第5章 第3話 だから僕らは踏み出す その6

「数が増えてきたな」

 道中で遭遇した警備員を倒しつつ、二人は階段を駆け上がっていく。

 あからさまに追い込まれているのは、もはや疑う余地がなかった。

「はぁ、はぁ……ちょ、ちょっと待って、息が……」

 壁に手をつき、龍二は呼吸を整えようとする。

 追いかけられているという緊張感が、予想以上に龍二の体力を奪っていた。

「ここが根性の見せ所だぞ」

「根性でっ、体力はっ、どうにもっ、ならないっ」

「気合いだ」

 無茶を言うなと、息も絶え絶えに龍二はうてなを見上げる。

 弱音を吐いている場合ではないとわかっているが、膝がすでに笑いかけていた。

「言っておくけど、さすがに抱っことかしてやる余裕、ないからね」

「そのつもりはっ、ないっ」

 実際にやろうと思えばやれるのだろうが、龍二としては全力で遠慮したいのが本音だ。

 かつて経験したことはあるが、あまりにも情けない気持ちになった事を、忘れてなどいない。

「ま、最後の手段かな」

 茶化すように呟くが、実際には本当に最後の手段とも言えた。

 龍二を抱きかかえて逃げる事はできるが、そのまま安全圏まで逃げ回るだけの体力は、うてなも持ち合わせてはいない。以前そうした時とは、状況が違う。

 スタミナ面だけは、魔力で強化のしようがないのだ。

「ほら、行くよ」

 額の汗を拭っている龍二の手を取り、うてなは走り出す。

 足をもつれさせながらも、龍二は懸命について行こうとしていた。

 情けないのはわかっているが、そのままではいられないと決めたばかりだ。

 ここでうてなの足を引っ張っていては、先が思いやれる。

 そう自分に言い聞かせ、奮い立たせていた。

「龍二はこのままあの階段で上に行って」

 どうして、と言いかけた龍二は廊下の向こうにいる人影に気づく。

 うてなが指し示した階段を挟むようにして、その影は待ち構えていた。

 黒いボディスーツを着ている事から、エージェントの一人だと判断できる。

「あいつを片付けたら追いかける。先に行ってて」

「でも、あの階段の先って、屋上みたいだけど」

「だからここまで来たんでしょうが」

 ただ追い詰められていたのではないとでも言いたげに、うてなは不敵な笑みを浮かべる。

「最初からそのつもりで?」

「まさか。下に行けないから、作戦を変えたの。あんたが好きな映画なら、どういう場面?」

「……なるほど。プランBってやつか」

 不敵を通り越して、なにやら嫌な予感すら覚える笑みは気になるが、うてなの言わんとするところを理解し、龍二は頷いた。

 予定していたルートが使えないなら、別のルート、プランに切り替えるのは当然だ。

「ほら、行って」

 龍二の背中を叩いたうてなは、疾風のように走り出す。

 龍二はその霞む背中に頷き、疲労に震える膝を叩いて階段へと向かった。

 待ち構えていたエージェントは、シルエットから少女だとわかる。

 彼女は階段を塞ぐように移動しようとして、一気に距離を詰めたうてなに阻まれた。

 神無城うてなの情報を知っていたとしても、その尋常ならざる速度にはやはり反応しきれない。

 辛うじて最初の一撃をかわして見せたのは、称賛に値する。

 が、続く二撃目はかわしようがなかった。

 腕を交差させて重く鋭い拳を防ぐが、スピードの乗った一撃に両腕の骨が悲鳴を上げる。

 威力を殺しきれずに吹き飛ばされ、彼女は廊下を転がった。

 龍二はその圧倒的な一撃を横目にしつつ、階段を駆け上がる。

 屋上へと続くドアまで辿り着き、ロックが掛かっている事に気づいた。

「……本当に役に立つなんてなぁ」

 我ながらいい判断だったと自画自賛しつつ、警備員から奪っておいたカードキーを使用する。

 無線機を奪うさい、目に入ったそれも一応持ってきていたのだ。

 龍二が期待した通り、ドアのロックはそのカードキーで解錠する事ができた。

「うてな、いけそうだ」

「そのまま先に出て」

「わかった」

 階段の下でまだ戦っているうてなに頷き、龍二は屋上へと飛び出した。


 うてなは先ほどの少女と戦いながら、追いついて来た数名の警備員を殴り倒す。

 一撃一撃に、死なないでと祈りを込め、容赦なく打ち込んでいく。

 ここに来るまでに、非致死性の武器は全て使いきってしまっていた。

 こんな事なら、麻酔銃を撃つ訓練くらいはしておけば良かったと、今更ながらに思う。

 魔力は十分すぎるほど残っているが、殺さないように手加減をし続けるのは、思っていた以上に体力と気力を奪われる。

 魔法は万能ではないのだと、嫌というほど痛感していた。

「だからって、ねぇ!」

 自身を叱咤するように叫び、仰け反って倒れる警備員の後ろから飛び出してきた別のエージェントを蹴り飛ばす。

 三人目のエージェントは少年だった。ナイフを持っていた腕が、あり得ない方向に曲がり、苦鳴を漏らす。

 追撃をかけようとしたうてなは、背後から迫ってくる気配に身を捻り、スタンバトンの一撃をかわした。

 両腕の骨にダメージを負っているはずだが、エージェントの少女は構わずにスタンバトンを横に薙いだ。

 電気を帯びたそれを、うてなは素手で弾く。普通ならば愚行としか言いようのないが、うてなにとっては何も問題はなかった。

 魔力を纏っている状態ならば、素手で触れてもスタンバトンの電撃を受ける事はない。

 神無城うてなの特異性を理解しきれていない少女は、驚愕に目を見開く。

 ほんの一瞬、動きが止まってしまった。

 うてなの前では、致命的すぎる一瞬だ。

 少女からスタンバトンを奪い取ったうてなは、少女がそうと気づく前に意識を奪い取る。

 自らの武器で昏倒させられた少女は、その場に崩れ落ちる。

 うてなは少女に目もくれず、最後の一人を迎え撃つ。

 利き腕である右腕を折られた少年は、左手に装着したスタングローブをうてなの顔目掛けて突き出した。

 仲間が倒される際の、ほんの僅かな隙を狙った一撃だ。

 が、時間の流れが異なるうてなにそれは通じない。

 突き出した腕と交差するように、うてなの拳が少年の顔面を捉える。

 理解する事もできずにカウンターを貰った少年は、冗談のように身体を縦に一回転させ、地面に倒れた。

 顔が陥没しなかったのは、奇跡とすら思える強烈な一撃だった。

 鼻を潰された少年が痙攣している事に、うてなは胸を撫でおろす。

 気持ちを切り替えるようにスタンバトンを放り投げ、龍二が待つ屋上へと向かった。

 屋上に一人佇む龍二は、その光景に呆然としていた。

「お待たせ」

 待ち伏せしている部隊がいなかった事に、うてなはひとまず安堵する。

 一応その可能性もあったが、どうやら大丈夫だったようだ。

 とは言え、一分も経たずに別の部隊がやってくるだろう。

 各所で上がった煙によって、必要以上に部隊が分散してくれたおかげでできた、僅かな猶予だった。

「よし、行こう」

 さも当然のように言って歩き出すうてなに、龍二は我に返った。

「ちょちょっ、ちょっと待った! どうするつもりさ?」

「ここから敷地の外まで一気に行くつもり」

 なにを当たり前の事を訊いているのかと言いたげに、うてなは肩を竦める。

「そうじゃなくて! どうやって行くのさ。プランBがあるんじゃなかったの?」

「あるよ」

「どこにあるのさ」

 龍二が戸惑うのも当然だ。

 屋上には、脱出に使えそうな物がなに一つとしてない。

「ヘリとかグライダーとか、どこにもないじゃないか」

「一言も言ってないでしょ、そんなこと」

「じゃあプランBってなんなのさ?」

 周囲を見回す龍二に、うてなはニンマリと笑みを浮かべて屋上の端を指し示す。

 その先には、なにもない。

 辛うじて見えるものは、どこまでも続く広い空と海だ。

「さ、行こうか」

「ちょっと待った待ったぁ!」

 腕を掴んで引きずるように歩き出すうてなに、龍二は抗議の声を上げる。

 嫌な予感などといったレベルではない。うてなが考えるプランBがなんなのかを、薄々理解できてしまっていた。

「他に方法ないんで」

「そ、そうかもだけど……っていうか、だったらなんであんな思わせぶりな態度取ったのさぁ⁉」

「怖がる時間が短くて助かったでしょ?」

 気遣いに感謝しろよとでも言わんばかりに、うてなは得意げな顔をしていた。

 だまし討ちにも等しいうてなの所業に、龍二は上手く言葉が出てこない。

 それは同時に、これから訪れる逃げようのない恐怖によるものでもあった。

 確かにうてなの言う通り、事前に言われていたら足が竦んでしまっただろう。それは龍二も自覚している。

「いいから、行くよ」

「ここっ、心の準備を!」

「却下! 追手が来てる!」

 そう言ってうてなは、埒が明かないと龍二の身体を抱き上げた。これまでに彼が何度となく拒んできた、いわゆるお姫様抱っこで。

「ちょっとうてな!」

「初めてじゃないでしょ」

 激しく狼狽する龍二に構わず、うてなはそのまま屋上の端へ向けて走り出す。

 入口には、駆け付けた警備員たちの姿がある。

 龍二が受け入れるのを待ってはいられないのだ。

「ホントに本気なの⁉」

「当然。いいから、私を信じろ」

「それとこれとは――っ!」

 別問題だと叫ぼうとした龍二は、圧倒的な浮遊感に息を呑む。

 そして、これ以上ないほどに情けない悲鳴を、鉛色の空に響かせた。

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