第5章 第2話 坂を転がるような生き方で その1

「……うてな?」

「はいストップ。ヘンな動きをしない。ジッとしてろ」

「いや待って」

「待つのはあんただ。いいから、そのまま寝転がってろ。あと一応小声で」

「……わかった」

 わけがわからないまま、龍二は姿なき声に従う。

 声の主は神無城うてな、それは間違いない。

 だが、どうして彼女の声が聞こえるのかがわからず、龍二は困惑する。

「本当に、うてななの?」

「おうよ」

「でも……どこにいるのさ?」

「ベッドの下」

「…………はい?」

「あんたが寝転がってるベッドの下にいるの。監視カメラに映らない場所、ここしかないから」

 にわかには信じがたい話だが、言われてみれば確かに、彼女の声はベッドの下から聞こえてくるような気がする。

 だからと言って、疑問は何一つ解消されてはいない。

「そんなところでなにしてるの? っていうか、いつからそこに?」

「なにをって、そりゃああれだよ。潜入ミッション」

 顔は見えないが、きっと得意げな笑みを浮かべているのだろうと龍二は苦笑する。

 軟禁されて以来、忘れていた感覚だった。

「で、いつからかと言えば、ついさっき。あいつが入る時に便乗してきたの。ほら、隠密は得意なんで」

「……あぁ、そういうことか」

 彼女が隠密行動を得意とする理由を知っている龍二は、すぐに納得した。

 うてな自身が望まなければ、世界に認識されない特異な存在。

 たとえ目の前にいたとしても、存在を認識できなくなる。

 彼女はその特異な性質を利用して、博士と共にこの部屋に侵入したのだ。

「さっきの違和感は、それか」

「なに? 私に気づいたの?」

「うてなにっていうより、なんかこう、引っかかった」

「……そっか。普通はあり得ないけど、私と同じ魔力があるあんたなら……まぁ、あり得るか」

「そういうもの?」

「たぶん、だけど」

 うてなの推測に根拠はないが、考えられる理由はそれしかない。

 この世界で唯一、うてなと同質の魔力をその身に宿す龍二だからと考えれば、一応は納得できる。

 なぜ龍二がそんな魔力を宿しているかは、未だに謎だが。

「話はわかったけど、なんでベッドの下? もしかしてだけど、遊んでる?」

「伊達や酔狂でベッドの下に潜り込むとでも思ってんの? 張り倒すぞ?」

「ごめん、つい」

 数十センチ下から突き上げてくるような怒気に、龍二は素直に謝る。

 疑問に思うのは当然だが、冗談を言うタイミングではなかったと反省した。

「さっきも言ったでしょ。カメラに映らないのはここだけだって。さすがにあんたと話してたら、私もカメラに映っちゃうから」

 言われてみれば確かにそうか、と龍二は納得する。

「でも、話しててバレないのかな?」

「この部屋を突き止めるついでに調査済み。監視してるのは映像だけで、音はノーチェック。だからこうして潜入することにしたの」

「そっか」

 うてなの話に相槌を打ちながら、龍二は肩の力が抜けていくのを感じていた。

 彼女との会話に、強張っていた心がほぐれていく。

 忘れかけていた日常の気配を、うてなとの会話から感じ取る。

「それで、どうしたの?」

「は?」

「いや、なにが目的で来たのかなって……」

「…………」

 うてなは無言でベッドを下から殴りつける。加減はされているが、その衝撃は寝転がっている龍二に伝わった。

「なんか、ごめん」

 簡単に謝罪する龍二に顔をしかめつつ、うてなは小さく息を吐く。

 事前に調べている時から、龍二の状態はある程度把握していたが、実際にこうして話してみて安堵を覚える。

 軟禁状態ではあるが、心配していたほどではなかった。

 龍二自身、絶望しているようにも見えない。

 その事が、うてなにとっては救いだった。

「まぁ、あんな終わり方じゃ寝覚めが悪いし。暇つぶしに、世間話でもと思ってさ」

「……外は、どう?」

 はっきりと口にするのを躊躇ってはいるが、龍二が知りたい事などわかりきっている。

「奏さんは無事。父親はしばらく仕事を休むことにしたみたい。皆、なんとかやってるよ」

「……そっか。良かった」

 うてなという信頼できる人物から改めて無事を知らされ、龍二は頬を緩める。最悪の事態にならなくて良かったと、奥底に溜まっていた不安を吐き出した。

「で、奏さんと二人で女子会してきた」

「……ごめん、意味がちょっと」

「そこはわかれよ」

「つまりはその、姉さんと話をしたってこと?」

「そうに決まってるでしょうが。女子会をなんだと思ってんの?」

 うてなと女子会という単語がミスマッチすぎて、とは口にせず、龍二は誤魔化すように咳払いをした。

「……姉さんは、なにか言ってた?」

「女子会の内容は極秘なんで詳細は省くけど」

 そう前置きをしたうてなは、声のトーンを少し和らげて続ける。

「仲直り、したいって」

 その言葉が龍二の意識に届くまで、僅かな時間があった。

 奥底に抱えていた不安が、その可能性を遠ざけていたのだ。

「……本当、に?」

「うん。あんたに嫌われてるかもって心配もしてた」

「そんなこと……あるわけないよ」

 まだ信じられないと、龍二は混乱していた。嬉しいと思う気持ちと困惑が鬩ぎ合い、落ち着かない気持ちにさせる。

「……あんなことに巻き込まれたのに」

「あんたが逆の立場だったら、奏さんを嫌いになる?」

「……ならない。なれるわけ、ないよ」

「だったら奏さんもそうだったってことでしょ」

「……そっか。そういう考え方も、あるか」

 どこまでも前向きなうてなの意見に、龍二は目を閉じて頬を緩める。そうでもしないと、涙が出てしまいそうだった。

「ま、あとは本人と話して」

「……ありがとう」

 顔が見えないからなのか、その何気ないお礼の言葉に、うてなは照れてしまう。

 今まで何度も言われている言葉なのに不思議なものだと、ベッドの下で頬を掻く。

 微かに上がってしまった心拍数に深呼吸をして、うてなは話を進める。

「安藤家については、そんな感じかな。で、私は任務を解かれた」

「僕の護衛は終わりってことか」

「だろうね。ここに軟禁するなら、わざわざ専用の護衛はいらないでしょ」

「やっぱり、そういうことだよね」

 龍二もどこかでわかっていたのだろう。うてなの話を聞いても、特に驚いたりはしなかった。

 博士と話をした後で、外に出られる可能性があると思えるほど、楽観的にはなれない。

 うてなも同様に、博士の話を聞いていた。だから誤魔化そうとはせず、ストレートに伝えたのだ。

「久良屋さんは、どうしてるの?」

「……今はちょっと、喧嘩中」

「喧嘩中って……なにがあったのさ?」

 そう訊いた後で、龍二はすぐに思い至った。

 あの夜、深月が麻酔銃を使うところを、うてなも見ていた。

 彼女の性格を考えれば、思うところがあってもおかしくはない。

 うてながなにも答えない事が、龍二にとっては答えになる。

「……あれは、仕方ないよ。たぶん、そういう命令があったんでしょ?」

「だからって、撃つ必要はなかった」

 撃たれた本人よりも納得できないと、うてなの声が硬くなる。

「っていうか、なんで仕方ないとか簡単に言えるわけ? 少しはイラっとするとかあるでしょ?」

「自分でも不思議なんだ。でも、久良屋さんも望んでいたわけじゃないと思うし」

「だとしても、いきなりはないでしょ。っていうか、なんであんたが久良屋の肩持ってんの? これじゃあ私がバカみたいじゃん」

「って言われても……」

 あの時、意識が薄れていく微睡みの中で聞いた深月の声が、忘れられない。

 いつかの夜と同じように、ごめんなさいと呟いた、あの声が。

 深月がどういう気持ちで龍二を撃ったのかはわからない。

 けれどどうしても、深月を恨むような気持ちにはなれなかった。

「それが原因なら、仲直りしてよ」

「……別に、それだけが理由じゃないけど」

 お人好しすぎる、とうてなは納得がいかずに唇を引き結ぶ。

 龍二の性格を考えれば、そんな風に言うのではないかと予想はできていた。

 が、予想できているから納得できるというものでもない。

 結果として、うてなは龍二に対してモヤモヤとした感情を抱いてしまう。

「……まぁいいや。私からの報告はこんなとこ」

 今は考えても仕方がないと割り切ったうてなは、伝える事は伝えたと話を切り上げる。

「で、本題はここから」

 わざわざ近況を報告するために、こんな場所まで忍び込んだわけではない。

 龍二がどうなっているのかを確認する意味はあったが、うてなの本心は別にある。

「あんたはこれから、どうしたい?」

 彼の意思を確認するために、うてなはここまで来たのだ。

 今までとはまたトーンの違う、真剣な声に龍二は拳を握る。

 葛藤は、ある。

 うてながなにを訊きたがっているのかは、わかっている。

 だが、それを口にしていいのか、するべきなのかを考えてしまう。

 ここでうてなに話すという事は、特別な意味を持つ。

「私は、自分がそうしたいと思ったからここに来た」

 その葛藤に気づいたうてなは、龍二の迷いを蹴り飛ばすように断言する。

「だからあんたも、どうしたいか言えばいい。どんな話だろうと結局、私がどうするかは、私が決めるんだから」

 身勝手でもなんでもいいからまずは言ってみろと、その背中を言葉で叩く。

 やっぱり彼女は主人公みたいだ、と龍二は改めて思い、苦笑した。

「僕は、彼女を助けたい」

 そして、とびきりの身勝手を口にする。

 自分自身の事ではなく、この期に及んでもまだ、たった一人の少女のために。

「……なんかもう、いっそ清々しいな」

 どこまでいっても逢沢くのりの事を考えている龍二に、もはや笑うしかない。

 そうくるだろうとこれも予想していたが、いざ言われてみると笑う以外の選択肢が出てこなかった。

「で? 助けたあとはどうするの?」

「えっと、逃げる、かな? どうするかとか、全然だけど」

 計画性のない龍二の願望に、うてなは小さくため息を吐く。

「あんた、逃げるってどういうことか、わかってる?」

「……うん。普通じゃ、いられなくなるよね」

「いいの? 色んなもの、捨てることになるよ?」

 そこに含まれるものがなんであるかを、龍二も理解していた。

 ありふれた生活など、送れるはずがない。

 人並の夢を見る事も、きっとできないだろう。

 なにより、安藤家の人々――奏とまた会える可能性は、限りなく低くなる。

「それでも僕は、彼女を選ぶよ」

 今度はもう迷わないと、龍二は言い切った。

「……くのりが、一緒に逃げるって言ってくれたら、だけどさ」

「あいつが拒むとは思えないけど」

 龍二もうてなも、くのりに残された時間については触れない。

 今はただ、どうしたいのかだけを考える。

「あんたの望みはわかった。で?」

「……協力、して欲しい」

「あんたたちの逃避行を手助けして欲しい、と?」

「……うん。凄く迷惑だとは思うけど」

 どれだけ無茶な話をしているのかは、十分理解している。

 それでも龍二は、うてなを頼る。

 彼女の協力なくしては、きっとどうにもならないとわかっていたから。

 どこまでいっても頼る事しかできない自分を、情けないと思いながら。

「本当にねぇ。でもま、いいよ」

 事の重大さに対して、あまりにもあっさりと承諾するうてなに、さすがの龍二も面喰う。

 うてなならそう言ってくれるのではないか、という思いは確かにあった。あったが、やはり驚いてしまう。

 それほどまでに承諾したうてなの声は、いつも通りだった。

「言っておいてなんだけど、本当にいいの?」

「うん。正直、今回のやり方は気に食わないから。それに組織とは、ただの協力関係だし」

 やり方に賛同できなければ拒みもするし、敵対する事すら厭わない。

 もちろん、どれだけデメリットのある選択かはわかっている。

 あらゆるものを天秤にかけ、うてなは決断してきたのだ。

 自分が思った通りにやろう、と。

「あんたを助け出す。そのついでに、逢沢くのりも助ける。それでいいでしょ」

 勝気な笑みを思わせる声に、龍二は勇気づけられる。

 うてながそう言うと、簡単にできてしまいそうな気がしてくるのだ。

「あ、できればその、もう一つあるんだけど」

「ほぅ。言ってみなさい」

「……えっと、さっき博士が持ってたプレゼントなんだけど」

「取り返して欲しい、と?」

「……はい」

「…………ホントのホントに、あんたってそこだけはブレないよね」

「ごめん。でも、あれはどうしても……」

「あぁ、わかってる。なんとかしてみる」

 申し訳なさそうな龍二に対し、うてなは声を弾ませて答えた。

 とんでもない要求が一つくらい増えても、苦労はさして変わらない。

 ここまできたらとことんやってやろうと、逆に燃え上がる。

「ありがとう、うてな」

 すっかり硬さの取れた龍二の声に、うてなは頬を緩めた。

 施設から助け出した時の、消えてしまいそうな暗さはもうない。

 前に進もうという意思が、確かに感じられる。

 それで十分だと、うてなは自分の決断に自信を持つ。

「それじゃ、また来る」

「わかった」

 見送る事が許されない龍二は、うてなの声に頷いて寝返りを打つ。

 が、うてなの気配は、まだベッドの下にある。

 出て行くのなら、気配を感じられなくなるはずだ。

「……どうしたの?」

 疑問に思った龍二は、小声で問いかける。

「……出る時のこと、考えてなかった」

 返って来たのは、憮然としたうてなの声だった。

 龍二は思わず吹き出しそうになり、グッと堪える。

 それはそうだ、と龍二も気づいたのだ。

 外から操作をしなければ、この部屋のドアは開けられない。

 入って来る時は問題なくとも、出る時は違う。

「たぶん、すぐに検査で人がくるから。その時に出ればいいよ」

「…………笑ったら、殴る」

「笑わないよ」

 羞恥に震えるうてなの声に、龍二は再び寝返りを打って答えた。

 入る事だけを考え、出て行く方法まで気が回らない。

 考えようによっては頼りなく思えてしまう協力者。

 だが、実に彼女らしいと思える。

 そんなうてなだからこそ、信じて頼れるのだ。

 龍二はそう思いながら、彼女が仲間でいてくれた事に感謝した。

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