第5章 プロローグ
「コンビニもそうだけどさ、学食ってそれ以上に飽きがくる味だよね」
「どうだろ。食べてるものが偏るからそう感じるんじゃないの? 変化が欲しいならほら、カレーうどんにリベンジするとか」
「却下。ありえない」
愚痴に対して律儀に答えてくれた少年に対し、逢沢くのりは半眼になって鼻を鳴らした。
向かい側の席に座っている少年――安藤龍二はそんな態度に気分を害する様子もなく、言うと思ったと言いたげに苦笑していた。
「どうせならもう少し、建設的な意見、いただけます?」
「だったら、自分で作ってみるとか」
「は? 自分でって、お弁当を作れって話?」
「そうなるかな」
「なんで?」
「バリエーションを求めるなら一番いい選択肢だと思うけど」
さも当然のように正論を振りかざす龍二に対し、くのりはさらに目を細めた。
「私が料理できるタイプに見えます?」
「なんで若干不機嫌そうなの?」
「別に。で、どうなんですかねぇ?」
「まぁ……うん」
訊き返してきたくのりの態度から、色々と察したのだろう。龍二は明言を避け、頷きながらうどんを啜った。
が、黙したまま注がれるくのりの視線に耐え切れず、軽く咳払いをした。
「チャレンジ精神は忘れちゃいけないと思うんだ」
「失敗する自信、ありますけど?」
「でもほら、やってみなきゃわからないよ。もしかしたら凄い料理の才能があるかもしれないし」
それが彼にとって、精一杯のフォローだったのだろう。良い事を言ったとばかりに、何度も頷いていた。
「ま、確かにね。やってみなくちゃわからないこと、あるよね」
「そうそう。わかってくれてなによりだよ、うんうん」
「じゃあ、毒見役はお前だぞ?」
「ちょっと待った。なんでそうなるの? っていうか、自分で毒見とか、普通言う?」
「やってみろって唆したのは龍二なんだから、責任取るのは当たり前でしょうが」
「そんなことは……ない、とは言わないけど、待ってよ。せめて食べられる物が作れるようになってからでしょ、そういうのは」
「あーそうか。つまり龍二はこう思ってるわけだ。今の私じゃまともな物は作れないって。あーそうですか」
「だ、だってそう思うでしょ? 毒見役とか物騒なこと言われたらさぁ」
ある意味逆ギレに近い理不尽さに、龍二は困ったような顔をする。
そんな龍二の姿を、くのりは憮然とした表情でジロリと見る。
だが、心の中には表情と真逆の感情が沸き起こっていた。
戸惑いと共に胸を疼かせる、温かい感情。
困った顔でさえ、愛おしく思えてしまう。
「と、とにかく、あれだよ。食べられそうな物ができたら考えるよ、うん」
そう言ってこの話はおしまいだと、龍二は残りのうどんを平らげた。
くのりも小さく鼻を鳴らし、食事を再開する。
半ば作業のように手と口を動かしながら、くのりは想像していた。
本当にお弁当を作ってきたら、龍二はどんな顔を見せてくれるのだろうかと。
それは考えただけで心が躍るようで、同時に落ち着かない気持ちにさせた。
料理に自信がないというのは、本当の事だったから。
挑戦した事がないのだから、あるわけがない。
それでもやってみようかと本気で考えてしまうのは、彼の反応を見てみたいという好奇心と、その時に自分がどんな風に感じるのかを知りたいと思うからだ。
その日の帰り道、早速くのりは店に立ち寄り、弁当箱を購入した。
自分の分と、龍二の分。
どんな物がいいのかわからず、一時間以上悩んでしまったのは誤算だった。
でも結局、挑戦する事はなかった。
誰もいないマンションに帰宅し、殺風景な台所に弁当箱を並べた瞬間、怖くなったのだ。
その先に進むのは幸せすぎる気がして。
今更ながらに、それでもやっておけば良かったと思う。
――彼は、どんな顔を見せてくれただろうか?
本当に、今更すぎる。
これは全て、想い出の断片。
最初からわかっていた。
そう、これは夢だ。
幸せすぎた時間の、戻ることのできない記憶。
くのりが見る夢には、よく彼が出てくる。
目が覚めなければいいと思ってしまう、甘い夢。
ふと真夜中に目が覚めて、ため息を吐くこともあった。
頼りない携帯端末の灯りにすがるように、彼の名前を眺めたりもしていた。
眠る前に電話で話しても、メッセージのやり取りをしていたとしても、満ち足りる事はなかった。
ひとりきりの夜、孤独な部屋で。
タオルケットに包まりながら、ソファに寝転がって龍二に電話をする。
顔は見えなくても、彼の声が耳朶を打つだけで、心が柔らかさを取り戻した。
たとえそれが、人を殺した夜であっても。
いや、そんな夜にこそ、彼の声が聞きたくなる。
募る想いは際限なく膨らみ、熱を持ち、逢沢くのりの輪郭を確かなものにしていった。
彼を感じて、彼にも感じて欲しい。
逢沢くのりは、ここにいると。
我がままを言うのが楽しかった。つい困らせてしまいたくなるほどに。
彼とすごす時間はもちろん、彼に認識してもらえている実感が、堪らなく欲しい。
そしてなにより、彼自身が欲しかった。
逢沢くのりの幸せは、確かにそこに存在していた。
だが、それを壊したのは、くのり自身に他ならない。
その決断に後悔はない。
けれど、そのせいで彼と会えなくなり、声すら聞けない日々が続いた。
焼き付いたように残り続けた唇の感触だけが、拠り所だった。
その時間で、痛いほどに自覚させられた。
学生としてすごしていたあの退屈とも思える時間が、どれほど幸せだったのかを。
「…………まだ、生きてる」
ゆっくりと目を開いたくのりは、天井へ向けて掠れた声を漏らす。が、その声は口元を覆っている物に阻まれた。
酸素を送り込むための呼吸器を外そうとするが、身体が動かない。
代わりに視線を動かし、自身の状態を確認した。
意外にも、手足を拘束されているという事はなかった。
動かせないのは、麻酔かなにかが効いているからだろう。
右手の指は、辛うじて動かす事ができた。曲げるだけでもかなりの労力を必要とする事に、くのりは内心ため息をついて諦める。
左手を試そうとして、感覚がない事に気づく。左足にも、感覚がない。
改めて確認してみると、そこに手と足はあるが、どちらも包帯で覆われていた。
おぼろげながらに、最後の瞬間を思い出す。
頭上から迫って来る敵の首を掻き切り、意識が途切れた。
あの軌道で落下してきたのなら、左半身を潰されたのかもしれない。
包帯を巻かれた手足がどんな状態なのかわからないが、そこにある事は間違いない。
それならいい、とくのりは納得した。
あの女の事だから、気絶している間に別の手足を移植しているかもしれないが、考えても仕方がないと思考の外へ追いやる。
自分の状態を確認し終えたくのりは、部屋へ視線を巡らせる。
様々な機械に取り囲まれた、異質な病室。
この部屋は、よく知っていた。
「……ま、当然か」
あの状況で気を失ったのなら、組織に回収されるしかない。
別にそれは構わない。
龍二を助けると決めた時から、こうなる事はわかっていた。
あの女がこの機会を見逃すとは、到底考えられなかった。
それでもくのりは、龍二を助ける事を選んだのだ。
「どう、なったかな……」
だから次に考える事は、龍二がどうなったのか、だ。
どれくらい時間が経過したのかも、そこでようやく考える。
「気分はどうだ?」
「……今、最悪になった」
憮然として答えるくのりに、声を掛けてきた女性――博士は楽しげに笑みを浮かべた。
「呼吸器は、もう必要なさそうだな」
そう言って博士は、くのりから人工呼吸器を取り外す。
離反者であるくのりの前で無防備すぎるが、それでも問題ないという事なのだろう。
くのりの状態がそれだけ悪いという証明でもあった。
「さて、それじゃあ話をしよう」
「それ、本気?」
「当然だろう。そのために君を回収したのだから」
「生憎だけど、あんたに協力するつもりはない」
くのりにできる精一杯の抵抗は、博士の意向を無視する事。
彼女が求めるものを与えない。
僅かでも喜ばせてなんかやるものかと、くのりは唇を歪めてみせる。
「あぁ、そうだろうな」
博士も当然、それはわかっていた。
逢沢くのりが自分に協力する事など、ありえない。
「どんな拷問をされようとも、君は黙して耐えられる。たとえその身体を辱められようとも、口を割ることなどない」
そう育てたのだから当然だと、博士は頷く。
「だが、これならどうだろう」
「…………ホント、殺してやりたい」
部屋に設置されたディスプレイに表示された映像に、くのりは悪態を吐く。
そこに表示されているのは、別の部屋を監視するカメラの映像。
異常なほどに白で統一された部屋。そこにいるのはもちろん、安藤龍二だ。
「彼がどうなるかは君次第だ、と言ったら……どうする?」
食事の相談でもするような軽さで尋ねてくる博士を、くのりは冷めた目で見ていた。
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