最終章 第4話 Make your choice その2

「この世界……この地球という星は、すでに死へ向かって加速している生命だ。スケールの大きさから、そうとは気づけないがな。この先どうなるのか……特に環境面では、最悪を想定するしかない」

 大地が荒れ果てる、などというレベルでは収まらない。

 いつかは、いかなる生命も存在を許されない死の星となる。

 そしていずれは、星すら死を迎える。

 本来の定められた寿命ではなく、生命力を根こそぎ奪われた結果として。

「あくまで推測だが、猶予はあと三百年ほどだ」

「三百年……」

 それを遠い未来と考える事は、龍二にはできなかった。

 むしろ、たったそれだけなのかとすら思う。

「あぁ、誤解するな。三百年というのは、人類が環境に適応できる限界、その予測だ。人間にとっては過酷すぎる環境でも、地球にしてみれば肌寒さを覚える程度だろうさ」

 それでも人間にとっては、十分すぎるほどの脅威となるのだと、博士は笑う。

「生命体としての、強化……」

 ぽつりと呟いた深月に、博士は満足げに笑みを浮かべた。

 不思議そうに振り返る龍二とうてなに、深月は小さく頷く。

 博士からそれらしい情報を聞かされていたのだろうと、二人は理解した。

「彼女の言う通りさ。どれほど過酷な環境になろうとも、それに適応して生きていけるよう、全人類を強化する。安藤龍二やエージェントを含めたプロジェクトは、そのためのものだ」

 一度言葉を区切り、博士は三人を見回す。

 それぞれに戸惑いの差はあるものの、ある程度は理解していると判断して続ける。

「もちろん、それだけではない。同時に複数の方向性を持ったプロジェクトが進行している。単純な生命体としての強化は、あくまで一案だ。それに強化と言っても、方法はいくつもある。生身で耐えられないのなら、機械で代用するという方法も考えられる。最終的には、人間という殻を捨てることも、可能性としては十分にあり得る」

 博士はその一案に、個人的な肩入れをしているように、深月には見えた。

 語る言葉の節々に、熱を感じる。

「この地上で生きることが難しくなったとして、君ならどんな解決策を考える?」

「……施設を作って、そこで暮らす、とか。外で生きていけないなら、そういう場所を作ればいいと、思う」

 不意の問いかけに対し、龍二は映画にあるような例を挙げた。

「あぁ、間違いではない。そういうアプローチは当然ある。とは言え、巨大な揺り籠を建造するにしても、全人類を収容することは難しいだろう。そもそも、施設を作る土地がどうなるのかすらわからない」

「……なら」

 自分でもバカげた案だと思い、龍二は言葉を濁した。

 博士はそれを微笑で受けとめる。

「地上ではないどこかに作る。当然、そう考える。ある意味、人類の夢でもあるだろう? 空の向こう……宇宙は広い」

「本当にそんな計画が……」

「あるとも。この星がダメなら、別の場所へ。それこそ、フィクションで描かれる箱庭を宇宙に建造してしまえば、地上がどうなろうと問題はない。挑戦したがる研究者は、意外と多いよ」

 今この瞬間にも、その計画のために全てを費やしている者たちがいると、博士は語る。

 それだけではない。

 別の星へと移住する案すらある。

 地球を離れず、荒れ果てていく大地を再生させる方法を模索するべきと熱弁を振るう研究者もいる。

 そうして優秀な研究者を取り込み、組織の力は増していくのだと肩を竦めた。

「その中で私が深く携わっている計画は……言うまでもないか」

 龍二は黙って頷く。

 この場にいる全員が、答えを聞くまでもなくわかっていた。

「エージェントにまつわる計画はそもそも、彼女が現れる以前より進められてきたものだ。それこそ、久良屋深月や逢沢くのりが生まれたのは十八年ほど前になる。奇しくも、私たちが進めていた研究と、世界の救済に求められる研究が似ていたというわけさ。これはもう、神の思し召しと言っても過言ではないと思わないか?」

「過言でしょ」

 間髪入れずに言い切ったのは、うてなだった。

 血の滲む唇を軽く舐め、鼻を鳴らす。

 まだ本調子とは言えないが、その表情には活力が戻っているように見えた。

「あんたたちがやってた研究って、なんなの?」

「生命体としての強度を上げる、という点は変わっていないよ。どういう面で強度を上げるのかと言えば、これも最初期から変わっていない。資産家のスポンサーが求めるものがなにかを考えれば、わかるのではないか?」

「……不老不死、とか言わないでよ」

 やや呆れたような声色で、うてなは目を細める。

 いくらなんでもベタすぎると言いたげだった。

「僅かでもいいから生き永らえたいと望むのは、生命体として間違ってはいないと思うよ」

 うてなが否定したがったベタをあっさりと肯定し、博士は唇を僅かに歪める。

 自分自身にその願望はないと、嘲るような目が語っていた。

 そして、ジッと睨み付けてくる龍二の視線に向き合う。

「だったら、なんでくのりは……寿命を延ばす研究だって言うなら、どうしてくのりはああなった?」

 あと一年は生きられないと語った時の表情が、脳裏を掠める。

「意図して死期を設定できるようになれば、その逆も可能なのではないかと思ってね。あくまで可能性を探る実験の一つなんだよ、あの世代はね」

 もう何度目になるかわからない。

 怒りで思考が真っ白になるような感覚に、龍二は息苦しさを覚える。

 博士という人間はそうだと、何度も思い知らされた。

 それでもやはり、怒りを覚えずにはいられない。

「……どうして、そんなことができる」

「言っただろう? 正気で世界は救えない、と」

 嘲るような笑みも、からかうような色もない。

「他人にどう思われようと興味はないが、これだけは言っておく。私は弄んでいるつもりなどない」

 これまでにない真面目な表情で、博士は臆面もなくそう言った。

 彼女に対して抱く印象とはあまりにも違いすぎる言葉は、性質の悪い冗談にすら聞こえる。

 にわかには信じがたいと、龍二は小さく首を振った。

 どうしても、博士に人並の倫理があるとは思えないのだ。

 それを感じ取ったのか、博士は小さく鼻を鳴らした。

「君たちには常軌を逸した実験に見えるかもしれないが、全てに意味がある。私はね、必要な実験を一つずつ行い、検証を繰り返しているだけなんだよ、本当にね」

 理解を得るためではなく、淡々と事実だけを告げるような声色だった。

 先の言葉に偽りはないのだろう。

 他人にどう思われるかという事に、興味などないのだ。

 博士はただ、目的のために躊躇なく行動し続けているだけだ。

「しかし不思議なものだよ。生かすことは難しいが、死なせることは容易い。等しく生命を操る現象なのにな」

 そう語る博士の声色には、今までとはどこか違う気配が混じっている。

 少なくとも、龍二にはそう感じられた。

 それがなんなのかはわからないが、ネガティブなものではなかった。

「もちろん、死期を十八歳前後に設定しているのにも理由はある。主な理由は実験のサイクルを早めるためだ。さすがに何十年というサイクルでやっている余裕もなければ、必要性もない。まぁ、それも君という成功例のおかげで、更に早めることができそうだ。本当にね、今回の実験は素晴らしい成果なんだよ」

 憧れとも思える熱を宿した双眸で、博士は龍二を見つめる。

 不安にも不快にもならない、ただ落ち着かない気持ちになる視線だった。

「それともう一つ。二つの世界の相違についても調べている」

 龍二に注いでいた視線をうてなに移し、博士は僅かに口元を緩めた。

「君たちの世界とこの世界は、非常に近い歴史を歩んでいる。唯一の違いは、魔法という技術が一般的に根付いているかいないか、だ」

 間違いはないだろう、と確かめるようにうてなを見る。

「子供のときの記憶だからどこまで当てになるかわからないけど、たぶんね」

 うてなの答えに博士は頷き、続ける。

「君の証言をもとに検証を重ね、こちらでも色々と気になる点を調べていた。そして一つ、魔法とは別に、決定的な相違点を見つけた」

 勿体つけているつもりはないのだろうが、その僅かな間が、うてなにはもどかしく感じる。

 無意識に鋭くなるうてなの視線に応えるように、博士はその手を向ける。

「――それが君だ、神無城うてな」

 なにが言いたいのかをすぐには理解できず、うてなは眉を顰めた。

「君が並行世界からの来訪者だと判明してから、すぐ調査は始めていたんだ。それこそ、あらゆる手を尽くして、世界中を探した」

「…………あぁ」

 そこまで言われたうてなは、ようやく理解して小さく頷いた。

「で、どうだったの?」

 うてな自身も興味はあるのか、博士に先を促す。

「結論から言おう。神無城うてなに連なる血筋は、この世界には存在しない」

「……まぁ、そりゃあそうなんじゃない? 魔法の仕組みが違うわけだし」

「かもしれないな。だが、近しい遺伝子を持つ存在が一人としていないというのは、私としては無視できなくてね。全く異なる歴史を歩む世界なら、そう難しく考えずに納得できたのだが」

 二つの世界が比較的近しいという前提であれば、僅かな痕跡すらないという事実を無視できない。

 神無城うてなは、二つの世界を繋ぐ存在であり、もう一つの世界においても重要かつ特別な存在だ。

 魔法の仕組みそのものが違う理由も、そこに鍵があるのではないかと、博士は考えていた。

 並行世界への扉を限定的とはいえ開く事ができる、科学では到底及ばない領域。

 うてなの話を信じるのなら、歴史上に同一の人物が多数存在していた事は間違いない。

 にも関わらず、神無城うてなに連なる遺伝子は、この世界に存在していない。

「君はおそらく、あちらの世界においても非常に特別な存在なのだろう」

「特殊な魔法を使う一族だっていうのは認めるけど、そこまで言うほどのものじゃない」

「神殺しを生業にする一族が、特別でないはずがないさ」

「……信じるなよ、そんなバカみたいな話」

 幼い日の自分を恨むように、うてなは小さく舌打ちをした。

 博士がどういう人間なのかを知っていれば、ああも素直に話したりはしなかったのに、と悔やむ。

「たまたま、こっちの世界じゃ生まれなかっただけでしょ」

「あぁ、その可能性もある。二つの世界の全人類を比較できたなら、途絶えた血筋や存在しない人間はいくらでも出てくるだろうさ。だが、君はただの人間ではない。世界の命運すら変え得る存在だ。仮に君という存在がいなくとも、君に近しい遺伝子の痕跡はあるはずだ」

 だがそれすら存在しないのは不自然だと、博士は楽しげに笑みを浮かべた。

「それがなにを意味するのかは、まだわからないがね」

 だからこそ興味深いと、目を輝かせる。

 その眼差しは、剥き出しの好奇心を宿していた。

 まるでそこに、世界の秘密があるとでも思っているかのように。

 うてなもまた、自分という存在に今までとは違う興味を抱きつつあった。

 神殺しの一族、神薙の巫女。

 その成り立ちや起源を、うてな自身も知らない。

 疑問に思った事すら、ない。

 当然と言えば当然だが、こうも疑問を呈されては、気にもなる。

 どちらにせよ、確かめるすべはないに等しい疑問だ。

「思ったよりも話し込んでしまったな」

 博士は切り替えるように言って、腕時計で時間を確認する。

 そして顔を上げ、龍二を見た。

「実に有意義な時間だったよ。ここまで話せる機会は、なかなかなくてね。そういう意味でも、君には感謝している」

 どう答えればいいかがわからず、龍二は黙って博士を見据える。

 同時に、聞かされた話を頭の中で整理していた。

 自身にまつわる秘密と、世界の秘密。

「……本当に」

「あぁ、カタストロフィはいずれ訪れる。逃れることはできない。そしてそれに備えて行動しているのが、我々だ」

 それを正義だなどと、博士は口にしなかった。

 ただ、善悪で語る事すら愚かしいと断じるような力強さが、そこにはあった。

 生きるために行動するかしないか、それだけでしかない。

「必要なことは、これで全て話した。君の疑問は、これで解消されただろう?」

 博士の言葉に、龍二は静かに頷いた。

 それを見届けた博士も満足げに頷き、歩き出す。

 数歩進んだところで足を止め、おもむろに屈んだ。

 再び立ち上がった博士の手に握られていたのは、龍二が放り捨てた拳銃だ。

 博士は拳銃から空のマガジンを取り出し、そのまま床に落とす。

 そして白衣のポケットから取り出した別のマガジンを装填し、龍二に向けて、笑いかけた。

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