第3章 第3話 Eazy Time その3

「久良屋さん、占いとかどう?」

「どう、とは?」

「全然興味ない感じ?」

「そうですね」

「そっか。じゃあここはパスでいいかな」

 素っ気ない深月の返事に笑顔で答え、奏はすぐ次の候補に切り替える。

「せっかくだし、寄って行けば?」

「別に私もそこまでって感じだから。時間も限られてるし、どうせなら興味があるところにしたほうが良くない?」

「姉さんがそう言うなら、僕としては、まぁ」

 龍二はそう言いつつ、多彩な占いをしているという教室の看板を横目に見る。

 教室の中をいくつかのブースに区切り、数種類の占いを楽しめるようになっているらしい。占いそのものには龍二もあまり興味はないが、奇抜な発想の占いという単語には惹かれるものがあったが、仕方ない。

 気持ちを切り替えて先へと進みながら、呼び込みをしている生徒たちの熱気に感心する。

 この辺りは二年生の教室が並んでいる階なだけあって、どこも凝った装飾が施されていた。

 やはり二年生は、熱量が違う。

 一年生はまだ遠慮や不慣れな部分が目立ち、作りも粗削りだったりする。中には凝ったものを出すところもあるが、そういった一年生は稀だった。

 こうして実際に二年生のフロアを見て歩くと、自分たちももっと凝ってみたかったという気持ちが湧いてくる。

 受験という問題があるので、致し方のない事なのだが。

「うわ、すご」

「お化け屋敷、だね」

 龍二はそう答えながら、以前聞いた事がある話を思い出した。

「毎年二年生のどこかがやるっていう、暗黙の了解があるらしいよ」

「へー。面白い」

 龍二の話で興味が湧いたのか、奏は入口に設置された看板を眺める。

「美術部全面協力、だってさ。コラボレーションってやつかな?」

「じゃないかな」

 どこかの部活とクラスの出し物が協力するというのは、龍二も初耳だったので、興味が湧く。

「今年赴任してきた美術教諭がホラーに詳しい人で、美術部から提案があったそうですね」

「おー、それは期待できそう」

 深月がさりげなく入れた補足情報に、安藤姉弟はますます興味を抱く。

「久良屋さんはお化け屋敷、大丈夫な人?」

「おそらくは」

「もしかして、初めて?」

「はい」

「ほほぅ。それはそれは。じゃあぜひ経験してみよう」

「いいですよ」

 すっかりその気で入り口の案内に声を掛けようとする奏を、龍二は一応呼び止める。

「ちょっと姉さん、大丈夫? こういうの、前は得意じゃなかったよね?」

「お化け屋敷くらいなら平気だよ。龍君が心配してるのはあれでしょ。本格的なホラー映画とかで、ちょっと大げさに驚いたことがあるから」

「まさにその通りなんだけど、本当に平気なの?」

「大丈夫」

 どこからそんな自信が湧いて来るのだろうかと、龍二は頭を悩ませる。

 これまでにも何度か、似たような事があったのだ。

 龍二が借りてきた映画を一緒に観て悲鳴を上げ、その上でなぜか怖がってなどいないと強がる。

 そんな事を数回経験した龍二は、ホラー映画は一人で観るようにしていた。

「いいからほら、行こ行こ」

 一抹の不安を覚えながらも、先頭を歩いてお化け屋敷へと入っていく奏に、龍二と深月も続いた。


「……ど、どうして久良屋さんは、そんなに平気なの」

 案の定、何度となく悲鳴を上げては立ち止まるを繰り返し、ようやく出口に辿り着いた奏は、龍二に寄り掛かりながら深月を見上げる。

「作り物だとわかっているので」

 平然と答える深月は、冷や汗一つ掻いた気配がない。

「で、でも、すっごく本格的だったよ?」

「そうですね。美術部が協力しただけあって、よくできた作り物だったと思います。美術部員と件の先生が優秀だったのではないかと」

「そういうことじゃ……う、うーん」

 女子高生らしさの欠片もない意見に、奏は困ったように龍二を見上げる。

 奏とは少し違うが、龍二もその反応になんと言えばいいのか、悩んでいた。

 深月が女子高生らしく、それこそ奏のように驚いたりするとは思っていなかったが、あの様子だと楽しめていたのかすら怪しい。

 偽装なのだから驚くフリをするように頼むのも、変な話だった。

 純粋に楽しんで貰えるのが一番なのだが、一筋縄でいく相手ではない。

「じゃあ、次に行こうか。姉さん、平気?」

「う、うん。でもちょっと、軽めのところがいいかな、あはは」

 龍二に寄り掛からずに立てる程度には回復した奏だが、まだ完全とは言い難いようだ。

「なら休憩がてらに喫茶店系のとこにしようか」

「あ、じゃああっちのフロアにあるコスプレ喫茶で――」

「それはやめましょう」

 一瞬、誰が発言したのかがわからず、龍二と奏は顔を見合わせた。

 が、すぐに誰なのかを理解し、同時に彼女を見た。

「久良屋、さん?」

「なに?」

「えっと、やめようって言った?」

「言ったけど、それが?」

「やっぱりそうだよね、うん」

 あの会話を断ち切るような『やめましょう』発言は、間違いなく深月のものだった。

 至極真面目な顔には、意見を曲げるつもりはないと言わんばかり気迫が見て取れる。

「なんで、ダメなの?」

「どうしても」

「でも、他に丁度良さそうな喫茶店系のところ、ないんだよね。だからあっちのコスプレ喫茶で――」

「それ以外で」

「…………」

「コスプレ、以外で……っ」

 そこに至ってようやく、龍二は理解した。

 いつも以上に硬い表情をしているのは、必死に笑いを堪えているからなのだと。

 そしてなぜ、笑いそうになっているのかも理解した。

「……あの写真」

「やめて」

「…………」

「……やめて」

 半眼でねめつける龍二から、深月はそっと目を逸らした。

 どうやら、龍二の忌まわしい過去の写真が原因らしい。

 数日経った今でも、思い出しただけで笑いそうになるほど、深月にとってあれは危険な写真のようだ。

 死ぬほど笑っていたといううてなの言葉が真実だったと、龍二は暗澹たる気持ちで受け止める。

「久良屋さんがそう言うなら、別のところにしよっか。と言うか、休憩しなくても別に構わないし」

 龍二と深月の間に流れる微妙な空気を感じ取ったのか、奏が明るい声で二人に提案する。

「……そうだね」

 写真の話はまた別の機会に問い詰める事を、龍二は心に決めて頷く。

「……えぇ、そうして頂けると」

 笑いの気配が完全に消えるまで、極力龍二とは視線を合わせないようにしようと、深月も決めて答えた。

「よし。それじゃあ、運動部の方に行ってみようか」

 ちぐはぐな空気を混ぜ合わせながら、三人は校舎から運動場へと向かった。


 これが度肝を抜かれるという感覚か、と龍二はその光景を眺めながら考えていた。

「……なに?」

 汗一つ掻かず、涼しい顔をして戻って来た深月は、呆けている龍二を怪訝な顔で見る。

「あ、いや。もしかしてとは思ってたけど、本当にパーフェクトを叩き出すとは思わなくて」

「……いけなかった?」

「達成可能だって証明したのは、いいことじゃないかな、うん」

 苦笑しつつそう言った龍二は、深月が先ほどまで立っていた場所へ目を向ける。

 そこにあるのは、野球部が用意した出し物だ。

 彼らのホームグラウンドである野球場に設置されたそれは、テレビなどで見た事がある的当て形式のアトラクションだった。

 決められた球数の中で、当てた的の数だけちょっとした景品が貰える。景品は健全なもので、主に文房具や食券といった校内で使用できるものばかりが揃っている。

 その景品の中で目玉となるのは、やはりパーフェクトを達成した時に貰える物だろう。

 今年の野球部が用意したパーフェクトの景品は、一ヶ月分の食券だ。金額に換算した場合、他の景品とは段違いになる。

 強気な設定をしているのは、現役野球部員ですらパーフェクトが困難だからだろう。野球の経験がない龍二でも、その難易度の高さはわかった。

 そしてそのパーフェクトを、深月はあっさりと達成して見せたのだった。

「久良屋さん、凄い。ノーミスで達成しちゃうなんて。なに、ソフトボールとかやってたの?」

「いえ、特には」

「じゃあ、すっごく運動神経がいいのかな? いやでも、運動神経だけでできるもの?」

「さ、さぁ?」

 飛び跳ねそうな勢いで話しかけて来る奏に、龍二は半笑いを浮かべて答える。

「とにかく、凄いもの見せてもらっちゃった。あー、動画に撮っておけば良かったなぁ」

 残念そうに笑う奏の様子に、深月は若干困惑しつつ龍二に耳打ちする。

「……そんなに難しいとは思えないのだけど」

「僕と姉さんが先にやって見せたでしょ?」

「彼女もあなたも、運動が得意ではないからでしょう?」

「言うね……まぁ、実際そうだけどさ」

 深月が挑戦する前に、龍二と奏も同じアトラクションに挑戦していた。

 結果は深月が評した通り、惨敗に終わった。

 奏はなんとか一つ当てるのが精一杯で、龍二は三つが限界だった。

 ろくに野球の経験がないのだから、三つでも十分だろうと龍二自身は思っていたが、パーフェクトを見せられたあとでは、不甲斐なさを感じずにはいられなかった。

「あんなフォームで、よく狙い通りに当てられるもんだよね」

「あらゆる物を投擲できるようにしているから」

「……さすがだね」

 なぜそんな事をできるようにしているのかは、聞くまでもない。主になにを投擲するのかも、予想がつく。

「それでこれなのだけど……いる?」

「一ヶ月分の食券なら、久良屋さんも使えるでしょ」

「学食はあまり利用しないって、知ってるでしょう?」

「それもそうか。だったらここはまぁ、気を利かせてくれた彼女にあげるといいんじゃないかな?」

「……そうね。そうしましょう」

 そう互いに納得したところで、次の場所へ早々に移動する。

 まさかの特賞を獲得されてうな垂れている野球部の嘆きが、なんとも言えず申し訳なかった。


 その後もいくつかの出し物を見て回った三人は、校庭にあるベンチで休息をとる事にした。

 途中で買ってきた飲み物を手にして、ごく自然な流れで龍二を挟む形で座る。

「結構見て回ったと思うけど、まだ半分も行けてないんだね」

「全部っていうのは現実的じゃないよ。午後になると体育館でバンド演奏とか、演劇とかもあるし」

「定番だねー。龍君は結局そういうの、一回もしなかったんじゃない?」

「楽器も演技も、僕には無理だよ」

「挑戦もしないでそう言っちゃうのは勿体ないと、お姉ちゃんは思うなぁ」

 そう言われても困ると、龍二は苦笑する。

「久良屋さんは運動とか、全然興味なかったの?」

「はい」

「そっかぁ、残念。打ち込めるものがあったら、きっと凄いことになってたのに。私は運動とか全然ダメだったから、少し羨ましい」

 深月は曖昧に相槌を打って、飲み物に口をつける。

 戦闘訓練で結果は出ているので、彼女がいうところの『凄いこと』にはなっているのだろう。それを運動、スポーツに当てはめればいいのだろうが、具体的にイメージする事はできなかった。

 今とは違う生き方など、考えた事もない。

「龍君の休憩って、あとどれくらい?」

「えーっとね」

 時計とパンフレットを見比べて次の相談をする安藤姉弟をよそに、深月は携帯で警備システムをチェックする。

 問題がない事を確認して、仲睦まじい二人の様子を横目で伺う。

 安藤奏は運動ができる自分を羨ましいと言ったが、全てを知ってもそう言えるのだろうか?

 そんな疑問が、ふと深月の心に湧いた。

 もし仮に、自分と奏の立場が逆だったのなら、どう思っただろう。

 なにも知らず、安藤龍二の姉という立場で接する事ができていたなら。

 任務のためだけに訓練を続ける日々も、血を流して戦う事も、悪夢に理性を侵食されそうになる事もない人生なら、世界はどんな風に見えるのか。

 なれるものなら、なってみたい。

 安藤奏のように。

「…………」

 その時湧いた感情がなんなのか、深月は理解していた。

 安藤奏が先ほど深月に言った言葉が、そのまま当てはまる。

 なにも、安藤奏と同じでなくてもいい。

 この学校にいるごく普通の誰かでいい。

 もしそんな願いが叶うのなら。

「――――っ!」

 直前まで渦巻いていた思考は、一瞬にして消え去る。

 深月はその音を聴覚で捉えた瞬間、視線を激しく巡らせ、状況を理解した。

 三人が休憩していたベンチは、校舎のすぐそばに設置されている。

 音がしたのは、頭上。校舎の三階にある窓ガラスが、廊下側から割れたのだ。

 事故なのかどうかなど考えない。

 すぐに訪れる状況に対して、深月は行動を起こしていた。

 手にしていた飲み物のカップを放り投げ、すぐ隣で反応できずにいる龍二と奏を押し倒す。

 二人は当然、なにが起きたかなど理解できていない。

 深月は押し倒した二人に覆い被さるようにして、数瞬後に訪れるガラスの破片に備え、呼吸を止めた。

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