第4章 第1話 おかえりなさいが聞こえない その8
くのりがもたらした情報には、犯人グループの戦力と潜伏先、そして建物の見取り図まで記されていた。
「監禁されているとしたら、一番奥にあるC棟ね」
あまりにも詳細な情報に感心するより、疑念の方が強くなる。
どうしてそこまでという二人の疑問に対する答えは、単純なものだった。
「彼らは以前、私が利用したグループだから」
「……まさかそれ、あの時の?」
顔を上げて眉を顰めるうてなに、くのりは頷く。それを見たうてなは、疑いの眼差しを向ける。
「つまりはなに? 仲間を裏切って情報を売りにでも来たわけ?」
嫌悪を露わにするうてなの言葉に、くのりは鼻を鳴らして否定する。
「裏切るもなにも、そもそも仲間じゃない。私が欲しかったのは逃走手段と、適度に時間を稼げる手駒。それを彼らに用意して貰っただけ」
彼女が言う手駒とは、龍二が誘拐された際、周辺を警戒していた男たちの事だ。
「ま、あいつらはグループの末端みたいなものね。尋問しても、大した成果はなかったんじゃない?」
深月はその言葉に、沈黙で答える。
あの事件の後、捕らえた彼らがどうなったのかは、深月もうてなも知らない。
情報が下りて来なかったという事は、彼女の言う通りなにも得られなかったか、知る必要がない情報だったかのどちらかだ。
くのりの話が本当だとすれば、前者だったのだろう。
「彼らは何者?」
文字ベースの情報に目を通しながら、深月はくのりに尋ねる。メンバーの名前や経歴は書かれているが、肝心の所属する勢力に関する記述がない。
どこの勢力なのかがわかれば、本部に掛け合って圧力をかけて貰う事も選択肢に入る。それで解決するのなら、誰も傷つかずに終わらせる事もできるだろう。
「組織の中の一勢力、としか言えない。というか、私もね、知らないの」
「それでよく利用しようと思ったわね」
「まぁ、こっちにもいろいろ事情があったの。なにせ、使えるルートは限られてたから」
当時の事を思い出したのか、くのりは僅かに頬を歪め、テーブルの中央に広げられたチョコレートを手に取り、口の中に放り込む。
テーブルにある豊富なお菓子の山は、くのりの話を聞いている間にうてなが積み上げた物だ。
地下室の一角から、当たり前のように持ち出してきたうてなに、深月はため息を吐くだけに留めた。もちろん、言いたい事はあるが、それどころではないので、後回しにしただけだ。
「だから圧力でどうにかっていうのは、難しい。ごく一部の独断専行という可能性もあるし……いや、たぶんそうなんだけど」
深月と同じ事を一度はくのりも考えていた。が、無理だと判断したのだ。
「ホントに内部抗争とか、大丈夫なんですかねぇ、組織の方々は」
他人事のように言いながら、うてなはバウムクーヘンを一口で平らげる。緊張感があるようには見えないが、本人は至って真面目だ。
「私にわかるのは、組織の上層部にいる人間で、かつある程度発言力を持っている某国の偉い誰かの私設部隊が相手ってことくらい」
「絞り込むのは難しそうね」
あと数時間以内には救出しなければならない今の状況では、やはり実力行使しかない。ただ、事件が終わったあとで対処する必要があると、深月は心に留めておく。
元凶を取り除かなければ、また安藤龍二とその周辺に危険が及ぶ。
「難しい話は知らないけどさ、そもそもどうして今回、あいつが狙われたわけ? 一般人である奏さんまで巻き込んでさ」
二つ目のバウムクーヘンを飲み込んだうてなの疑問に、くのりは僅かに表情を曇らせる。
「協力を仰ぐ際の報酬として、彼らにいくつか情報を売ったの。彼らの潜伏先も、その時に渡した情報の一部」
「あぁ、だからこの短時間でわかったわけか」
「彼らの動きそのものは、少し前から気づいていたけど」
「は? あんた、知ってて見過ごしたわけ?」
最後のバウムクーヘンに伸ばしていた手を止め、うてなはくのりを見やる。
「勘違いしないで。誘拐するとは思ってなかったし、気づいてたらやる前に潰してた」
その点だけは誤解されたくないのか、くのりが語気を強める。
うてなは半信半疑なのを隠そうともせず、しかしそれ以上はなにも言わずにバウムクーヘンを手に取った。
「でも、なにか動きがあるということには気づいていたのでしょう?」
代わりに深月が、先を促す。
「まぁね。てっきり、あの放棄された研究所が目的だと思ってたの。まさか、龍二まで狙うとはね……」
龍二だけではない。奏まで巻き込まれるとは、くのりも思っていなかったのだ。表情には、自身を責めるような色が滲み出ている。
「放棄された研究所というのが、この潜伏先の施設?」
「そう。数年前、内部で事故があったとかで、そのまま放棄されたみたい」
「事故? 聞いたことがないわね」
「へぇ、あんたでも知らないんだ」
「当然でしょう。私はあくまで、エージェントの一人だもの」
「そうだけど、でも……まぁいいか」
別に掘り下げる必要はないか、とくのりはコーヒーを口に含んで飲み下す。
「彼が狙われた理由に心当たりは?」
「龍二に関する情報は与えてない。私がなにをやろうとしていたかも、知らなかったはず。でも、興味を持たせてしまったってこと、だろうね」
もしくは、別のルートで龍二に関する情報を得たのかもしれない、とくのりは前髪を掻き上げる。
「完全に、言い訳のしようもないくらい、私の落ち度」
小さくも深いため息を吐き、目を細めてくのりは呟いた。
「まぁぶっちゃけ、あんたの不始末ってことか」
くのりの表情を見ず、うてなは冗談めかして言った。
「だからこうして、始末をつけにきたの」
それまでとは一変する硬い声に、うてなは顔を上げる。
今までに見た逢沢くのりの、どの表情とも違う。
大切なものを案じているのだと、一目でわかる真剣な表情だった。
その疲れを宿しながらも真っ直ぐな双眸に、うてなは胸の奥でなにかが疼くのを感じた。
「話はわかったわ。でも、どうしてここに? 組織のエージェントである私たちの前に姿を現すなんて、正気とは思えない」
「最初に言ったでしょ。彼を助けたいの」
改めて問う深月に、くのりは改めてそう告げた。
安藤龍二を助けたい、と。
「それが本音だとして、私たちに協力する理由は? 潜伏先も戦力もわかっているのなら、あなた一人でも助け出せるでしょう?」
「評価してくれるのは嬉しいし、まぁ実際、龍二だけなら私一人でもやれる自信はある。でも、奏さんまで捕まってるとなると、厳しいのよ。生憎と真っ当な装備がなくてね。そんな状態で二人を無傷で助け出せると言えるほど、無鉄砲じゃないの」
そう言ってくのりは、無鉄砲を絵に描いたようなうてなをチラリと見やる。
「意外ね。彼以外のことなんて、どうでもいいのかと思っていたけど」
「基本的にはそのスタンスだけど、大切なことを一つ、見落としてる」
くのりの表情が僅かに柔らかくなり、そして憂いを帯びる。
「龍二には、笑っていて欲しいから。泣かせるようなことは、したくないの」
そのこぼれ落ちるような呟きに、深月とうてなは一瞬、言葉を忘れる。
目の前にいる逢沢くのりが何者なのかすら、忘れてしまいそうだった。
「だから、二人を安全に助け出せる方法を選ぶことにした。あなたたちなら、きっと利害が一致すると思ったから」
一瞬だけ見せた表情はすでに消え、それ以前のものに戻っていた。
「最初に手を貸すって言ったけど、あれは訂正する」
くのりは立ち上がり、二人を交互に見てから、改めて口を開く。
「二人を助けたいの。だから、手を貸して」
姿を現した時とは真逆とも言えるくのりの様子に、深月とうてなは顔を見合わせた。
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