第26話 削りあう魂

 影に意識を集中しながら高度を下げる。狙うは、灯護の方へ伸びている影。


 地に足が触れたその瞬間、彼は前へ飛び出した。跳躍と飛行を織り交ぜ、床を滑るように距離を詰め、臆すことなく敵の間合いへと斬りこんだ。


 対して石像がとった選択は反撃ではなく回避。大きく右へ飛んだかと思うと、灯護の後方へと駆けだす。それを見た灯護は空中にて反転。大きく後ろに下がって位置関係を守る。今の灯護側に影が伸びている位置関係を入れ替えてはならない。


 『救済』を操る影は、『救済』がどれだけ動いても周囲の光源の位置に関わらず、常に北西向きに伸びている。おそらくは太陽によってできる影と対応しているのだろう。


 灯護は高くは飛ばない。高く飛ぶほど攻撃は当たらないだろうが、それではこちらの攻撃も届かない。それに逃げに徹しすぎて真莉の体の方を狙われても困る。真莉の周囲には簡単な結界が張ってあるが、それは『救済』の攻撃をせいぜい二、三発防ぐ程度のものでしかない。敵にとって灯護が無視できない程度の脅威でなければ、きっと真莉の方に行かれてしまう。


 腕の横薙ぎを大きく横移動で回避する。その隙に位置関係を変えようと前へ出る石像を影への剣撃が牽制する。振り払われた拳をまた避ける。


 空中を動く灯護の動き動きは大雑把で、それほど素早くはない。そこまで自身の体を操作する練度を灯護は持っていない。また、真莉も宙に浮きながら戦うことは初めてなので、浮遊していることを最大限に活かした戦いができているとは言いがたい。だから時にはリスクを承知で床に足をついて剣を振るう。


 薄赤に染まった廊下に火花が散る音と重い衝撃が交互に繰り返される。剣と拳を組み結び、立ち位置を巡り、入れ替わり立ち代わり、その姿は、さながら狂気的な舞踏を興じているよう。


 灯護の被弾は明らかに多くなる。振るわれた拳を剣で受け、時折避け損ねては体が傾ぐ。真莉の血でできた装飾品が彼の身代わりに次々砕けては空気に溶ける。これがなければとうに灯護は死んでいる。それでも灯護の身には痣が増え、ダメージは溜まっていく。


 剥がれていく自らの守りに、灯護と真莉の焦りが加速していく。


 だが二人の思いを背負う刃は、確実に相手にダメージを与えていた。決定打は打てないまでも石像のあちこちを斬り、削り、今や『救済』は傷だらけだ。


 だから二人は止まらない。傷を受ける一瞬すら惜しみ、筋肉に鞭を打って剣を振るう。


 前へ前へと灯護を追い越そうとする『救済』と、そうはさせまいと下がりながら剣を振るう灯護。いつしか両者は廊下を出て、先ほど真莉が戦闘を行った常設展へと足を踏み入れていた。


 焦げ臭いにおいと煙立ち込める部屋は、火が消えていても熱気はいまだ残っている。幸い床が結界に覆われているおかげで火は燃え広がることなかったようだ。業炎に巻き込まれた展示物の残滓が残り火に燻っている程度である。ほとんどの展示物が無残な姿で床に散乱し、部屋中央にある仕切りも傾いていた。


 白と赤の嵐の中で、決死の覚悟がついに花を咲かせる。白い拳をかいくぐり、灯護は完璧なタイミングのカウンターを放ったのだ。振るわれた一閃は首の左側から左胸にかけての影を切り裂く。一瞬遅れ『救済』の左腕がゴトリと地面に落ちる。


 これで石像は右手と左腕一本を失った。攻撃手段はほぼなくなったはずだ。


((よし!))


 畳みかけようと追撃する灯護。再度鋭い剣閃が地を掠める。しかし、その剣は影を切り裂かなかった。剣が触れるその直前、不自然に影が形を変えたのだ。


「なっ……!」


 何もない床で流月が火花を散らす。


 『救済』の影は、剣が突き立つはずだった首のあたりで大きくくの字に曲がっていた。みればその石の体のほうも、影に合わせてぐにゃりと曲がっている。


 石像は、不自然な姿勢のまま重い前蹴りを放ってくる。


 後方へ飛んで回避する灯護。しかし、完全に間合いから出たはずの彼の体を追いすがるように、その足が伸びた。


 それに驚く間もなく灯護の腹を白い足が強かに打ち据える。


「がっ……!」


 肺から空気が無理やり吐き出させられる。彼の身代わりに左手の指輪が三つ砕けて消える。


(すぐ持ち直して!構えを解かない!)


 真莉の叱咤でなんとか空中にて持ち直し、剣を構える。


 真莉の思考が灯護に流れる。


 敵の本体は影。普通と違い、実体が影に合わせて動いているのだ。ならば、影が形を変えれば実体も形を変えるのは自明の理。影が本体と真莉にばれている今、それを隠す理由はない。


(でも腕がないならだいぶこっちが有利に……)


 と、真莉が見据えようとした希望の光は、その言葉が終わる前にかき消される。


 突如石像が灯護に背を向けたかと思うと、その首が一八〇度回ってこちらを向いたのだ。その背にあるのは、無数の手で出来た白い翼。右側は半分ほど斬られている。その翼が今自由自在に伸縮している。……まるで腕のように。


(くっ……)


 廊下側から差す光を背にしているその姿は、あたかも最初の邂逅を彷彿とさせ、いやが応にも振り出しに戻ったかのような感覚が二人を釘撃った。


『救済』が即座に間合いを潰し、翼を振るう。無数の手が二人の命を求めて伸びる。その動きは明らかにさっきまでと違う。硬いはずの大理石の体が、軟体動物のようにグニャグニャと形を変えて動くのだ。そんな動きをしているのに触れればしっかりと硬く、撃ち込まれる拳に柔らかさなどない。


 翼が伸び、宙を薙ぐ。しゃがんで避けた足元に伸びた腕の影が差す。慌てて体を浮かせた灯護にもう再度翼が肉薄してくる。かろうじて剣で防いだ矢先、中央の仕切りを破って死角からもう一方の翼が襲い掛かる。


 常識などかなぐり捨てた動きに灯護たちは翻弄される。もはや動きを予想できず、防戦に回らざるを得ない。かろうじて放つ反撃も不定形の影にグニャリとあっさり躱される。その間にも灯護にかけられた魔術は次々剥がれていく。


 灯護の背に硬いものがぶつかる。ハッと振り返れば、そこはすでに壁の前。これ以上下がる場所はない。


 一瞬逸れた意識を逃さず、飛びかかってくる石像を寸でのところで飛んで回避する。


 空中にて互いの視線が交錯し、ここもまるで先ほどの焼きまわし。ただ違うのは、これをもって互いの有意関係が全く入れ替わったということだ。


 名残惜しむ間すらなく、あっさりと両者の立ち位置は入れ替わってしまった。


 壁を背にした石像の影へ視線を落とす。背中側へと伸びる影。たった数メートル変わっただけのその影の位置が、灯護には何十メートルも遠くなったように感じる。全く変わっていないはずの『救済』の表情が余裕を抱いた気さえする。


 以降戦況は大きく変わった。


 石像の不規則な動きに翻弄され、ほとんど防戦一方になる。影を攻撃される心配がなくなった『救済』の攻撃は炎のごとく苛烈であり、もはや真莉にも反撃の糸口がつかめない。もとより有意な立ち位置にいてようやく釣り合っていた天秤。一度傾き始めればもう止められない。なんとかもう一度立ち位置を変えようと考える余裕すらない。


 玉のような汗を飛ばし、必死の形相で応戦する灯護。しかし。それが身を結ぶことは無い。


 いとも簡単に灯護は廊下へ押し戻され、両者は真莉の前を通り過ぎる。


 灯護の思考に真莉の焦りが混ざる。疲労も限界に近い。全身に浮かんだ痣。走る痛み。過呼吸寸前の息遣い。無理な運動に悲鳴を上げ始めている筋肉。魔術によるドーピングが切れはじめ、それらが鎖となって灯護の動きを縛る。いくら無心で真莉の思考に従おうとも、体そのものが言うことを聞かなくなってきていた。


 灯護は纏う装飾品を見る。あれだけ彼を彩っていた赤い装飾品もいまや数えるほどしかない。


 指輪が四つ。ロングコートと左右のブレスレッド、チョーカー、イヤリング。うち半数近くがあと一分も経たず効果が切れる。


 背後に目を移せばもうすぐそこに特別展の扉がある。


 灯護/真莉は唇を噛んだ。


 伸びてきた翼が灯護の顔を強かに打った。ダメージを肩代わりして指輪が一つ散る。しかし、灯護を求める無数の腕は、そのままロングコートの襟元を掴んでしまっている。


「くっそ……!」


 間一髪影を斬って手を破壊する。


 距離をとろうとする灯護を、石像は休む暇すら与えず攻め立てる。


(このままじゃあ……)


 真莉の思考に最悪の未来が割り込んでくる。焦りと現実だけがただ無用に彼女を追い立てる。すると、


(真莉さん)


 手を打ちあぐねている彼女の思考に、灯護の思考が割り込んできた。いままでただ真莉の思考に合わせていた彼は、真莉にとある提案をする。それはまたしても彼女にとってあり得ない選択肢だった。


(そんなの無理よ!)


(君が無理だって言うなら……)


(違う!それじゃあなたが――)


 イヤリングが砕け散った。


 ギリギリのところで躱した顔面への一撃が、イヤリングには当たってしまったのだ。


 イヤリングは真莉と灯護の思考をつなげていた魔術。ブツリと灯護の頭の中で真莉の声が途切れ、真莉の思考もなくなった。


 途端に灯護の心を、孤独が支配した。


 真莉の度胸でかき消されていた不安が押し寄せ、目の前の異形への恐怖に襲われる。突然できた心の空白をあらゆる負の感情が埋め尽くす。


 灯護は強く首を振った。


(さっき僕は真莉さんなんて言った!『大丈夫だ』って言ったんじゃないか!だったら!だったらここで呑まれちゃだめだろ!)


 振り下ろされた翼を下がって躱す。反撃に伸びた翼の影へ剣を振るう。その剣さばきは先ほどよりは見劣りするが、それでも十分戦闘が行えるレベルだ。


 彼の能力、共鳴キャン色彩バスのおかげだ。思考を共有することでいつもよりずっと深く灯護は真莉の経験ディザルマと共鳴できた。あれだけ同調できれば、充分動きをトレースできる。その動きでなんとか灯護は応戦する。


 指輪がまた一つ砕け散る。時間切れ。いままでの疲労が重く返ってくる。


 残る指輪はあと二つ。


 左腕のブレスレッドの効果時間はあと四〇秒。


 覚悟を決めて灯護は前に飛び出す。狙いはもちろん敵の影。


 振るわれる翼と剣。実力差は歴然でやはり灯護は後退せざるえない。


 残り三〇秒。


 薙ぎ払われた翼が直撃する。指輪が一つ空気に溶ける。残るはあと一つ。ダメージを顧みずに剣を振るうが、刃は翼の先端を壊すのみ。


 二〇秒。


 翼の手がロングコートの裾をつかんだ。即座に裾を流月で切り離す。そのまま影に剣を振り下ろすが巧みに影を曲げられ交わされる。影に集中していた灯護に、もう一方の翼が頭上から襲い掛かる。虚を突かれた灯護の頭に、固い大理石の拳が炸裂し、床へと叩きつけられる。最後の指輪がはじけ飛んだ。


 反射に等しい速度で身を起こし、灯護はさらに距離をとろうとする。が、彼が一歩足を下げたとたん、その足は固い扉にぶつかっていた。灯護はもう扉の前まで追い詰められていたのだ。


 別の行動を考える暇もない。


 残り一〇秒を待たずして、ついに『救済』の翼が灯護の首を捉えた。


 轟音とともに扉へと叩きつけられる灯護。ダメージを肩代わりする指輪はもうない。激しい衝撃と痛みが彼の体内を駆け巡る。


 彼の口から血が吐きだされる。それでも必死にもがこうとする灯護だったが、無数の手が彼に纏わりつき、どんどん自由は奪われていく。


「う、がああっ!」


 絞められた喉から悲痛な声を上げて彼は流月を投げつける。しかし、当然そんな攻撃は効かず、流月は虚しく『救済』の顔面をすり抜け、遠く床へ滑っていった。


 左腕のブレスレッドが割れる。灯護の身体強化の半分を担っていたその魔術がなくなり、彼の抵抗が一層非力になる。


 首を、腕を、体を、まるで慈しむかのように数多の手が彼を掴む。


 首を持つ手の力が強まり、肉体強度を上げていたチョーカーが砕け散る。灯護の首が一気に締まり、纏わりつく指が強く体に食い込む。


 ついにはロングコートさえも虚空に消えた。


 もはや抵抗もできない灯護から力が抜け、指先がダラリと垂れ下がる。その指先から彼の意識も零れ落ちていく。


 あるいは、『救済』に痛覚があれば、この戦いの結末は違っていたかもしれない。


 痛覚があれば……、あるいは視覚以外で環境を認知する術を持っていたら、こうはならなかっただろう。だが現実に『救済』に痛覚はなく、そして体を反転させた際に首も反転させたことからも、視覚が環境認知手段であるのは明らかである。


 


 だから遅れた。


 


 その白い異形が異変に気づいたとき、彼の胸にはすでに大きな穴が穿たれていたのだ。


 石像に表情があったのなら、確実に驚きの表情を見せていただろう。


 一体なにがおきたのか。なぜこうなっているのか。


 答えは一つしかない。この白い肉体を傷つける方法など一つしかないのだから。


 『救済』が振り返る。そこで彼は見たのは、床に這いつくばり、自分の影へ剣を突き立てる真莉の姿だった。


 魔術も限界まで使い、身体能力の半分を灯護に明け渡し、息も絶え絶え。しかしそれでも真莉は這いずり、灯護が投げた剣で影を刺したのだ。


 『救済』を睨み付ける真莉の目には変わらず静かな炎が灯っている。生きなければならない。生かさなければならないという執念の炎。その炎が彼女をここまで動かした。


 弾かれたように石像が身を翻す。これ以上魔力ディザルマを奪われれば、もはや体を維持できない。剣を突き立てられたまま無理に体を動かしたことで石像の傷がさらに広がる。だがそんなことは歯牙にもかけず『救済』は真莉へ襲い掛かろうとする。


 しかし、その動きも途中で止まる。


 見れば灯護が自らの翼を掴んだまま情愛の糸アンビバレンキネシスで自身の体を空中に固定している。その目に宿るは真莉と同じ色の炎。


 『救済』の全身にヒビが走る。穿たれた穴が広がり、ついには灯護が捕まえていた翼が千切れる。ようやく自由を得た石像が、真莉へと向かう。破片を散らし、全身を崩しながら。


 真莉はその瞳ですべてを捉えた。今まさに振り下ろされんとする翼をしかと見つめる。動けずとも、目を閉じることも、逸らすこともなく、ただ真っすぐに視線だけは相手にぶつけた。


 『救済』は相も変わらず無表情。しかし、自身の体をかなぐり捨てて向かってくる姿は、いかにも死に体の必死さがあるよう。


 前後逆となり、羽を前にした異形。その姿にもはや芸術作品の面影はない。


 人が決して何に生かされているか気付けないことを示していたはずの作品。しかし、今や反転した頭はしっかりと翼を自らの視界に収めてしまっている。


 二人の口が同時に開く。


 そう、その翼は――


「「……あんたが見ていいもんじゃない」」


 真莉が一気に剣を引く。『救済』の目が一文字に崩れ去る。


 その一閃を皮切りに、白い石像は動きを止めた。一瞬遅れて。全身が空中にて砕け散る。周囲に細かな破片が散乱した。倒れている真莉の背にいくつもの欠片が降り注ぐ。


 ほんの数秒の間破片が床を打つ音が木霊したあと、博物館に静寂が返された。僅かにある音は、二人分の苦しそうな息遣いだけだ。


 二人とも、何も言わない。破片まみれの二人がどちらも死んだように床に伏している。


 本当にあの戦いに勝てたのか、という非現実感が勝っている。


 しばらくの間をおいて、館内を覆っていた赤い結界が溶けるように消えた。これですぐさまノアリーの救援が来るだろう。正真正銘、二人は生き残ったのだ。


 だがそれでもしばらく二人は息を切らしたまま言葉を発しなかった。

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