第3章 第1話 女子高生はじめました その2

「つまり、任務におけるうてなの立ち位置? みたいなものがこう、今日から変わったってことなんだよね?」

 眉間を揉み解しながら確認する龍二に、深月とうてなはその通りだと頷く。

 昼休みになると同時に、朝から落ち着く気配のない教室から抜け出した龍二たち三人は、基本的には封鎖されている屋上へと移動した。

 夏休み前までは一般にも開放されていた屋上だが、今は特別な事情や許可がなければ立ち入る事ができなくなっている。

 にも拘わらず、龍二たちが屋上に立ち入る事ができた理由は、確かめるまでもない。当然のように解錠する深月の手際に、龍二はある意味感心すら覚えていた。

 チャイムと同時に、逃げるようにして屋上へとやって来たのにはもちろん理由がある。

 うてなが転校してきた理由など、人気がある場所では話す事ができない。選択肢はそう多くはなく、その中でも立ち入りを制限されている屋上は最適と言えた。

 事情の説明は帰宅してからでも問題はなかったが、龍二的にはあのまま昼休みまで教室に残るのは居心地が悪すぎた。

 それもこれも、転校生であるうてなが龍二の元カノだ、などと深月が発言したせいではあるのだが。

 当の深月は、何食わぬ顔でコンビニの袋からサンドイッチを取り出していた。

 同じようにうてなも、あらかじめコンビニで買ってきていた昼食を広げる。こちらはうどんとおにぎりが数個、おまけに菓子パンが数個。実にうてならしい豪快なラインナップだった。

 ある意味、この量を教室で広げなくて済んだのは僥倖だったかもしれない。

 龍二は今まで通り、奏が作ってくれた弁当を広げていた。

「それならそうと、先に教えておいてくれても良かったのに」

 ご飯とおかず、二段重ねの弁当箱を並べて頂きますと手を合わせた龍二は、小さくため息をつく。クラスメイトたち――主に男子からだが、彼らから受けた恨みにも似た感情に晒され続け、すっかり疲弊していた。

 その疲れも吹き飛びそうなほど、奏が作ってくれたお弁当は上等な物に仕上がっている。夏休みの間に磨かれた調理スキルが、遺憾なく発揮されていた。

「私たちが聞いたのもつい先日だったから。でも、特に問題はなかったと思うけど?」

「いや、大ありでしょ。なんなのさ、うてなが僕の元カノとかって。いらないでしょ、その設定」

 サンドイッチを手にしたまま首を傾げる深月に、龍二は遠慮なく言い放つ。

 とにもかくにも、龍二が問題視しているのはその一点だけだ。

 他にも気になる事は多々あるが、まずはその設定についてはっきりさせておく必要がある。

「本当になんなの? 久良屋さんが転校してきた時もそうだったけどさ」

 あの時よりは多少マシな状況ではあるが、龍二的に見過ごせる話ではない。

「私はパートナーの助言を参考にしただけ。そうでしょう?」

 自分には責任がないとでも言いたげにうてなへと視線を投げ、深月はサンドイッチを頬張る。

 龍二と深月の視線を受けたうてなは、咀嚼中だったおにぎりをごくりと飲み下し、目を細めて答える。

「別に悪気があったわけじゃないし。って言うか、まだ根に持ってたわけ?」

「そんなつもりはないわ。私はただ、あなたが溶け込みやすいように、ありがちな設定で偽装を補強してあげただけ。だってほら、あなたってこういう任務、初めてでしょう?」

「ほらやっぱり。めっちゃ根に持ってんじゃん」

「見解の相違ね」

 気にも留めていないとばかりにすました顔をしている深月だが、うてなが言う通り、根に持っているのは間違いないだろうと、龍二も内心同意していた。

 いつか聞いた話を、龍二は思い出す。

 確か、深月が任務として転校してきた際、うてなの助言を参考にして身分を設定していたはずだ。その一つが、龍二の元カノという設定だ。おまけに妙なキャラ付けもしていた深月は、それはもう浮いた存在だった。

 龍二に指摘されたりして、色々となかった事になっている設定もあるが、深月の中では喉に引っかかった小骨のように、ずっとしこりが残っていたのだろう。

 うてなが転校生として潜入するという今回の事態は、意趣返しをするには絶好の機会だ。優秀なエージェントである深月がその機会を逃すはずがない。

 それはそれで別に構わないと思うし、深月とうてなの問題だから口出しする権利はない。

 だがしかし、同じように元カノという設定にしなくても良かったのではないかと思う。

 おかげで龍二は、不必要な心労に襲われたのだ。

「なんでうてなもその設定、受け入れちゃったのさ」

「仕方ないじゃん。いきなりアドリブでぶっこんでくるんだもん」

「え、なに? アドリブだったの?」

「当たり前でしょ。事前に知ってたら、そんなバカな設定受け入れないって」

 バカな設定という言葉に、深月の眉がピクリと動く。夏休み前のうてなに聞かせてやりたいと思っているのが、傍目にもわかる。

「だから文句があるなら、久良屋にどうぞ」

 そう言いながらうてなはコンビニのうどんを開封し、固まっている麺にたれをかける。そしてさり気なく、おかずが詰まった龍二の弁当箱へと箸を伸ばした。

 あまりにもさり気なさすぎて、龍二の反応が遅れる。

「あいたっ」

 うてなによるおかず侵略を阻止したのは龍二ではなく、目にもとまらぬ速度で繰り出された深月の平手だった。

 子供の悪戯を咎めるようなぴしゃりとした一撃に、うてなは反射的に箸と手を引っ込める。

「ちょっと、今のなに?」

「あなたこそなにをしているの?」

「なにって……おかず交換?」

「一方的に搾取するのは、交換とは言わないでしょう」

「別にいいじゃん。ねぇ?」

「えっと、まぁ。少しくらいなら、いいけど」

 龍二がそう答えるのはわかっていたのだろう。うてなは勝ち誇ったように深月を見やる。

 深月にもわかっていた。うてながそう話を振れば、彼は受け入れるだろうと。護衛対象なのだから、わからないはずがない。

 だからこそそれ以上はなにも言わず、小さく鼻を鳴らして自身の食事を続ける。

「……良かったら、久良屋さんも」

 だが、苦笑した龍二がそう提案してくるのは、想定外だった。

「……ありがとう。じゃあ、一つだけ」

 変に遠慮する事はせず、深月はお礼を言っておかずを一つだけ貰う。動揺して手が震えないよう、細心の注意を払った。

 少し考えれば、わかりそうなものだ。安藤龍二なら、深月にもそうしてくるだろうと。

 龍二が他者に向ける感情や思考は、ある程度想像がつく。

 だが、その対象が深月自身となると、なぜか思考が鈍る。

 彼が自分をどう思い、どう行動するのか。

 当事者になった途端、判断材料を見失ってしまったような感覚に陥ってしまう。

「久良屋さん好みの味付けじゃ、なかったかな?」

 微妙な表情を浮かべてしまっていたのだろう。少し困ったような笑顔を浮かべた龍二に、深月は首を振って見せる。

「いえ。どちらかと言えば、好みの味、だと思う。美味しいわ」

「そっか。うん、良かった。他にも食べてみたいやつがあれば、遠慮しなくていいよ。結構量、あるし」

「だってさ」

「あなたは少しくらい、遠慮しなさい」

 自身の正しさが証明されたとでも言いたげなうてなに、深月は即答で釘を刺す。

 うてなは深月の言葉などどこ吹く風で、食事を楽しいものにするべく、龍二の弁当箱を物色する。

 そんなエージェントらしからぬ様子を横目にしつつ、深月は先ほどの見落としに考えを巡らせていた。

 久しぶりに任務へ復帰したばかりで、まだ不調なのかもしれない。

 検査では特に問題はなかったが、実際の任務となるとまた違ってくる。

 勘が鈍っている、という事かもしれない。

 深月はそう考え、心を落ち着かせる。

 なにも問題はない。たとえ勘が鈍っていたとしても、すぐに取り戻せる。

 半ば言い聞かせるように心の中で呟き、深月は最後の一切れに口を付けた。

「でもさ、ホントびっくりしたよ。この前遊んだ時はなにも言ってなかったのに、いきなり今日のこれだし」

「びっくりしたのは私もだっつーの。一昨日だよ、一昨日」

「そんなに急な話だったの?」

「そうそう。いきなり久良屋がさ、二学期からあなたも生徒として潜入して貰うわ、とか言ってこの服持って来たの。思わず聞いたね、私。正気? って」

 その時の感情を再現するように、うてなは顔をしかめて深月を横目に見る。

 深月は特に気にする素振りも見せず、ただなにか引っかかるものを覚えたのか、サンドイッチを持つ手が止まった。

「なんて言うか、大変だったね。でもやっぱり、前もって教えておいて欲しかったな」

「そんな暇あるわけないでしょ。こっちはギリギリまで抗議してたんだから」

「正式に雇われてるわけじゃないんでしょ? だったら断れたんじゃ」

「普通ならそうだけど……まぁ、この前のやつで一応、借りもあるし」

 なるほど、と龍二は納得して苦笑した。

 夏休みの間にあった魔術師との戦いでは、相当な規模の事後処理が必要だったであろう事は、想像に難くない。

 陸上競技場の修繕はもちろん、レジャー施設はほぼ壊滅状態になった。すでに閉鎖されていた施設とはいえ、そのままにしておくわけにもいかない。

 そういった諸々の後始末をしたのは、当然深月が所属している組織になる。

 うてなとしては、そこに負い目があったのだろう。

 そうでなければ、断固として受け入れなかったはずだ。

 もしかしたら、本当の理由はそれだけではないかもしれないと龍二は考えるが、口には出さなかった。うてなの性格を考えれば、否定するに決まっている。

「でも、意外って言ったらあれだけど、結構それっぽく仕上がってると思う」

 学生服に身を包んだうてなの姿は、潜入のための偽装という点において、十分すぎる出来だ。龍二は思った通りの感想を述べ、玉子焼きを咀嚼する。

「そ、そう? まぁ、普通でしょ、これくらい」

 満更でもなさそうな顔で、うてなは僅かに頬を赤らめる。

「髪も切ってるしさ。それも偽装の一つ?」

「あぁ、これ? 違う違う。偽装とかじゃなくてこれは、うーん……まぁ、頃合いだった、みたいなやつ」

「もしかして、魔力的な?」

「そんなとこ。別に伸ばしたくて伸ばしてたわけじゃないし、どうせすぐ伸びるから」

 余剰な魔力は髪に蓄積され、結果として通常よりも早く伸びるのだと、うてなは説明する。好奇心をくすぐられるのか、龍二は大きく頷いてうてなの話を聞いていた。

「じゃあ、その眼鏡も特別な意味があるの?」

「いや、これはただの伊達眼鏡。偽装と言えばまぁ、偽装になるのかな」

「なんだ、そうなのか」

「露骨にがっかりされてもねぇ。でもほら、似合ってるでしょ?」

 そう言ってうてなは、中指で眼鏡を軽く上げてみせる。なぜ得意げな顔をしているのか、横から見ていた深月は首を傾げる。龍二も同様に、なぜかはわからなかった。

「ただまぁ、あれだね。制服はなんか、着慣れてない感じっていうか、そういうのはあるよね、うん」

「なんか引っかかる言い方。なによ、具体的にどこがどう微妙だって言うわけ?」

「えっと……まぁ、あれだ。うてなってさ、スカートに慣れてないよね、たぶん」

 龍二はそう言いつつ、頬を掻いて視線を逸らす。

 朝から気になってはいたのだが、屋上に来て弁当を囲む段階になって、それは確信に変わっていた。

 うてなの服装はいつもパンツスタイルであり、一度としてスカートを着用していた事はない。

「そうだけど、だからなに?」

 だから、なのだろう。うてなは龍二が言わんとしている事がわからず、眉根を寄せる。

 どう言うべきかを考えた末、変に遠回しな言い方はやめようと覚悟を決め、龍二は告げた。

「スカートが、さ……その、迂闊すぎる。今もそうだけど……」

 極力そこに視線はいかないようにしつつ、龍二は胡坐をかいて座っているうてなを指さす。

 迂闊と言われた意味を、うてなはすぐに理解した。さすがに無頓着なうてなでも、わかる。

「そ、そういう事は早く言え!」

 慌てて正座するうてなは、耳まで赤く染めながら、スカートの裾を押さえつけて抗議した。

「無茶言わないでよ! だいたい、僕がすぐに指摘してたら絶対文句言っただろ⁉ エロだとかヘンタイだとかさぁ!」

「それは……言うでしょ!」

「だから指摘できなかったんだよ!」

 さも当然のように言い切るうてなに負けじと、龍二も言い返す。互いに顔を赤らめて言い合う様子は、第三者が見ればため息を吐くのも面倒だと呆れただろう。

 事実、二人のやり取りを見ていた深月は、感情をどこかに忘れてきたかのような表情になっていた。

 勢い任せに言い合った龍二とうてなは、クールダウンと共に喉を潤すため、飲み物を手に取る。絶妙にシンクロしてしまった行動に、二人はなんとも言えない顔になった。

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