第4章 第1話 おかえりなさいが聞こえない その6

 およそ一時間後、食事を終えた二人はデータの解析が終わるのを待っていた。

 紅茶をストレートで飲みながら、深月は本部から届いたメッセージを確認する。

「地上の後始末は無事終わったそうよ」

 深月の言葉にうてなは炭酸飲料のボトルから口を離す。

「情報、引き出せると思う?」

「私も少し話してみたけど、期待はできないでしょうね。よく訓練されているわ」

 どうやって聞き出そうとしたのかを、うてなはあえて訊かない。たとえ訊いたとしても、深月は答えないだろう。

 口にするのも憚るような事まではしないと思うが、なんとなく訊かないほうがいい気がした。

「尋問は本部に任せるとして」

 うてなはそこで言葉を一度切り、ペットボトルを置く。

「結局、増援はなし?」

「えぇ。彼らはあくまで、後始末にきただけよ」

「本当にさ、なに考えてるわけ、本部のやつらって」

 不機嫌さを隠そうともせず、うてなは悪態を吐く。

 そう言いたくなる気持ちは、深月にもわかる。期待していたわけではないが、実際にそうなってみると、やはり不信感や落胆を覚えずにはいられない。

 正式なエージェントである深月ですらそう感じるのだ。うてなが抱く悪感情は、比較にならない。

「足取りも掴めない。潜伏先の候補も絞れない。じゃあなにができるんですかね、本部の優秀な人たちは」

「唯一朗報と言えそうな情報としては、そうね。安藤聡と安藤静恵の両名は、組織のほうで無事保護できたそうよ」

「あー、それは確かに朗報だ」

 うてなは再びペットボトルをあおり、中身がなくなったそれを握り潰す。ゴミ箱へ放り投げようとして、深月の鋭い視線に気づき、大人しくテーブルに戻す。

「二人にはなんて説明したわけ?」

「そこまでの情報は下りてきていないわ。ただ、全てを隠しておくことはできないと思う。安藤奏が誘拐された以上は、ね」

 救出されるまでの間、ずっと気を失っているという都合の良い事でもない限り、安藤奏は知ってしまう可能性が非常に高い。

 自分がなにかの事件に巻き込まれ、その中心にいるのが安藤龍二であると。

 そうなった場合、組織としても対応せざるを得ない。

 どのように対応するのかは、状況次第ではあるが。

 少なくとも、今までと変わらずにいられる可能性は低い。

 その心配も、無事に救出できればの話になる。

「二人の保護ができただけでも、上出来よ。状況が今以上に悪化することはないでしょうし」

「今より悪化してたまるか」

 まったくもってその通りだ、と深月も頷く。

「増援が期待できない以上、やはりあなたと私でやるしかなさそうね」

「ま、もともとあいつの護衛は私と久良屋の仕事だし、構わないけど」

 うてなは頭の後ろで手を組み、天井を見上げる。

「にしても、やっぱ腑に落ちないなぁ。あいつが重要だから護衛させてるわけじゃん? なのに増援もよこさないなんて、おかしくない?」

 二人でやる事は良しとできても、その疑問が拭えたわけではなかった。むしろ、疑念は増す一方だ。

「私もそうは思うけど、なにか考えがあるのでしょう」

「考え、ねぇ」

 ろくでもない事を考えていそうだと言いたげに、うてなは口元を歪める。

 言葉にこそしないが、深月も同じ事を何度も考えてきた。

 組織の意図がわからない。

「最初の……逢沢くのりが起こした事件のあと、そのまま護衛を続けるようにって指示、誰が出したわけ?」

「博士の指示、と聞いているわ」

 その名前を聞いたうてなは、あいつかと顔をしかめる。

「面識はあるのよね、あなた」

「あるって言うか、まぁ」

 あまり乗り気ではなさそうだが、うてなはテーブルに突っ伏すようにして話し始める。

「こっちに放り出された私を保護してくれたのは、博士だから」

 未知の存在ともいえるうてなが拘束ではなく、保護される立場で暮らしていられるのは、全て博士が取り計らったからだった。

 どういう思惑があり、どんな条件で話し合いが行われたのかは、誰も知らない。

 うてなが組織に協力しているのは、恩返しという意味合いも含まれていた。

「感謝もしてるし、世話にもなった人だけどさ。でもなんか、好きになれないんだよねぇ」

 うてな自身、どうしてそう思ってしまうのかがわからず、博士への感情を持て余している。

 多くの研究者や職員が抱く苦手意識と似ていた。

 だから深月にも、うてなが博士に対して難しい感情を抱えているのが理解できる。

 比較的話す機会が多い深月でも、未だに拭えない苦手意識は残っているのだから、当然だ。

「まぁいいや。他人の思惑なんて知ったこっちゃない」

 やる事はなに一つ変わらないと、決意に満ちた顔で立ち上がる。

「あいつも奏さんも、絶対に助け出す。あとのことは、あとで考えればいい」

 無事に救出できたとして、龍二がこれまで通りに暮らせないという事は、うてなもなんとなく察しているのだろう。

 安藤龍二と、彼を取り巻く人たちの関係性が決定的に変わってしまうかもしれない。

 うてなの言う通りだ、と深月も立ち上がる。

 たとえそうだとしても、やる事は変わらないのだ。

「すぐに動けるよう、準備をしましょうか」

「相手は銃をぶっ放してくる相手だしね。さすがに今回はスーツを着ておかないと」

「撃たれた経験のあるあなたが言うと、説得力があるわ」

「うわー、ここで抉る? その傷」

「まだ気にしていたの?」

「そりゃあそうでしょ。四発だよ、四発」

 意外そうに眉を上げる深月に対し、うてなは渋い顔で太ももを叩く。

 左右の足に二発ずつ銃弾を受けたことは、生涯忘れられないだろう。

 あの時の悔しさや驚きは、今でも鮮明に思い出せる。

 同じようなヘマをするわけにはいかない。できる限りの準備はしておくべきだと、意見が一致する。

 二人は早速、地下室の奥にあるシークレットルームを解放する。

 僅かな音を立てて壁がスライドし、奥にある隠された部屋が姿を現す。

 そこにあるのは、彼女たちが任務で使用する装備の数々だ。

 思いつくままに開発部が試作した装備が、所狭しと並んでいる。

 定期的に追加されたり、あるいは回収されたりしているが、総数としては増える一方だ。

 回収される理由はいくつかあるが、多くは不具合の発覚だった。

 これに関しては、深月とうてなが直接クレームを入れた事が何度かあった。使用してみて実用的ではないと判断した場合も当然、その旨を報告する。

 ある意味、試作品を実際に使用して評価するのも二人の任務と言えた。

 ただし、中には二人が手を付けない装備もある。

 特に、実銃の類には二人とも触れる事はなかった。

 実銃に限らず、殺傷能力が著しく高い装備は使用しない。

 幸いにも、趣味的ともいえる物ばかり作る開発部だが、非致死性兵器を手掛けるのも得意としていた。

 当たり外れはあるものの、彼らのおかげで実銃を使わずに任務を遂行できているのだ。

 二人は戦闘用のスーツをそれぞれ取り出し、ハンガーにかけて服を脱ぎ始める。

 広さ的な問題で、専用の更衣室までは用意されていない。

 地下室の奥には更に、セーフティルームもあるが、わざわざそこを利用して着替える気には、どちらもならなかった。

 同居生活が始まって、じき半年になる。

 今更お互いに着替えがどうこうという間柄ではなかった。

 下着に手を掛けたところで、うてなはふとシャワーを浴びていない事を思い出した。

 深月は帰って来てから一度浴びているが、うてなは違う。

「どうしたの? もしかして、スーツのサイズがきつくなった?」

 まだシャツを着たまま準備している深月は、手が止まっているうてなをからかうように声をかける。

「いや全然。悪いけど、マジで太らないから」

「……あらそう。ならなに?」

「シャワー、浴びてこようかどうか考えてた。ほら、さっき汗かいたし。長丁場になるかもだから、一回浴びてこようかなって」

「却下よ。いつ連絡が入るかわからないのだから、我慢して」

「久良屋は一回浴びてるからいいよねぇ」

「別に誰も気にしないわよ」

「誰がとか関係なく、自分でイヤなだけですけど?」

「なら我慢できるでしょう」

 取り付く島もない深月の素っ気ない反応に、うてなは口をへの字に曲げる。

 が、すぐにこれ以上は話しても無駄だろうと諦め、スーツに触れる。

「これ、バージョンアップしたんだっけ?」

「補助機能が三パーセントほど向上したそうよ。防御面でも、以前より衝撃を吸収してくれるようになったと、自慢げな報告があったわね」

「実感できそうなレベルの違いはなさそう」

 開発者が聞いたら憤慨しそうな事を平然と言いながら、うてなはため息を吐く。

「そんな微妙なとこより、下着のまま着られるようにしてくれないかなぁ。なんでその調整が後回しなわけ?」

「必要がないからでしょう」

「……久良屋ってさ、決定的に羞恥心が欠けてない?」

「あなたにはあるの? それは初耳ね」

 あまりにもさらりと言われた言葉に、うてなは絶句する。

 どこから文句を言えばいいのかすらわからないほどの衝撃を受けていた。

 深月はしてやったりとでも言いたげに、冷めた微笑を浮かべてみせる。

 羞恥心が欠けていると言われた事に対し、思うところがあったのだろう。

 瞬時に反撃してきたあたりに、怒りのほどがうかがえる。

 なにか言う事はあるかと物語る視線に、うてなは頬を掻く。

「わかった。謝るから。迂闊な発言でした取り消します」

「別に謝罪なんて求めていないけど」

「よく言う……」

 素知らぬ顔で下着姿になる深月を、うてなは半眼で見やるが、それ以上は我慢した。

 シャワーを諦めたうてなは、せめてこれだけはとボディシートで身体を清める。

 そして隣を見れば、深月も同じように身体を清めていた。

 再度口を開こうとするが、うてなはグッと堪える。勝てない勝負をわざわざ挑むのは無駄だと、自分に言い聞かせた。

 二枚目のボディシートを取り出したうてなは、今回の事件でずっと思考の片隅にあった名前を思い出す。

 数秒考えた末、深月に話しかける。

「あのさ、今回の件、まさかとは思うけど……」

「可能性がないとは言い切れないけれど……どうかしら」

 うてなが言わんとする事を理解し、深月は曖昧に首を傾げる。

「あいつを誘拐したがるやつの筆頭でしょ、逢沢くのりって」

「そうだけど、彼女があの家族を巻き込むと思う?」

「あー、うーん……どうだろう」

 深月の問いかけに、今度はうてなが首を傾げる。

 ずっと気がかりだったのは、逢沢くのりという存在だ。

 改めて、数ヶ月前に銃弾を受けた足に触れる。

 傷は一切残っていないが、あの時の痛みは鮮明に思い出せる。

 逢沢くのりが龍二に対して、どれほどの感情を抱えていたのかは、正直うてなにはわからない。

 だが、大切に想っていたという事は、なんとなくわかる。

 だから深月の言葉に唸ってしまったのだ。

 龍二が好きだというのなら、嫌われるような事はしないような気もする。

 一方的に押し付けるだけの感情であれば、また違うのかもしれないが、逢沢くのりが抱えたそれは、龍二の感情にも寄り添うものだったように思えた。

「でもまぁ、やけくそになったらなりふり構わないってこともあるんじゃない?」

「――まさか。そんなことするわけないでしょ」

 その声は、時間を凍り付かせる力を持っているかのようだった。

 ほんの刹那、深月とうてなは動きが止まる。

 そして、同時に振り返った。

 視線が向く先は、地下室の入り口。地上へと続くドアがある階段。

 そこに彼女――逢沢くのりは、立っていた。

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