第2章 第4話 デンジャラス・マジシャン・ガール その3
振り下ろされる寸前、ヒジリの腕に強烈な痺れが走った。
復讐を阻まれ、限界まで見開かれたヒジリの視界が、駆け寄ってくる人影を捉える。
「なん、だっ……お前はぁ!」
罵声と共に睨み付けた視線の先に、雷が落ちる。
全力で疾走しながら電気銃を向けていた深月は、予感だけを頼りに横へ跳んだ。戦闘用のスーツを着用しているとは言え、実際には気休め程度にしかならない。魔術を受けた時点で、致命傷になる。
まさに命がけの介入だった。
うてなが捕らえられたと判断した深月は、龍二をその場に残してすぐさま飛び出していた。
手にした電気銃を走りながらヒジリに向け、その腕に狙いを定めてトリガーを引いた。距離にしておよそ五十メートル。普通の電気銃であれば届くような距離ではない。威力を犠牲に射程距離を伸ばした改良型を選んだのは、正解だった。
とは言え、狙い通りヒジリの腕に命中するかどうかは怪しいところだった。走っている間に数メートルは縮まるが、それでも遠すぎる。
もしうてなに当たったら、その時はその時だと深月は割り切っていた。
運よくヒジリの腕に命中し、注意がうてなから深月へと逸れた。
が、距離は以前として三十メートルはある。
勘だけを頼りに詰める距離としては、絶望的だった。
深月は連続してトリガーを引き、残弾を全て放つ。
うてなを捕らえたまま、ヒジリはその全てを魔術で防ぎ切った。
せめてうてなの身体を放り出してくれればと深月は思っていたが、そうそう上手くいくものではない。
「――うてな!」
残すは二十メートル。うてなにまだ意識があると信じて、深月は次の手を打つ。
撃ち尽くした電気銃をヒジリ目掛けて投擲する。
当然、それは電気端子と同様に弾かれてしまう。が、構わず深月は疾走する。
と同時に、腰のポーチから取り出した円筒形の物を投げつけていた。
ヒジリが防ぐまでもなく、それは数メートル手前に落ちて跳ねる。
次の瞬間、世界が白く染まった。
不意に訪れた閃光に、ヒジリは視界を奪われて思わず手を離してしまう。
深月が投げつけた円筒形のそれは、ただ強烈な光を放つだけのものだ。実戦で使われるような、相手を無力化する効果は一切ない。
だが、何も知らない相手の視界を奪うことはできる。
十秒もすればぼんやりと見えるようになる程度の効果だが、今この瞬間においては十分すぎるほどの効果だ。
閉じていた目を開いて加速した深月は、顔を覆っているヒジリ目掛けて跳び蹴りを喰らわせた。
この状況で、深月が自身に課した役割は、ただの時間稼ぎ。
制圧する装備もなければ、魔術に対抗するすべもない。
十秒か、あるいは数秒か。
そう大した時間は稼げないが、その間にうてながどうにかするはずだ。
して貰わなければ、困る。
情けないほどに他人任せな作戦に苦笑しつつも、深月はその身を投げ打つ。
跳び蹴りを受けてよろめいたヒジリとうてなの間に着地した深月は、そのまま追撃をかけた。
ヒジリの視界が回復するまで、あと数秒はあるはずだ。その間に少しでもうてなから離そうと、身体ごと肩からぶつかっていく。
たたらを踏むヒジリは、深月の勢いに押されて数歩後退した。
深月はそのままヒジリの腹部に膝を叩き込む。が、返ってきた手応えは硬い。
うてなと同じ、魔術によって防いだのだと深月は悟る。銃撃したときは攻撃に注力していたのだろう。こうなってしまってはもう、有効な攻撃手段はない。
正確にはうてなの防御魔法とは違うそうだが、魔術師に有効な装備が手元にない現状、打つ手がないことに変わりはない。
閃光弾による不意打ちが成功したことから、相応の装備と作戦があれば勝機はあるだろうが、それはないものねだりだ。
そう判断した深月は、すぐに距離を取る。
後方にステップを踏むように、軽く跳んだ。
「――邪魔!」
ヒステリックな叫びが聞こえたと思った瞬間、全身を切り刻まれるような痛みに襲われる。
周囲を取り囲むように発生した風の刃が、容赦なく深月を切り裂いていた。
防刃ジャケットなど、なんの役にも立たない。
致命傷と呼べる傷がなかったのは、不幸中の幸いだった。
逆上したヒジリは、感情任せに魔術を発動させている。視界がまだ回復していないのも要因だろう。
だが、それで助かったわけではない。
「関係ないやつがっ、入ってくるな!」
ヒジリが振るう腕に乗せた魔力が、深月の身体を打ち据える。ハンマーで殴られたような感覚に、深月の骨が悲鳴を上げた。スーツの衝撃吸収能力は、僅かも役に立たない。
深月は膝を折って崩れそうになるが、まだだと自身に言い聞かせる。
無茶を承知で踏み止まろうとして、気が付けば深月は飛んでいた。
不可視の力で真横に引っ張られるような感覚だった。
瞬き一つの間に数十メートルを吹き飛ばされた深月は、受け身を取ることもできずに天井の崩れた廃墟へと叩き込まれる。辛うじて原形を留めていた棚をなぎ倒し、いささかの減衰もすることなく最奥の壁へと叩きつけられ、血を吐く。ぐったりとしたまま、深月は動かない。
崩れた天井から差し込む月光が、ひび割れた壁に半ば埋もれた深月を照らしていた。
その一瞬の出来事を、うてなは霞がかった視界で見ていた。
誰が助けに入って、誰が攻撃を受けたのか。
自分の名を呼んだ声が、頭の中で繰り返し響く。
なにを求め、なにを期待しているのか。そんなものは、わからない。
それでも、やらなければいけない事はわかる。
自身の中に沸き起こる、滾るような熱の意味も。
「おま……え……」
深月を吹き飛ばし、引きつった笑みを浮かべるヒジリを、うてなは睨み付ける。
寝ている場合じゃないと、穴の開いた肩のことなど意にも介さず、立ち上がる。
「邪魔を、するから……邪魔するやつも、みんな殺してやる」
「……お前、間違えるな」
狂気に呑まれつつあるヒジリと、うてなの視線がぶつかり合う。
「相手を、間違えるな……」
「そうだよ。お前が死ねば、それでいい」
「あぁ、知ってるよ」
込み上げてくる激情がうてなの思考を熱し、奥底に眠る楔を溶かしていく。
溢れ出す熱が迷いすら飲み込み、うてなの全身を魔力と共に巡る。
うてなを中心に、空気が張り詰めていく。爆発的に膨れ上がる魔力は風を巻き起こし、アスファルトに亀裂を走らせる。
魔力を持つ者ならば、その立ち昇る強大なオーラに後ずさるほどだ。
しかしヒジリは、むしろ喜悦の笑みを浮かべてその様子に見惚れていた。これが神無城うてなの本気なのか、と感慨に耽る。
根本から違うのだと、はっきりわかる。
神無城うてなは、ヒジリたちが魔術師と呼ぶ者でも、魔法使いと呼ぶ者でもない。
正確に言い表す言葉が、存在していないのだ。
異邦からの侵略者。
異なる世界の、魔力を操る者。
この世界の、イレギュラー。
「神無城、うてな……」
掠れた声は、吹き荒ぶ風に掻き消される。
うてなの視線が、ヒジリを捉えた。黄金を宿した双眸に、心臓を鷲掴みにされる。その視線だけで、心臓を握り潰される気がした。
無造作に結い上げられたうてなの髪が解け、風に流されて広がる。その様子は、荒々しい風の中心であるにも関わらず、ゆったりと穏やかなものだった。
枷を解かれた艶やかな黒髪は、淡い輝きを纏っていた。
その輝きは、神々しい銀色。
疲弊し、徐々に失われつつあるヒジリの髪色とは正反対に瑞々しく、生命力に溢れた輝きを放っていた。
「それだ……それでこそだ!」
生命力そのものを魔力と共に術式へとくべ、千切れそうな四肢に走らせる。物質化した魔力が心臓付近の傷口から伸び、ヒジリの四肢へと絡みついていく。
ヒジリのそれは、もはや魔術とは呼べない領域に踏み込んでいた。
忌諱され、秘匿されていた禁断の術式。
異端と蔑まれる領域にまで身を堕とし、ヒジリはうてなに向って疾走する。
彼女を蔑む魔術師などすでに存在しないのだから、迷う必要などありはしない。
うてなの身体から放出される魔力の風へ、広げた手のひらを振り下ろす。
五指から放たれた魔力の刃は、うてながいる空間ごと切り裂く。
うてなは一歩も動かず、手をかざしただけでそれを打ち消した。本人の魔力に呼応するように、髪を編み込まれたグローブも輝きを纏っていた。
己以外の魔力は認めないと断じるように、輝きに触れただけでヒジリの魔術を掻き消してしまう。
それでもヒジリは怯むことなく、もう片方の腕を振り上げる。
先ほどと同様に魔力の刃が発生し、同時にうてなの足元から氷の槍が突き出した。
ほぼ同時に襲い掛かる二点攻撃に対し、うてなは軽く跳んで腕を一振りする。それだけで二つの魔術を霧散させた。
織り込み済みだとばかりに、ヒジリは次の魔術を発動させた。
空中にいるうてなの背後に三つの火球が生み出され、一気に襲い掛かる。しかし、ただの一つとしてうてなを捉えることはできなかった。
うてなが纏っている魔力は、かつてないほどに濃密だ。半端な魔術ではその障壁に届くより前に打ち消されてしまう。
ヒジリが発動させた火球は、防ぐにすら値しないものだった。
難なく着地したうてなは、なにもない空間を薙ぎ払うように左腕を振るう。
たったそれだけの動作で、数メートル離れたヒジリは吹き飛ばされていた。
咄嗟に腕を交差させてはいたが、焼け石に水だ。突き抜けた衝撃は、全身の骨を残らず砕きかねない威力を秘めていた。
壊れた人形のように地面を転がり、遊具の支柱にぶつかって止まる。
倒れ伏した視界に、自身の血が広がっていくのを、ヒジリはぼんやりと眺めていた。
血が、止まらない。
まだ、流れている。
なら、まだ生きているという事だ。
だったら、立たなければ……。
神無城うてなを、殺すために。
折れた骨を物質化した魔術で補い、ヒジリは倒れた状態から跳躍した。
起き上がる動作に、無駄な力を割いている暇はない。
残された全てで、神無城うてなを殺すのだ。
その一心だけで、空中から襲い掛かる。
うてなは佇んだまま夜空を見上げ、飛び掛かってくるヒジリを見据える。そこに浮かぶ表情は、抑え切れぬ昂りを含んだ微笑だ。
腕に纏った漆黒の炎を剣のようにして、ヒジリは振り下ろす。
微笑を浮かべたうてなは、ただ手をかざしてそれを受け止めた。
貫かれたはずの肩の傷は、すでに癒えている。
ヒジリはその事実に驚くこともなく、受け止められた炎を振り下ろそうと力を込める。
うてなも、同じように力を込めた。
漆黒の剣はガラス細工のように砕け散り、消え去る。
両者ともに、表情の変化はない。
うてなは無言でヒジリの腕を掴み、そのまま地面へと叩きつけた。地面が陥没し、ヒジリの口から血と苦鳴が漏れる。
衝撃に目を見開くヒジリを、うてなは嘲るように見下ろしていた。
そして思いきり腕を振り上げ、ヒジリを遥か上空へと投げ飛ばしてしまう。
ビル数階分の高さまで舞い上がったヒジリは、浮遊魔術を応用して再度空中から襲い掛かった。
追撃せずに待ち構えていたうてなは、弾丸のように強襲してきたヒジリの拳を殴り飛ばす。ほぼ垂直に落下してきたヒジリは、その衝撃で水平に吹き飛ばされた。
支柱を数本なぎ倒したところで、ようやく地面に転がる。
すでに傷ついていない箇所がないほど、ヒジリの身体はボロボロだ。
直接殴られた拳の骨は粉砕されてしまい、魔術で補える限界も超えている。
それでも、挑むことをやめはしなかった。
どうなろうと知ったことかと、血の涙を流してヒジリは駆ける。
向かってくる以上、うてなはそれを迎撃するだけだ。
戦いはすでに、二人のものですらなくなっていた。
ヒジリは復讐を遂げるため、己の身体と戦っている。
うてなは味わったことのない興奮に呑まれないよう、己の心と戦っていた。
枷から解き放たれた魔力に、全身が歓喜するような感覚を、うてなは味わっていた。
それは龍二から魔力を補充したときにも、わずかに感じたものだったが、今はあの時の比ではない。
相手を圧倒する力に溺れる――そんなものではない。
それはうてなの魂に刻まれた呪いのようなものだ。
最大効率で最高純度の魔法を使うために、神無城うてなは生まれた。
果たすべき役割に相応しい魔力を得て、魂が歓喜している。
敵を殺せと、うてなを誘う。
その危険な興奮に呑まれてはいけない。
――高揚を、飼い慣らせ。
うてなは必死にそう言い聞かせながら、一撃ごとに死へ近づくヒジリを、迎え撃っていた。
鬼気迫る戦いを横目にしながら、龍二は崩壊しかけている廃屋へと向かっていた。
数十メートルは離れているのに、肌を刺すような感覚がずっとしている。魔力の波を感じるたびに、それだけで気を失ってしまいそうなくらいの恐怖を覚えていた。
それでも、逃げ出すわけにはいかない。
うてなを助けるために飛び出した深月を放っておく事など、できるはずがなかった。
圧倒的すぎるうてなの戦いから目を逸らし、深月が吹き飛ばされた廃屋へと辿り着いた。
「久良屋さん?」
恐る恐る名前を呼びながら、暗闇を探す。
「久良屋……あ」
彼女の姿は、すぐに見つかった。
天井が崩壊していてくれたのが幸いし、月明かりが深月を照らしている。
が、安堵している場合ではないとすぐに気づく。
今にも崩れそうな壁に埋もれるようにして、深月は気を失っている。近づいて確認するまでもなく、頭部から出血していた。
慌てて駆け寄った龍二は、その出血量に声を失う。
そもそも、この状況でどうすればいいのかもわからない。
助けに行かなければという一心で来たが、頭部から出血して気絶している少女の介抱など、できるわけがなかった。
「そうだ、検索すれば……」
持っていた携帯端末を取り出し、震える手で操作するが、上手く入力ができず、手こずってしまう。
「あ、あぁもうっ……しっかりしろ」
自身の頬を強めに叩き、奮い立たせる。
応急手当の方法を検索した龍二は、まず深月の呼吸を確認することにした。
「よ、よし、息はある」
最悪の状況ではないことに息を深く吐き、次にすべきことを考える。
が、下手に動かしていいのかどうか、判断がつかない。
「えっと、出血は……頭から……口からも、少し」
耳や鼻からの出血は確認できなかったが、やはり素人に判断ができるような状態ではなかった。
せめて身体を横たえてあげたいと思うが、ここに至る状況が状況なだけに怖い。
しっかりと見えていたわけではないが、尋常ではない速度でこの廃墟に叩き込まれたのだ。骨が折れていたり、内臓を損傷していてもおかしくはない。
「やっぱり助けを呼ばないと……でも救急車なんて……」
どうするべきか悩む龍二の頭に、一つの案が浮かぶ。
「……ごめん」
気絶している深月に謝罪した龍二は、その身体を弄る。
極力変なところは触らないようにしつつ、目的の物を無事発見した。
「彼女の携帯ならきっと……」
救急車は呼べなくとも、組織へ緊急の応援を頼んだりする事はできるはずだと考えたのだ。
「って、認証が……そりゃああるよな」
真面目な深月ならば当然か、と龍二は再び頭を悩ませる。端末を操作するためには、認証を突破する必要がある。
セキュリティを考えてか、どう認証させればいいのかがわからない。
パスコードの入力なのか、特殊な操作なのか、それとも……。
「あ、いけた」
一か八か、指紋認証に賭けて深月の手に触れされただけで、端末は操作可能になった。それでいいのかと若干首を傾げつつ、龍二はそれらしい連絡先を探す。
が、信じられない事実に愕然としてしまう。
「なんで登録件数ゼロなのさ……」
ご丁寧に通話履歴もメール履歴も記録されていない。全ての連絡先を記憶でもしているのかと、龍二は驚きを通り越して呆れてしまった。
もしくは、認証の仕方が違ったのかもしれない。
正しい認証でなければ、データベースにアクセスできないという可能性もある。
どちらにせよ、龍二に正解はわからず、打つ手はなくなってしまった。
どうすれば、と龍二が頭を抱えた瞬間、空が真昼のように輝いた。次いで地面が揺れる感覚と、重い響きが耳を打つ。
ハッとして顔を上げた龍二が見たものは、降り注ぐ光の柱だった。
それは廃墟の入り口付近だけではなく、至るところに降り注ぎ、触れるものを破壊していた。
そして光の柱は、規模を拡大させている。
「え、ちょ……や、ヤバっ、ちょっ、待った!」
触れる物を粉々に砕きながら広がる光に、龍二は後ずさる。
数メートル先から迫ってくる破壊の光。
背後には、気を失って動けない深月がいる。
容赦なく迫ってくる絶望的な状況に、龍二は決断を迫られていた。
時間はもう数秒もない。
今すぐ決断しなければならない。
選択肢は、二つ。
自分だけでも逃げるか、それとも……。
「――――っ!」
そして龍二は目を閉じ、意を決して両腕を突き出した。
迫りくる光の柱を、押さえつけるように。
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