ではない。
「田辺、幸子さん……」
幸子と、その娘の小雪の霊だった。
抱かれた小雪は、幸子の顔にキャッキャと小さな手を伸ばす。
幸子は小雪に優しく微笑みかけると、こちらに目を向けて静かにお辞儀をした。
『ありがとう…………』
そう、頭の中に声が響いた。
あのアパートの部屋で見た恐ろしい姿とはまるで別人のように、穏やかに微笑む彼女。
こちらが本来の彼女の姿なのだろう。
その幸せそうな姿を目にして、千夏の目にも涙が滲む。
「どうか、今度こそ。お幸せに!」
それが彼岸に旅立つ者に対して相応しい言葉なのかどうかは、千夏にはわからなかったが、そう声をかけずにはいられなかった。
もう一度、幸子は桜の花のように淡く微笑むと、光の粒子が空に昇っていくようにふわりと見えなくなった。
逝ってしまった。
とても静かに、そして穏やかに。
千夏はしばらくそちらを眺めていた。隣で晴高がズボンのポケットから煙草を取り出すと、口に咥えて火をつける。
「禁煙、してたんじゃないんですか?」
前にそんなことを言っていたことを思い出し尋ねると、晴高は紫煙を細く口から吐きながら答えた。
「送り火だ」
なんだか言い分けなような気もしないではないが、まぁ本人がそれでいいならいいや。
元気はというと、
「幸子さんたち、よかったなぁ……」
感極まったのかぽろぽろと泣いていた。同じ霊として強く共感したためか、それとも元々涙もろい性格なのか。なんとなく後者のような気もする。ハンカチを貸してあげると手に取って涙を拭いていた。
「それにしても。まさか、
ゆったりと空へ登って行く紫煙を眺めながら晴高が言う。
「成仏って、除霊とは違うんですか?」
「似てるようで、全然違う。除霊は言ってみれば、あの世への強制送還だ。
たしかに、さきほどの幸子の姿と、最初アパートで晴高に除霊されそうになったときとではまったく様子が違っていた。
「一方、成仏っていうのは、霊本人がこの世への未練をなくし、納得して自分であの世へ旅立つことをいう。さっきの幸子の霊は、まさにそれだったな」
「じゃあ、成仏の方がいいんですね」
千夏の言葉に、晴高は煙草を手に苦笑した。
「そりゃ、そうするに越したことはないが、そうそう全部にかかわってもいられないし、そもそも未練に凝り固まって話すら通じないやつも少なくないからな。悪霊化してしまってたりしたらなおさらだ。そうなったらもう、これ以上害をなす前に速やかに除霊する必要がある。幸子は幸運だったな。もう少し遅かったら悪霊になっていたかもしれない」
「そう、なんですね……」
あんな風に穏やかに彼岸に逝けるのならば、そちらの方がいいに決まっている。間に合ってよかった、そう心からホッと胸をなでおろしす。
そして、隣の涙もろい幽霊男のことを見上げる。
「元気は、なんの未練があってここに残ってんの? いつか成仏すんの?」
千夏に聞かれて、元気は小首をかしげた。
「さぁ。自分でもよくわかんないんだよな」
そこに晴高が、
「除霊するか」
なんて口を挟むものだから、元気は晴高からすすっと数歩離れた。
なにはともあれ、こうして千夏が抱えた初事案は無事解決したのだった。
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