第4章 第3話 彼女の選択 その1

「本当に酷い運転だった。やっぱりあんたが運転したほうが良かったと思う」

 後部座席から降りたくのりは、大事な作戦前に無駄な体力を消耗したと悪態まじりに呟く。

「私もそう思う。でも、多少は時間を短縮できたわ」

 そう答える深月も、やや疲れた顔になっていた。すっきりした顔をしているのは、運転をしていたうてなだけだ。

 深月が言う通り、想定よりも十分以上早く、三人は目的のポイントに到着した。

 うてなが運転する車両が、当然の如く法定速度を無視した結果だった。

「事故ってないんだから問題なし。久良屋のサポートも良かったしね、うんうん」

 久しぶりのドライブを満喫して上機嫌なうてなに、深月は嬉しくなさそうな視線を向ける。

 ここまでの道中、可能な限り信号機で止まる必要がないルートを構築したのは、深月だ。

 コンピューターのシミュレーションでなければ成功しないようなルートだったが、うてなはそれを実現してみせた。

 開発部ご自慢の車両がでたらめなスペックだという事もある。

 だが、それを乗りこなす確かな技術がうてなには備わっていたからこそ、できた芸当と言えた。

 もちろん、助手席及び後部座席にいる人間の乗り心地は、考慮されていなかった。

「それにしても、不気味なくらい静かな車だよねぇ。全然エンジンの音とかしないし」

「当然でしょう。そうでなければ、作戦で使い物にならないわ」

「そりゃあね。でもほら、ロマンがね」

 相手にするのも馬鹿らしいと深月は鼻を鳴らし、車の後ろへと回ってトランクを開ける。

「訓練も受けてないのに、よくこれを乗りこなせるわね。いっそプロのドライバーでも目指してみれば? 組織にいるよりよっぽど健全な生き方よ?」

 深月と共にガントレットを装着しながら、くのりは冗談めかしてうてなに話しかける。

「むりむり。正直、結構疲れてるから」

「その顔で?」

「いやマジな話でさ。魔力も消費するし、なにより気持ち悪くなるんだよね」

「便利なだけってわけじゃないんだ、魔法って」

「当然でしょ」

 さすがのうてなも、敵対する可能性の高いくのりに手の内は明かさず、曖昧に答えて誤魔化す。

 ただ、疲れているというのは本当だ。運転中は常に魔力を消費し続ける事になる。それだけなら、さほど問題にはならない。

 疲れる主な原因は、時間魔法にある。

 身体能力を強化しただけで、あのバカげた車両を乗りこなす事などできない。

 うてなはここまでの道中、常に引き延ばされた時間の中にいた。

 上機嫌に見えるのは、時間魔法による不快感がある一線を越えたせいだ。もちろん、運転が楽しかったという要素もあるが。

 どちらにせよ、プロのドライバーになろうなどとは微塵も思っていなかった。

 組織にいるよりは健全という意見には賛成だが、うてながその道を選ぶ事はない。

「私のはさ、ドーピングと似たようなものだし。スポーツもそうだけど、真剣にやってる人たちに申し訳ないでしょ、そういうのは」

 意外にもまっとうな事を言うものだと、くのりは感心するように顔を上げた。

 付き合いの長い深月は、あまり驚かない。彼女にもそういう真面目な部分があるのは知っている。

 普段の生活にも、もう少しその真面目さを出して欲しいとも思っているが。

「まぁ、ゲームで負けが続くと使っちゃうことあるけどさ」

 とは言え、本当にごくごく稀にやってしまうだけだ。

 基本的にうてなは、私生活の中では魔力の使用を控えている。

 それはうてなが自身に課したルールだった。

「で? なんもない場所だけど、ここで本当に良かったわけ?」

 この話はもう終わりだと、うてなが二人に並ぶ。

 三人が今いるのは、目的の施設から歩いて十分ほど手前の、道路から外れた場所だ。

「問題ない。ここから少し行ったところに、施設へ繋がる非常用の隠し通路があるのよ。これは図面にも載ってないから、侵入にも脱出にも使える」

 くのりはそう言いながら、自身の端末に新たな図面を表示させる。それは二人に提供したものとは、少し違っていた。

「相手が持っている図面は、さっきあんたたちに見せたものと同じ。こっちが正解の図面」

 最初から正解のものを提供しなかった理由を、あえて訊こうとはしない。重要なのは、相手に知られていない脱出口があるという事だ。

「なら、私とうてなはここから侵入すればいいのね」

「そう。ここからA棟に隣接する倉庫に出られる。あとはB棟を抜けて、奥のC棟まで行けばいい。実際どう動くかは、そっちに任せる」

 図面のデータをくのりから受け取った深月は、無言で頷く。うてなも横から覗いて確認はしているが、どう動くかを考えるつもりはなかった。頭を使う作業は、深月の担当だ。

「データにアクセスできる端末もC棟にあるから、AとBは手薄だと思う。だからまぁ、C棟に辿り着くまでは見つからないのがベストかな」

「あなたはどうするの?」

「そっちが侵入したタイミングで、正面から仕掛ける。一応こっそりやるつもりだけど、すぐバレると思う。でもそれでいいでしょ。仕掛けてきたのが私だと気づけば、単独だと考えるだろうから」

 逢沢くのりが組織から追われる身である事は、彼らも当然知っている。

 だからこそ、くのりが助けに来るのなら単独だと思い込む。

 まさか、エージェントである深月たちと協力して動くとは、まず考えない。

 今回の作戦は、その思い込みを利用した作戦になる。

「質問は?」

 ガントレットの具合を確かめながら、くのりは二人を見る。

 うてなは特にないと肩を竦めるが、深月は違った。

「装備はそれでいいの?」

「そのつもりだけど、なんで?」

「囮を買って出たわりには、大人しい装備だと思って」

 それは作戦基地を出る前から思っていた事だった。

 くのりが選んだ装備は、深月やうてなのものとほぼ同じ。殺傷能力のない装備を中心としたものだった。

「あぁ。銃を使わないのかってこと?」

「えぇ。あなたなら、そうすると思っていたから」

 深月の意見を聞いて、うてなも納得したように頷く。

 逢沢くのりと二人の決定的な違いは、そこにある。

 ある意味で二人は、使用する装備を自ら制限している。

 だが、逢沢くのりは違う。

 二人が使わない強力な装備も、くのりならば使えるはずだ。

 ましてや囮をやると自ら言ったのだ。殺傷能力の高い装備を使う方が自然と言える。

 深月が言わんとする事を理解したくのりは、不快感に顔を歪めたりはせず、むしろ楽しげに微笑んで見せる。

「協力関係は一時的なものでしょ? 基本的に私は敵。なのに銃を預けるつもりあったの?」

「……必要なのであれば、ね」

 それで安藤龍二と安藤奏を無事に救い出せるのなら、深月はそのリスクを受け入れるつもりだった。

 くのりは納得したように頷き、口元を綻ばせる。

「大丈夫。あの程度の相手なら、この麻酔銃と接近戦で問題ない」

 くのりはそう言ってホルスターの麻酔銃を軽く叩いてみせる。

 制圧用の麻酔銃と言っても、開発部特製の麻酔銃は強力だ。

 かつて龍二に使用されたものに、更なる改良が施されている。名目上は暴徒鎮圧用となっているが、一瞬で昏倒させる威力は明らかに過剰だった。

 それでも、実銃に比べて劣る点は当然ある。

 その最たるものが射程だ。

 最大射程は十メートル程度。

 複数を相手取る場合を考えれば、心許ない。

 だからこそ実銃を選んだほうが確実だと、深月は考えていたのだ。

 確実に龍二を助け出したいというのであれば、制圧力の高い装備を選ぶべきだろう。

 にもかかわらず、逢沢くのりは殺傷能力の高い武器を選ばなかった。

「なんか勘違いされてそうだから言っておくけど、別に私、殺すのが好きなわけじゃないから」

 理由は単純なものだ。少し考えればわかりそうなものだったと、深月は納得する。

 任務であれば殺人を厭わないエージェントだという考えに、当たり前の事が見えなくなっていたのだと悟る。

 逢沢くのりは確かに人を殺した経験がある。だがそれは、エージェントとして任務を果たしたに過ぎない。

 自らの意思でそうしたわけではないのだ。

「ごめんなさい。確かに勘違いしていたわ」

 深月は自身の浅はかさを認め、くのりに謝罪する。

 まさか謝罪までされるとは思っていなかったくのりは、さすがに驚いて目を見開く。

 が、すぐに表情を緩めてみせる。

「別に、ね。そう思われても仕方ないし。エージェントなら当然でしょ」

 危険な人物であると警戒しているのだから、それが当たり前だとくのりは笑う。

 仮に逆の立場だったとしたら、くのりもそう警戒しただろう。

 そんな人間を護衛対象に近づけたくないと思うのも、当然のことだ。

 深月もそれはわかっているが、理屈だけでは自分を納得させられず、難しい顔をしていた。

「じゃあ、私からも質問一つってことで」

 それを見かねたのか、くのりは軽い調子で人差し指を立てる。

「……答えられる質問であれば」

 エージェントらしい返答に、くのりは笑みを浮かべて頷く。

「どうして、私を信じたの?」

 今度は深月が意表をつかれる番だった。

 ここでしてくる質問がそれだとは、思ってもみなかった。

 隣で腕を組んでいたうてなもやや驚きつつ、だが興味深そうに横目で深月を見る。

 うてなとしても、それは疑問に思う事だった。

 くのりが突然現れ、龍二を助けたいと言って来た時、うてなはその判断を深月に委ねた。

 受け入れるしかないと言えばそうだが、最終的にどうして受け入れたのかを、うてなはまだ知らない。

 気にはなっていたが、それは全てが終わってからでもいいと思っていただけだ。

「自分で言うのもなんだけど、普通は信じないし、あの場で拘束するでしょ」

 くのりの言葉に、深月は首肯してみせる。

「別に、あなたを信じたわけじゃない」

 そして、真っ直ぐにくのりを見て答える。

「あなたが彼に向けている、特別な感情を信じただけ」

 それがなんであるかまでは、口にしなかった。

 だが、くのりとうてなには十分すぎるほどに伝わる。

 予想外すぎる理由にうてなは口を開くが、声は出てこなかった。

 くのりは僅かに眉を上げただけで驚いた様子はない。ただ、本当にそれが理由なのかどうかを判断しかねていた。

「彼を悲しませるようなことは、しないでしょう?」

 本心だと証明するように、深月はそう付け加えた。

 これにはくのりも驚きを隠せず、そして苦笑した。

「まさか、あんたがそんなことを言えるなんてね」

 逢沢くのりにとって久良屋深月は、優秀なエージェントだ。ある意味、理想的な護衛とも言える。

 そんな彼女が、自分を信じた。

 それだけでも驚く事だというのに、その理由がまさかの、彼に対する感情だと言う。

 およそ、優秀なエージェントが口にする言葉ではない。

 しかし深月は、疑う余地もないほど真面目にそう言い切った。

 逢沢くのりの恋心は、信じるにたるものだと。

「でもまぁ、うん。間違ってない」

 その通りだと認めるように、くのりは前髪を掻き上げながら頷く。

 くのりは清々しいほどに澄んだ目で、深月を見る。

「もう、泣かせたくない」

 深月を見てはいるが、その言葉はずっと先へと向けたもののようだった。

 くのりはすでに、龍二を泣かせてしまった。

 何度泣かせたのかは、わからない。

 彼が自分のために泣いてくれたのだと考えるたび、嬉しさと共に、胸が軋む。

 だからもう、泣かせたくはない。

 けれど、それはきっと無理なのだろうとわかっていた。

 どんな道を選んでも、彼は悲しむ。

 逢沢くのりにはそれが、痛いほどわかってしまう。

「ま、そういうわけだから、二人をよろしく」

 迷いのない笑みを浮かべたくのりは、そう言って森の中へと走って行く。

 闇に紛れて見えなくなった背中に、残された二人は言葉にせず頷いた。

 言われるまでもないと、力強い目で。

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