最終章 第4話 Make your choice その3

「今度は間違いなく弾丸が飛び出す。扱いは慎重に、な」

 有無を言わせず拳銃を押し付けた博士は、そう言って数歩後ろに下がった。

 拳銃を握らされた龍二は、博士の意図が読めず、眉を顰める。

「僕に、なにをさせたいんだ?」

「最後の選択を」

 手頃な椅子に腰かけた博士は、背もたれに身体を預けて足を組む。

 やるべき事は全てやったとでも言いたげな態度だ。

「先ほども言った通り、必要なことは全て話した。これでようやく、先に進める」

 深く息を吐き、切れ長の双眸を龍二へと向ける。

「君はこれまで、いくつもの答えを私に見せてくれた。どれもこれも、非常に興味深く、貴重なものだ。たった一度の実験でここまでの成果を得られるのは、奇跡に等しい」

 褒められている、と感じるのは龍二の思い過ごしではない。

 伝わりにくいが、博士は安藤龍二という個体に対して、敬意にも似た感情を抱いていた。

「私は、一つの結論に達した」

 口角を僅かに上げ、博士は告げる。

「安藤龍二。君は間違いなく、自我を確立している。作り物でありながら、一般的な人間と変わらない自我が、その肉体には宿っている。それを疑うつもりは、もうない」

 その言葉は、不思議と穏やかな響きを持っていた。

 あれほど滲ませていた狂気や悪意が、まるで幻だったように消えている。

 清廉とは決して言えないが、悪辣とも思えない。

「そんな君が、これからどうするのかを聞かせて欲しい。我々の目的も、世界の状況も、君は理解している。その上で、君はどうする?」

 その質問は、広大な水面に一つの波紋を起こすようなものだった。

 これまで理解し得なかった博士の意図が、今だけははっきりとわかる。

「……その気になれば強制できるのに、どうしてわざわざそんな質問をするんだ?」

「確かにその通りだ。強制するのは容易い。すぐにでも君を捕縛し、閉じ込めてしまうのは、なにも難しいことではない」

 だがそのつもりはないと、安心させるように博士は微笑む。

 が、彼女の笑みに安心するような人間は、ここにはいなかった。

 裏があると疑ってしまうのは、仕方のない事だ。

「強制しない理由は二つ。一つは、ここまで育った君という個体、その存在に不純物を混ぜたくないからだ。君から得られるデータは貴重だ。ほんの些細な、目に見えないほどの傷であろうとも、曇ってしまう。私としては、それは避けたい。君には最後まで、君として選択して欲しいのさ」

 安藤龍二はガラス細工のようなものだと、博士は思っていた。

 彼という存在と自我は、奇跡的なバランスで成り立っている。

 僅かな変化ですら、どう崩壊するかわからない。

 これまで博士が龍二を揺さぶってきたのは、その存在を確かめるため。

 自我を確立していると判断した今、もうその必要はない。

「二つ目の理由は、そっちの二人を納得させるため、といったところだ」

 博士は腕を組み、顎でうてなと深月を指し示す。

「もし強制しようものなら、まず間違いなく面倒を起こすだろうからな」

「当然でしょ」

「あぁ、そうすると信じているよ。だからこそ、彼自身に決めて貰おうと言っているんだ。安藤龍二の選択であれば、君たちもそれを尊重するだろう?」

 肩を竦める博士の言い分に、龍二は納得してしまった。

 確かに博士が強制すると言えば、うてなはなにをしでかすかわからない。

 それだけではなく、深月もうてなに同調する可能性がある。

 龍二としては、それは望むところではない。

 その点で言えば、博士の言う通りだった。

 龍二自身が決めた事なら、少なくともうてなは納得してくれる。

 自分の意思を尊重してくれるという、揺るぎない信頼があった。

「あとは、そうだな。私なりの親心、とでも言いたいところだが……これは笑えない冗談か」

 自嘲する博士に、三人は無言で頷く。

「納得がいったのなら、今ここで決めて貰おう」

 足を組みなおした博士は、一切の感情を掻き消し、真っ直ぐに覗き込むような視線を龍二に向ける。

「尊厳のために自ら命を絶つというなら、引き金を引けばいい。彼女たちと逃げるというのなら、止めはしない。その場合、戦闘は避けられなくなるが、仕方ない。君が選んだ結果なのだからな」

 博士が望むような結果ではないが、それでも受け入れるつもりだと、その目が語っていた。

 どのような結果であれ、得られるデータは唯一にして無二。

 安藤龍二という実験体が残した答えである事に、変わりはない。

「それとも、私を撃つか? 君たちにしてみれば、私のしていることは悪に思えるかもしれないからな。そうしたいのなら、すればいい」

 まるで自身の命になど興味はないと言うように、博士の声は軽い。

「ただし、それがなにを意味するのかは、忘れてくれるなよ? 組織の計画を阻むということは、今存在している人間、そしてこれから数百年で生まれてくる生命を殺すということだ。私としては、それならそれで構わないがな」

 だが君たちは違うだろう、と博士は目を細める。

 特にうてなは、その言葉の意味を痛いほど理解できていた。

 神無城うてなが背負っているものですら、軽く笑い飛ばせるほどの罪だ。

「さて、どうする? 数十億という他人のために、その尊厳を私に差し出すか? それとも、不確定な未来など知らぬと背を向けるか?」

 ――答えは、二つに一つ。

「選択は、君次第だ」

 博士はそこまで言って、小さく首を傾げる。

 あとはただ、龍二の答えを待つだけだ。

「…………」

 博士の言葉を反芻し、龍二は握らされた銃に視線を落とす。

 スケールだけは大きいが、選ぶべき道は単純だ。

 ――自分か、それ以外の全てか。

 脳裏に浮かぶのは、彼女の言葉だった。

「……僕は、僕自身を人間だと、今でも思ってる。あなたの話を聞いても、それは変わらない」

 たとえ安藤龍二という名前が、冗談のようなコードネームからつけられたものだとしても。

「安藤龍二……これは、僕が貰った、僕の名前なんだ」

 誰がどういう意図で与えたものかは、関係ない。

 自分自身に根付いている感情や言葉に、龍二は自然と口元を緩めていた。

 迷いそうになっても、わからなくなりそうになっても、彼女の言葉が、浮かんでくる。

「僕をそう呼んでくれる人が、ちゃんといたから……」

 それも一人ではない。

 何人もの大切な人たちが、何度もそう呼んでくれた。

 その心地良さと幸福感は、決して偽りでも幻想でもない。

「僕は僕だ。作られた実験体だろうと、それだけは譲るつもりはない。たとえあなたが僕を作った人だとしても、僕はあなたの所有物じゃない」

 人造人間であるかどうかすら、関係ない。

 子供が親の所有物ではないのと同じだ。

 どんな風に、誰から生まれたとしても。

 そこにあるのは、ただ単純に、一つの命。

「それで?」

「これが、僕の答えだ」

 そう言って龍二は、誰の命も奪わないと示すように、あっさりと銃を捨てる。

「あなたに、協力する」

 そして一切の迷いもなく、声を震わせずに、はっきりと告げた。

 その答えに、博士は感嘆の息を漏らした。

 考え得る限り、最高の答えだと、その瞳の輝きが物語る。

「だから、お願いだ。彼女たちに、自由を与えて欲しい」

「あぁ、いいだろう。君の選択には、最大限の礼をもって応える」

 あまりにも簡単に受け入れる博士に、龍二は僅かに戸惑いを覚える。

 少し前に話した様子から、そう簡単には受け入れないだろうと思っていた。

 目を見開く龍二の様子がおかしかったのか、博士は意地の悪い笑みを浮かべる。

「だが、信じてもいいのか? 私に身を預けたあとでは、約束を守ったかどうかを知るすべはないぞ?」

「その点は心配してない」

「ほぅ。そこまで私を信じてくれるのか」

「それはない。僕が信じるのは、彼女たちだ」

 冗談めかす博士の言葉を律儀に否定し、龍二は二人の少女に目を向ける。

 ずっと黙ったまま聞いていた二人が、それまでどんな表情をしていたのかは、わからない。

 だが今浮かべている表情に、陰りはなかった。

 龍二は二人の表情に応えるように頷き、博士に向き直る。

「もしあなたが約束を反故にしたら、彼女たちが黙ってないから。だから、なにも心配なんてしてないよ」

 そんな風に断言できるのは、龍二だけだろう。

 他人を納得させられるような根拠など、どこにもない。

 あるのはひたすらに純粋な、積み重ねて来た信頼だ。

「…………ホント、バカじゃないの」

 他人には決して理解できない奇妙な信頼に、うてなは苦笑する。

 深月と目を合わせ、二人で肩を竦めた。

 これほどまでに重く感じる信頼は、そうあるものではない。

 だがその重さが、二人の内側に熱を宿す。

「……本当にいいのかは、今更訊かないわ」

「ありがとう、久良屋さん」

 何度も見た深月の困ったような表情に、龍二は頬を掻く。

 そして浮かべていた笑みを僅かに引き締める。

「……それと、もう一つ」

「逢沢くのり、か?」

「あぁ」

「いいだろう。君が望むのであれば、すぐにでも作業に取り掛かる」

「――違う」

 龍二の意図を読み違えた博士は、否定の言葉に目を細めた。

「もう一度会いたいのではないのか?」

「……会いたいとは、思う。でも、それは叶わない。叶えちゃ、いけないんだ」

 未だに残る痛みを抱えたまま、龍二は真っ直ぐに博士を見る。

「彼女はそのまま……もう、そっとしておいて欲しい」

 保存も蘇生も複製も望まない。

 逢沢くのりはもうこの世界にはいない。

 もう二度と、会う事はできない。

 ――奇跡など、望まない。

「彼女を……くのりを、解放してくれ」

 擦り切れそうな懇願に、博士は答える。

「君の望むようにしよう」

 契約は成立したと、二人は静かに頷き合った。

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