第4章 第4話 to Die for その6

 一瞬だけ、意識が飛んだ。

 気が付いた時には、身体が建物の壁を突き破っていた。

「挨拶もなしに……やってくれる」

 相手に届くはずのない悪態を吐きながら、くのりは瓦礫を押しのけて起き上がる。

 意図はわからないが、すぐに追撃がなかったのは有り難いと口元の血を拭う。

 たった一撃で、相手のバケモノ具合は痛いほど理解できた。

 正直、どんな攻撃を受けたのかもわからない。

 目で追う事すらできない速度の、おそらくは打撃。

 スーツの衝撃吸収能力がなければ、内臓がいくつか破裂していただろう。

「次はない、か……」

 今の一撃で、スーツの耐久性能はかなり削られた。運動機能を補助する人工筋肉はまだ健在だが、それもいつまで持つかわからない。想定されている連続稼働時間はすでに超過していた。

「どこまでやれるか……っ!」

 悠長に考えている時間はなかった。

 崩れた壁から跳び込んで来た死の気配に、くのりは直感で横に跳ぶ。

 直前までくのりが立っていた床が陥没し、欠片と粉塵が舞い上がった。

 白い仮面の奥にある冷めた瞳が、くのりの姿を求めてぐるりと巡る。

 転がるようにして廊下に飛び出したくのりは、室内へガントレットを向け、デタラメにダーツを連続射出させた。

 残弾はもう僅かだ。ありったけのダーツを撃ち込み、もう片方の手で取り出した手榴弾のピンを外し、投げ込む。

 ドアを蹴破って外に出たくのりは、背後から来る爆風に備えて頭部を守る。

 爆発音と熱風に身体を打たれ、地面を転がる。

 結果を確かめる事なく、すぐさま起き上がったくのりは視線を巡らせた。

 そこへ、白い仮面が迫る。

 覗き込むように首を傾けたまま、死角から拳を打ち込まれた。

 くのりは咄嗟に身体を浮かせ、腕を交差させる。

 突き抜ける衝撃に、身体が宙を舞う。左腕のガントレットは、その一撃で破壊されてしまった。

 数メートルの高さに打ち上げられたくのりは、右のガントレットからワイヤーを射出し、無防備に浮いた身体を強引に建物の壁へと移動させる。

 そのすぐ後ろを、暴風のような一撃が通り抜けて行った。

 ワイヤーで移動していなければ、空中で追撃を受けていただろう。

 数メートルの高さまで打ち上げる膂力も、その高さを軽々と通り抜ける跳躍力も、人間のそれを遥かに超えていた。

 その、どこかで見た覚えのあるデタラメ具合に、くのりは思わず笑う。

 空中で壁を蹴り、先ほど視界に捉えた武器がある場所へとくのりは着地する。

 地面に転がっていたのは、離反した少女が持っていた散弾銃だ。彼女はくのりとの戦いでそれを使わず、地面に投げ捨てていた。

 理由は、今更考える必要はない。

 くのりは手にした散弾銃を空へと向けた。銃口の先には、まだ空中に浮いている仮面の少女がいる。

 そう。白い仮面をつけた人物もまた、くのりたちと同じ年頃の少女だ。

 月明かりに照らされた彼女の身体のラインが、そう物語っていた。

 だからと言って、なにも感じるものはない。

 この状況で出てくる敵など、博士の差し金以外の何者でもない。

 くのりにとっては、ただの敵だ。

 躊躇する事なくトリガーを引き、散弾をばらまく。

 連続する発砲音が、雲が薄れた夜空へと突き抜けていく。

 弾丸は、確かに仮面の少女を捉えた。

 回避しようとする素振りすら、なかった。

 空中でバランスを崩した少女は、そのままぐしゃりと地面に落下する。

 肉塊が叩きつけられる不快な音と、血の花が地面に咲く。

 首から落下する事は免れていたが、助かるような状態でもない。

 彼女が着用していた服は、戦闘用のスーツではなかった。

 あれだけの銃弾と落下の衝撃には、到底耐えられない。

「……ふざけろ」

 ただし、仮面の少女が普通であったのなら、だ。

 バカらしすぎて、笑う気力すら失せてしまう。

 何事もなかったかのように血だまりから立ち上がり、少女はくのりを見据える。

 仮面にはヒビが走り、血で汚れていた。それが一層、彼女の不気味さと不吉さを際立たせていた。

「――っ、こんなときにっ」

 込み上げてきた吐き気に咽た一瞬で、敵の姿を見失った。

 そしてそうと気づいた時には、弾き飛ばされている。

 腹部を貫かれるような衝撃に、意識を失いかける。息を吐く事すらできない痛みが、くのりの意識を辛うじて繋ぎ止めていた。

 ボールのように地面をバウンドしたくのりの身体が、あり得ない角度で再び吹き飛ぶ。

 驚異的な速度で追いついた少女の一撃に、無理矢理方向を変えられたのだ。

 なすすべなく地面を転がりながら、左腕が折れた事をくのりは認識する。

 散弾銃は最初に吹き飛ばされた時点で手放してしまった。

 力の差は歴然だ。

 直線的でありながらしなやかな、まるで獣のような攻撃。

 ただ単純に叩き込まれる打撃は、稚拙とすら言える。

 だがその攻撃はあまりにも速すぎて、くのりの動体視力をもってしても捉える事はできない。

 技術や経験が介入する余地すらない。

 純粋で無慈悲な膂力と速度に、圧倒される。

 一撃ごとに戦うすべを奪われていく状況に、それでもくのりは絶望していなかった。

 組織を離反してから今日まで、すでに肉体は限界を迎えつつある。

 たとえ万全の状態だったとしても、この相手に太刀打ちできたかはわからない。

 それほどまでに、圧倒的な差がある。

「だからって、ねぇ!」

 諦める理由には、ならない。

 直線的すぎる相手の動きを逆手に取り、次の攻撃を予測した。

 相打ちは覚悟の上。

 くのりが繰り出した右の拳が、少女を捉えた。

 その拳は仮面を打ち砕き、少女の左目を破裂させる。少女の尋常ならざる速度が生んだ結果だ。

 ようやく一撃を見舞ってやった事に、くのりは会心の笑みを浮かべ、血を吐きながら吹き飛ばされた。

 くのりが叩きつけられた外壁は、その衝撃に崩れ落ちる。

 身体の半分ほどが瓦礫に埋もれた状態で、くのりは空を見上げていた。

 意識は、まだある。

 戦う意思も、衰えてはいない。

 だが、身体のほうがついて来てくれそうになかった。

 今の一撃が精一杯だ。

 最後の最後に、一撃は返してやったと、くのりは声にならない喝采を上げる。

 霞む視界を巡らせ、片目を潰された少女を探す。

 少女はくのりを吹き飛ばした場所から動かず、佇んでいた。

 痛みなど感じないのか、左目が破裂したにも関わらず、悲鳴一つ上げる気配もない。

 ただ茫然と、獲物を見失ったように佇んでいる。

「……ぐっ、ぁ……さすがに、キツい」

 立ち上がろうという意思を身体が拒むように、血を吐き出す。

 このまま眠ってしまいたいが、そういうわけにもいかない。

 抗う意思があるのなら、気絶などしていられない。

 途切れそうな意識の微睡みの中で、くのりは龍二の姿を幻視した。

「…………うん」

 笑みを浮かべて、頷く。

 まだ、死ねない。

 こんなところでは、終われない。

 彼に会いたいというたった一つの想いが、死を拒む。

「…………あんたは、お呼びじゃない」

 月明かりを遮る影に向かって、くのりは唇を歪めて見せる。

 生の気配に引き寄せられたのか、血の匂いに誘われたのか。

 仮面を失った少女が、月を背負って落ちて来る。

 左目を失ってもなお、無表情。

 殺意もなにも持たない少女の拳が、くのりの命を奪おうと降って来る。

 はるか上空から降りてくる死神の一撃を、くのりはしっかりと目で捉えていた。

 身体はもう、動けないと言っている。

 エージェントとしての冷めた理性が、それを肯定する。

 ただ一つ、くのりの乙女心だけが、それを拒んだ。

 右腕のガントレットからブレードが飛び出す。起動するかどうかは賭けだったが、上手く行った。

 最初の賭けに勝ったくのりは、血を孕んだ笑みを少女へと向ける。

 タイミングは一瞬。僅かでも遅れれば、そこで終わる。

 極限とも言える状況で、くのりは極上の笑みを浮かべていた。

 己の身体など顧みない少女の一撃を、上半身を捻ってかわし、ブレードを一閃させる。

 すれ違うようにして走った刀身は、これ以上ないタイミングで少女の首を掻き切った。

 同時に、かわしきれなかった少女の身体が、くのりの左腕と左足を潰した。

 少女と同じく、くのりも痛みを感じなかった。

 その時はすでに、意識を失っていたのだ。

 喉を掻き切られた少女は、自分の身に起こっている事が理解できないと首を傾げる。

 そしてそのまま苦しむ素振りもなく、事切れてくのりに覆い被さった。


「そうか。では回収作業を始めろ」

 移動する車両の中で連絡を受けた博士は、満足げに頷く。

 送り込んだ部隊が壊滅したという報告は、博士の心を躍らせるには十分な材料だった。

 しかし、それだけではない。

「まさか、相打ちにまで持ち込むとはな」

 逢沢くのりの正確な状態は把握できず、切り札として送り込んだ仮面の少女も調整は済んでいなかった。

 そこから算出できる可能性など当てにはならないが、逢沢くのりが生存する可能性は限りなく低いと見ていた。

 もちろん、生存していて貰わなくては博士が望むデータは回収できない。

 だが、偶然にも手に入ったサンプルから、あの少女を作ってしまった。

 なら、試さずにはいられない。

 もしそれでくのりが死んでしまったとしたら、それはそれでいい。

 貴重なデータのいくつかは得られなくなるが、残されたデータにも十分すぎるほどの価値がある。

 だからこそ、逢沢くのりがあの少女を打ち倒し、生存した事が嬉しい。

「これも、愛のなせる業か……」

 博士は軽く顎を擦りながら、低い声で囁くように嗤う。

 もしそうだとすれば、今後の研究や実験も見直す必要がでてくるかもしれない。

 誰とも分かり合えない研究に、彼女は酔い痴れていた。

「あぁ、送れ」

 現場から送られて来たリアルタイムの映像が、車両のモニターに映し出される。

「まだ死んでくれるなよ、逢沢くのり」

 彼女から得られるものを想像するだけで、日々の疲れなど消えてしまう。

 博士にとってそれは、寝る時間すら惜しいと感じるほどだ。

 まずは話そう。訊きたい事はそれこそ山ほどある。

「さぁ、家へ帰ろう」

 眠るように目を閉じている逢沢くのりの映像に指を這わせ、博士は驚くほどに優しい声でそう言った。

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