第4章 第3話 彼女の選択 その7

 敵の姿が見当たらない事を不審に思ったくのりは、C棟の屋上で身を潜めていた。

 外壁の上からでなければ見えない位置で、敵から奪った装備の点検をしつつ、残っている武装の残弾や状態も確かめる。

 結局、ここに来るまで囮としての役割はほぼ果たせなかった。

 潜入には間違いなく気づいているはずだが、それに対するアクションがない。

 救出に向かっている二人から応援の要請はなく、激しい戦闘が行われている気配もない。

 ならばあえて姿を晒す必要もないだろうと、くのりは屋上に留まる事にした。

 本音を言えば、龍二のもとへ駆けつけたい。

 だが、まだ終わってはいない。

 予想が正しければ、脱出する際になにかがあるはずだ。

 それに備えておくのが、今の自分の役目だと自制した。

 深月から報告があったのは、丁度その時だった。

「とりあえずは無事、か」

 龍二と奏の二人を救出したという報告だった。

 歯切れの悪さが気にはなるが、どちらも怪我はないという報告に、胸を撫でおろす。

 これであとは脱出するだけだ。

 A棟側にある倉庫で合流すると連絡を入れ、くのりは装備を整える。

 未知の敵が存在している事は、深月たちも把握しているようだ。

 くのりの忠告に対し、改めて周囲の警戒を託された。

「龍二の顔を見るのは、もう少しあとか」

 目を閉じて微笑を浮かべ、くのりは薬を口に含む。

 作戦拠点で装備を借りる際、いくつか持ち出しておいたものだ。

 身体の奥に冷気が染み込むような感覚に、目を開く。

 これでまだ、しばらくは思った通りに動ける。

 ここまでは前座のようなものだと、くのりは確信していた。

 本命がいるとするのなら、この後だろう。

「いよいよ、か……」

 そう呟いたくのりは、身を低くしたまま周囲を見回す。

 冷えた冬の空気に、夜の闇が一層深くなる。

 やるべき事は、わかっている。

 自分にしかできないやり方で、龍二を無事に脱出させる。

 そのためなら、手段は選ばない。

 くのりは不敵に鼻を鳴らし、合流地点とは別の場所へと音もなく走り出した。


 脱出口がある倉庫まであと少しというところまで、深月たちは敵と遭遇する事なく辿り着いた。

 今いるのは、A棟の廊下だ。

 うてなと龍二を少し手前で待機させ、気絶している奏の身体を廊下に横たえる。

 深月は一人で先行し、入って来る時に見つけた死体がある部屋のドアを閉じる。

 この暗さで龍二が気づくかはわからないが、見えるようにしておく必要もない。

 深月はドアのすぐ横に身を潜め、待機しているうてなに手招きをする。

 奏の身体を抱え上げたうてなは、龍二と共に移動する。

 あとはこのドアから外に出て、倉庫まで駆け込むだけだ。

「問題はここ、だよね」

「えぇ。敵があの通路を知っているかどうか……」

 ここまで接敵せずに来られたのが幸運と考えるほど、楽観的ではない。

 別行動をしているくのりが、残敵を全て制圧済みである可能性もあるが、先ほど連絡した限り、あちらも敵の動きを把握し切れてはいなさそうだった。

 想定外の敵が何者なのか、深月たちは推測するための情報一つない。

 唯一、龍二だけは相手の顔を見ているかもしれないが、今はまだ、話を聞けるような状態ではなかった。

 助け出してから経過した時間はおよそ五分程度。

 救出直後に比べればいくらか落ち着きを取り戻しているが、顔色は悪いままだ。

 悟られないように深月は目配せするが、うてなは小さく首を振る。

 うてなから見ても、まだ無理なようだ。

 深月は電気銃を手にして、ドアに手を掛ける。

 もう一度うてなと目配せをしてから、静かにドアを開ける。

 微かに軋むドアの音が響いてしまいそうなほどの静寂。

 不自然すぎる静けさに、深月は唇を湿らせる。

 半開きにしたドアから滑り出し、左右を確認する。

 A棟から倉庫までは、十メートルほどの距離がある。そこに移動する瞬間が、一番危険だ。

 深月とうてなだけなら一気に駆け抜けられるが、気絶している奏と疲れ切っている龍二がいては、そうもいかない。

 とは言え、時間が経てば経つほど後手に回る事になる。

 迷っている余裕はない。

 深月は腰のベルトから取り外したスモークグレネードを地面に転がし、まだ廊下にいるうてなと龍二に視線を向ける。

「行くわよ」

 そう言って深月が飛び出すと同時に、投擲したスモークグレネードが煙を吐き出す。

 効果時間は短いが、この距離を駆け抜けるには十分だ。

 居場所を知らせるようなものなのでここまでは使用を控えていたが、龍二の移動速度を考慮し、使いどころだと判断した。

 煙に紛れて倉庫側に辿り着いた深月は、遅れてやってくるうてなたちを見つつ、周囲を警戒する。

 奏を抱えている状態でも、うてなの運動量は変わらない。が、龍二から離れすぎないよう、速度は控えめだ。

 いつもなら発破の一つもかけるところだが、この状況では酷なだけだ。

 じれったくも感じる数秒間。

 深月が反応できたのは、煙幕の僅かな流れを感じ取ったからだ。

 倉庫のドアとは反対側から、銃を持った男が飛び出してくる。

 ここに来ると知っていたのか、それとも偶然付近を哨戒していたのか、そんな事はもうどうでも良かった。

「うてな!」

 警戒させるためにそう叫び、深月は男が狙いを定めるより早く、電気銃を撃ち込む。

 首筋に端子を撃ち込まれた男は、一瞬で昏倒する。

 倒れた男の手から、念のため銃を蹴り飛ばし、深月は振り返る。

 かき乱された煙幕の中に、その影を捉える。

 奏を片腕で抱えながら、うてなは龍二の腕を強引に掴んで倉庫へと駆け込もうとしていた。

「クソっ!」

 倉庫まであと一歩というところで、うてなは足を止め、逆に下がろうとする。

 両腕が塞がっているうてなの眼前にあるのは、自動小銃の銃口だ。

 倉庫の中にも一人、潜んでいたのだ。

 うてなにも焦りがあったのだろう。

 完全な正面からの不意打ちにバランスを崩してしまう。

 咄嗟にできた事は、龍二を銃口から庇う事と、銃弾が奏に当たらないよう、自身の身体を盾にする事だけだった。

 二人を抱き締めるようにして、銃口に背中を向ける。

 深月も銃を向けるが、位置が悪すぎた。

 見えるのは銃身のみで、電気銃を当てても発砲を阻止できない。

 舌打ちする間も惜しみ、深月は全力で距離を詰める。

 が、到底間に合うタイミングではなかった。

 もはや、うてなの魔力を信じるしかない。

 あの至近距離で銃弾を受けても、無事でいられると。

 そして、重い銃声が響く。

 遠くから放たれた銃弾は煙幕を切り裂き、うてなではなく、その背中側にいた男の額を撃ち抜き、弾けさせた。

 男の頭部に詰まっていたものが血と共に飛び散り、倉庫の壁とドアを染め上げる。

「――うてな!」

 停止しそうになる思考を叫ぶ事で動かし、深月はうてなの下へ駆け寄る。

 続けて狙撃が来るかどうかなど、考えない。

 ただ守るという一心で、龍二へと続く弾道を遮るように移動する。

 もちろん、弾道が特定できているわけではない。音が聞こえた方角と、ドアの影にいた男を狙撃できる位置から予測したのだ。

 頭部が弾けるほどの威力にスーツが耐えられるかはわからないが、そうするしかない。

 どちらにせよ、頭部を正確に撃ち抜くスナイパーが相手なら、どうにもならないのだ。

 自身の危険など、計算しても意味がない。

 ならば少しでも龍二たちを守れる手段を取るだけだ。

「いや、無茶しすぎ」

 そう言って深月の前に立ったのは、うてなだ。

 三人を背中に庇うように堂々と立ち、不敵な笑みを浮かべる。

「肉壁は私に任せとけって」

 不可解な言葉に深月は一瞬眉を顰めるが、言いたい事はなんとなく理解できた。

 うてなを盾にするようにして、地面に倒れた奏を抱え上げる。

 反射的に屈んでいる龍二の肩に深月は触れる。

「移動する。いい?」

「……あ、あぁ」

 狼狽しつつもどうにか龍二は頷いてみせた。

 不安を溜め込んだ目が、頼りなく揺れている。

 深月は安心させるように笑いかけるが、上手く笑えているかは、わからなかった。

 この状況では、死体がある倉庫側に移動するしかない。

 A棟まで戻るには、距離がありすぎる。

 問題は、狙撃手が移動させてくれるかどうかだ。

 煙幕があったにも関わらず、正確な狙撃をやって見せた相手だ。煙幕の効果は期待できない。

「…………」

 そこで深月は、気付いた。

 なぜ、この瞬間にも続けて狙撃してこないのか、と。

 そもそも、どうして最初の狙撃で深月たちではなく、あの男を狙ったのか。

 そんな事をしてメリットのある人物に、心当たりはある。

 しかし、彼女がやったという確証はない。

 技術的にはできるだろうが、決め手に欠けている事に変わりはない。

 改めて周囲の警戒を任せてはいるが、だとしたらなにかしら連絡があっても良さそうなものだ。

 今の狙撃を逢沢くのりがやったとは考えられない。それが深月の結論だった。

 とは言え、意図の読めない狙撃である事に変わりはない。

 すぐにでも室内に移動するべきだ。

 少なくとも、狙撃される心配は薄れるのだから。

「止まれ。勝手に動くとどうなるかは……わかるでしょ?」

 その少女はどこから現れたのか。

 ゆったりとした動きで、煙幕の中を歩いてくる。

 深月もうてなも、咄嗟に動いたりはしなかった。

 まだ狙撃される可能性がある以上、下手に動く事はできない。

 移動するとしたら、彼女が現れる前にしていなければならなかったのだ。

「さすがと言ったところねぇ」

 称賛の言葉に嘲りを乗せた少女の声に、龍二の肩が震える。

 深月はそれに気づき、訝しげに龍二を見る。

 大きく見開かれて揺れる瞳が、恐怖に染まっていた。

 うてなも龍二の異変に気付き、その怯え方に既視感を覚える。

 そしてなにかに気づいたように、少女を睨みつける。

 龍二になにがあったのかはわからなくとも、恐怖を与えた人物がいる事は間違いない。

 彼の怯え方を見れば、さすがにわかる。

 この少女が、犯人だと。

「久しぶりね、異邦人ストレンジャー

「…………なんで、ここにいる」

 薄れた煙幕を振り払うようにして現れた少女を睨み付けながら、うてなは唸る。

 深月も、すぐに気づいた。

 そこにいるのは、かつて組織のエージェントだった少女であり、捕らわれているはずの人物であると。

 逃げ出したという報告は受けていない。どこかの施設に収容されたというのが、彼女に関して深月が受けた最後の報告だ。

 彼女の登場は全くの予想外であり、嫌な予感をますます強める要因にしかならない。

 奏を抱えている深月は、電気銃をホルスターに戻してしまっていた。

 うてなならともかく、奏を抱えて戦えるすべを深月は持たない。

 この状況では、打てる手がなかった。

 それに気づいているのか、裏切り者の少女は余裕の笑みを浮かべている。

「そんなやつを助けに来るなんて、とことん酔狂なエージェントね」

 嘲るように言葉を吐き捨て、少女は龍二を見下ろす。

 龍二は震えながらも、少女を見上げた。

「…………彼女が、あの部屋で」

 掠れた声は、風に掻き消されてしまいそうなほどに弱々しい。だが、深月とうてなは確かに聞いた。

「やっぱりか」

 確証を得たうてなの目が、鋭さを増して光る。

 憤激に彩られた視線を受けても、少女は余裕を崩さない。

 単純な実力差ならうてなが圧倒しているが、状況は彼女に有利だ。

「うちの王子様が、世話になったみたいだな」

 歯がゆさをふんだんに込め、うてなは少女を睨む。

「お礼はいらないわよ。あの時お世話になった分は、彼が代わりに受け取ってくれたから」

「――お前っ」

 構わずぶちのめしてやろうかと拳を握り締めるが、うてなはどうにか踏み止まる。

 ただ倒すだけなら問題はないが、今は守らなければならない人が背後にいる。

 それも一人ではない。

 感情に任せて行動する事は許されないと、精一杯自制する。

「あんたがいなければ、あの仕事は上手くいってたのに」

 ゆったりとした動作で、少女は銃を構える。

 その手にあるのは、散弾銃だ。

 魔力を持つうてなは、この距離でも凌げる自信はある。が、背後の三人はそうもいかない。

 身を挺したとしても、守り切れる保証はない。

 当然それを理解している少女は、銃口をうてなの眼前まで持ち上げる。

 圧倒的死の気配を前にしても怯まないうてなに、少女は薄っすらと笑みを浮かべる。

 最初の誘拐事件の時、結果的にうてなが彼女を倒し、組織に捕まる事になったのだ。

 彼女がうてなに一際強い恨みを抱いていてもおかしくはない。

 だが少女は、銃口をうてなから逸らした。

 それ以上に、暗い感情をぶつけるべき相手は別にいると、銃口が示す。

「お前を殺すのが、一番愉快になりそうだ」

「――――っ」

 歪んだ視線を向けられ、龍二は息を呑む。

 これほどまでに強い悪意を向けられるのは、初めての事だ。

 漆黒の炎を宿す彼女の視線が喉に絡みつき、呼吸を阻む。

 咄嗟に視線を遮ろうとしたうてなを、少女は引き金に指をかける事で制した。

 どちらが速いかで言えば、うてなのほうが速いだろう。

 しかし、敵は目の前の少女だけではない。

 どこかに潜んでいる狙撃手以外にも、まだいる可能性がある。いや、まずいると見て間違いない。

 敵の数も配置もわからない状況では、迂闊に動く事などできなかった。

「どうして、こいつを狙う? あの部屋で見逃したのはあんたでしょ? なにが目的?」

「お・し・え・な・い」

 あからさまな挑発に、うてなの髪が波を打つ。

 強すぎる感情が魔力を先走らせていた。

 魔力を感知できない少女も、さすがになにか悪寒を覚えたのか、一歩下がる。

 それでも優位は揺るがないと、すぐ笑みを取り戻した。

「そう怒らないでよ。言ったでしょ、こうするのが一番愉快だって」

 少女はそう言って、喜色に彩られた顔で指を鳴らす。

 まるでなにかの合図を送るような動作だ。

 深月とうてなに緊張が走る。

「…………」

 だが、なにも起こらない。

 少女の表情だけが、僅かに変化する。

 それは、一層際立つ喜悦の笑み。

 待ち望んだ、恋焦がれた相手を前にしたかのような笑みを浮かべ、少女は視線を背後に向ける。

「やっと出てきたぁ……」

 熱い吐息は、情欲を孕んでいるかのようだ。

 少女の視線を追って、深月とうてな、そして龍二も視線を巡らせる。

 次に声を漏らしたのは、龍二だった。

「…………くの、り?」

 信じられないと震える声で、その名前を呟いた。

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