第2章 第3話 彼女の孤独 その3

 日の沈んだ薄闇の空に、花火が打ち上がる。

 早めに出かけた龍二と深月は、まだ空いている出店を適当に見て歩いた。

 花火大会などの催し物を見て回るのは初めてだという深月に、それぞれの出店がどんなものかを龍二は説明した。

 真剣な表情で聞いてくれてはいたが、実際に興味を持ってくれたのか、龍二にはよくわからない。

 無関心ではないようだったが、深月からどの出店がいいというような要望は、結局最後までなかった。

 一通り見て回った頃には、空いていた会場も人が増え始めていた。

 どうせなら落ち着いた場所で花火を見たいという龍二の申し出に、深月は賛同してくれた。

 来た道を戻るついでに、いくつかの出店で食べ物を購入し、二人は少し離れた坂の上にある小さな公園にやって来た。

 花火大会の雰囲気を味わえるとは言い難いが、ここなら他人に気兼ねせず花火が見られる。

 公園のテーブルに食べ物を並べ、二人は夜空を彩る花火を見上げていた。

 特別変わった花火を打ち上げているわけではないが、それでも一年ぶりに見る花火に目を奪われる。

 そしてそれは、龍二の胸にじんわりと痛みを広げていく。

 気晴らしという目的に反し、どうしてもセンチメンタルになってしまう。

 鮮やかな色に照らされる龍二の横顔は、どこか哀しみを帯びているように深月の目に映った。

 なにか声をかけようとして唇を開くが、なにを言えばいいのかがわからず、逃げるように空へと目を向けてしまう。

 次々と打ち上がる多彩な花火を見るのは、これが初めてだ。

 任務の最中に花火が打ち上がっていたことは、幾度かあったような気がする。だがそれは、深月とは関係のない出来事でしかなかった。

 だから経験として花火を見るのは、初めてと言っても間違いではないだろう。

 なんと言えばいいのだろうか?

「綺麗、なのでしょうね」

 こぼれた言葉は、どこか他人行儀なものだった。

「……一般的には、そうなんじゃないかな」

 それに答えた龍二の言葉も他人行儀に聞こえたのは、深月の思い過ごしではない。

 心ここにあらず。

 視線を龍二に戻した深月の脳裏に浮かんだ言葉だった。

 出店で買ってきたものには、お互いほとんど手を付けていない。うてなの分を残すため、ではない。彼女の分は、別に買ってある。

 そういう気分ではない、としか言いようがない。

 つくづく自分には不向きな任務だ、と深月は内心ため息をつく。

 任務に対する不満ではない。

 目の前の少年にかけるべき言葉一つ浮かばない、自身の不甲斐なさに、だ。

 気晴らしのために出てきたというのに、自分では彼を元気づけることはおろか、気晴らしの手伝いも満足にできない。

 もっと一般的な知識や経験を訓練で積んでいれば違っただろうか?

 本部に提案したら、バカげていると一蹴されるであろう考えが浮かぶ。

 一般人を励ます能力など、エージェントに求められるものではない。

 そもそも、護衛対象である安藤龍二のメンタルケアは任務に入っていないのだ。

 久良屋深月に与えられた任務はただ一つ。

 ――彼を守る。

 学生として潜入しているのも、彼を気遣うのも、すべては任務を全うするため。

 彼の心情を慮る必要など、一切ないのだ。

 当然、彼との信頼関係は重要だが、それは任務を円滑に遂行するためであり、個人的な友好を深める必要はない。

 これまでとは質の違う任務に、まだ戸惑っているという事だろうか?

 何度考えても、答えは出ない。

 ふと気が付けば、龍二は深月を見て照れくさそうに頬を掻いていた。

 ずっと凝視されていた事に気づいたのだろう。任務の最中になにをしていたのかと、深月は自身を恥じる。

「ごめんなさい。ぼーっとしていたわ」

「いや、うん。僕もなんかごめん」

 龍二自身も、物思いに耽っていたことを謝罪する。

 お互い様だと苦笑し、龍二は少し冷めてしまった焼きそばに箸をつける。

「久良屋さんもほら、食べよう。せっかくの機会なんだし」

 深月は食に無頓着すぎると、うてなが愚痴っていたことを思い出した龍二は、お好み焼きやたこ焼きを差し出す。

「えぇ」

 微笑を浮かべてパックを受け取った深月は、髪を軽く掻き上げてたこ焼きを摘む。

 定番のものを適当に見繕ったのだが、よくよく考えると粉物に偏っていたことに龍二は気づいてしまった。もう少し気を遣うべきだったと反省する。

「これ、タコがちゃんと入っているのね」

「そりゃあたこ焼きだし」

「えぇ、私もそう思っていたわ。ただ、うてなが以前言っていたの。タコの入っていないたこ焼きが存在するとかなんとか。それをたこ焼きと呼ぶのはおかしいと思っていたのよ。やはり、私が正しかったようね」

 自身の正当性を確かめるように、深月はたこ焼きをもう一つ摘んで頬張る。その表情は、僅かに勝ち誇っているようにも見える。

「あーでも、そういうのもあるって僕も聞いたことあるよ」

「冗談でしょう? それではたこ焼きのアイデンティティが失われるわ」

「そうなんだけどね。まぁ、お店の人がミスしてってことじゃないかな」

 悪意ある詐欺的なものだと、龍二としては考えたくない。

「なるほど。そういう可能性は、あるのかもしれないわね」

 プロとしては如何なものかと思うけれど、と深月は三つ目を口にする。

 表情から美味しいと思っているのかはわからないが、嫌ではなさそうな様子に龍二は安堵する。

 そしてひっそりと、先ほどの話を思い出して口元を綻ばせた。

 たこ焼きについて深月とうてなが話している場面を想像すると、なんだかおかしい。

 二人が普段どんな会話をしているのか、少し興味が湧く。

「なに?」

「いや、口に合ったようでなによりだなって」

「どうかしら。正直、自分でもよくわからないの。うてなのようにこだわりはないから。でも、あれだけの人が集まるということは、世間的に評価されているのでしょうね」

 深月らしいと言えばらしい言い方に、龍二は苦笑する。

「純粋な味で言えば、特別凄いってわけじゃないと思うよ」

「なのに、わざわざ買っていくの? 相応の値段とは言い難いのに?」

「こういうのはさ、なんていうか、雰囲気込みで美味しいって感じるんだと思うよ、たぶん」

「意味がわからないわ。味は変わらないでしょう?」

「そうなんだけど……うーん。お祭り、だからかな? 普段とは違う、特別な感じが美味しく感じさせるんだと思う」

「……私にはわからない世界ね」

 肩を竦めた深月は、りんご飴を手に取って首を傾げる。

「……これは、どう食べるの?」

 珍妙なものを眺めるような姿に笑いつつ、龍二は深月に説明する。

 彼女のこういった、すっぽりと常識の一部が抜け落ちてしまっている姿は、たびたび目にしているが、なんだか微笑ましい。

 本人に面と向かって言ってしまうのは、地雷を踏み抜くような行為に思えるので、決して口にはしないが。

「やっぱり、うてなも来れば良かったのにね」

 ひとしきり食べ、大きめの花火を見上げながら、龍二はそう思った。

 お土産をいくつか買いはしたが、やはりこの雰囲気の中で味わってこそという気がする。

 深月はピンと来ないようだが、うてななら同意して貰えそうな気がしていた。

「……やっぱり、この前のあれが原因なの?」

 さすがに龍二でもわかる。

 深月はナイーブになっていると言っていたが、原因はどう考えても数日前に遭遇した少女だ。

 あの少女と戦っていたときのうてなは、いつもとは違っていた。

 そしてあの少女も、普通ではなかった。

 魔術を使っていた事もそうだが、それだけではない。

「彼女、凄くうてなを恨んでるみたいだった。それが原因なんじゃないの?」

 龍二の問いかけに、深月は無言を貫く。

 答えられないという事だろうが、それは頷いているのも同然だった。

「二人の会話が全部聞こえてたわけじゃないけど、それくらいはわかったよ。彼女、うてなを殺そうとしてるみたいだった……」

 あの時の鬼気迫る悪寒は、思い出すだけでも足が震える。

 割って入った瞬間の恐怖は、夢に見そうなほどだった。

 それ以上の悪夢を知らなければ、だが。

「うてなの知り合いなの? 彼女もなんか、魔法みたいなの使ってたし」

 彼女たちは魔術と言っていたが、龍二にとってその二つは同じものだ。厳密な違いは、彼女たちにしかわからない。

「そもそも、うてなって……異邦人って、どういう意味なのさ?」

「私が勝手に話すわけにはいかないの。わかるでしょう?」

「でも――」

 なにか、自分にも関係があることではないのか。

 言いかけた言葉を呑み込み、龍二は俯く。

 自分にはなにか秘密がある。それは間違いない。

 そしてそれには、うてなも関係しているはずだ。

 彼女が持つ魔力と、龍二の身体に秘められたなにか。

 うてな自身、疑問に思っていたことだ。

 それを知ることは、核心に近づくことだという予感がある。

 今の龍二を取り巻く環境を説明するための鍵。

 彼女が――逢沢くのりが龍二に教えようとしたなにかに続く扉を開く鍵だ。

 知る権利がないとは、思わない。

 顔を上げた龍二は、強い意志を込めて深月を見る。

 真っ直ぐな双眸に宿るのは、敵意ではない。

 どこまでも純粋な、真実を求める一つの意思だ。

 その目に、深月は言葉を詰まらせる。

 エージェントとして言うべき言葉は決まっている。選択の余地などない。

 そうわかっているのに、言葉が出ない。

 二人の間に、沈黙が訪れる。

 色鮮やかな光が、二人の影を照らし出す。

 沈黙を破ったのは、花火でもどちらかの言葉でもない。

 深月の端末に入った、緊急の通信だった。

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