第2章 第1話 おでかけしましょ その3

「やーっとスッキリした。これでしばらくは、退屈な監視生活も我慢できそう」

 カラオケを終えてモールを出たのは、夕方に差し掛かろうという頃合いだった。

 二人で三時間、一曲だけと言われはしたが、最終的に龍二も数曲は歌うはめになった。それでもうてなが歌っていた時間のほうがはるかに多い。そういうところは、年相応の女子らしさがあった。

「どう? あんたも楽しめた?」

「そうだね。おかげさまで」

 いくらか明るさを取り戻した龍二の表情に、うてなも笑みを返す。

 半ば強引に連れ出した意味があったと、うてなは心の中で自画自賛していた。

「今日は僕のためにありがとう」

「は?」

「元気づけようとしてくれたんだよね? だから、さ」

「あ、あぁ、うんうん。そうそう。感謝したまえ」

 どちらかと言えば自分のストレス発散が目的だったとは言えず、横柄に答えてうてなは誤魔化した。

 視線を逸らすその横顔に、龍二もなんとなく察するが、野暮なことは言わなかった。理由がどうであれ、彼女のおかげで励まされた事実は変わらないからだ。

「それでなんだけど、気が済んだのなら――」

「ごめん。ちょっと待って」

 龍二の言葉を遮り、うてなは取り出した携帯端末を指さす。

 着信を示すバイブレーションに気づいた龍二は頷き、通話が終わるのを待つことにした。

「なにかあった?」

 龍二から一歩離れて背を向け、うてなは応答する。

 相手を確認するまでもない。電話をしてくるような相手は、一人しかいない。

『あなた、今どこでなにをしているの?』

 電話をかけてきた相手――久良屋深月は開口一番、咎めるような硬い声で問う。

「どこって、モールから帰るとこだけど」

『一人、ではないわよね?』

「当然でしょ。あいつも一緒。ま、デートみたいなもんだよ、アハハ」

 深月とは対照的に、うてなの口調は軽い。溜まっていたストレスが解消された今、自然と声も弾む。

『まさかとは思うけど、無理矢理連れ出したりしていないでしょうね?』

「したけど?」

『――はい?』

「ちょ、いきなり低い声出さないでよ。なんか怖い」

『あなたね、護衛対象を無理矢理連れ出すなんてなにを考えているの?』

「大丈夫。最終的にあいつも楽しんでたし。ありがとうって言ってたよ?」

『そういう問題じゃないでしょう、まったくもう……』

 電話の向こうで深月は盛大にため息をつくが、うてなはどこ吹く風だ。

 ちらりと龍二に視線を向けると、彼は渋い顔をして携帯の画面を見ていた。恐らく、安藤奏あたりから届いたメールでも見ているのだろう。覗き見ようと思えば、うてなが持つ端末で確認することもできるが、そこまでしなくてもわかる。監視任務を続けた賜物といえるだろう。

『あとできっちり報告してもらうから、そのつもりで』

「え? もしかしなくても怒って……って、切れた」

 一方的に電話を切られたことに若干戸惑いつつ、うてなは携帯をポケットに戻す。

 なにか怒っていたようにも思えたが、まぁいいだろうと割り切る。

 戻ってきたら小言の一つもあるかもしれないが、それで済むのなら安いものだ。

「今のって、久良屋さん?」

「うん。まぁ、定時連絡みたいなもん」

 マニュアル通りの返答をして、龍二に向き直る。

「そっちは? なんか言いかけてたけど」

 電話に出る直前、彼がなにか話そうとしていたことは覚えていた。

 うてなに促された龍二は、困ったような顔をして携帯を指し示す。

「実はさ、そろそろ僕、帰りたいなぁと思ってて」

「お姉さんが目くじら立ててるから?」

「……まぁ、うん」

 茶化すうてなの言葉に、龍二は情けなさと申し訳なさを混ぜ合わせたような顔で頷く。

 その様子に、うてなの口元が綻ぶ。

 姉という立場にいる奏に、まったくと言っていいほど頭の上がらない龍二を、情けないとは思わない。

 龍二と奏のやり取りは、退屈極まりない監視任務にあって、唯一ともいえる退屈しのぎだ。

 実の姉弟と言われても頷けてしまいそうなほど、二人のやり取りは自然だった。微笑ましさすら感じる。

 うてなにとってそれは、眩しいものを見ているような気分だった。

 そんな内心を龍二や深月に悟られたくはないので、極力無関心を装ってはいるが、彼女の性格的にそれが上手くいっているとは言い難い。

「そういうわけだから、できればそろそろ……」

「わかってる。もとからそのつもり」

 うてなはそう言って、変装用のサングラスをつけて歩き出した。


 その気配に気づいたのは、安藤家の最寄り駅に降り立ち、改札から外に出た直後だった。

 背筋を刺すような気配に、うてなは周囲を見回す。

 突然立ち止まったうてなに龍二は首を傾げるが、彼女の表情を見て察する。

 鋭い視線を周囲に巡らせる姿は、三週間前に見たものと同じだ。

「うてな……」

「こっち」

 龍二の手を取ったうてなは、人混みから離れるように路地へと向かう。

 電車が到着したばかりで一時的に人通りが多くなっているが、じきまばらになる。それまでは下手に動かない方がいいと、うてなは判断した。

「どう、なってるの?」

 不安げな龍二の声に、うてなはちらりと目を向ける。

「わかんない。でも、この気配……」

 ありえないはずだ、と言葉をこぼしながらうてなは視線を下げる。

「ありえないって、どういうこと?」

 その問いには答えず、うてなは思考を巡らせる。

 正直に言えば、うてなも混乱していた。

 異質な気配を感じたのは確かだ。それは間違いない。

 だが、その感じたモノが自分でも信じられない。

 この世界において、それを感じることができるなどと。

 しかし、間違いなく感じた。

 突き刺すような、禍々しくも圧倒的魔力の気配を。

 まるでうてなに語り掛ける……いや、宣言するかのように。

 ここに魔力を持つ者が存在している、と。

「確かめないと」

 ありえないのだから、気のせいだと流すことはできない。

 自分が感知したという事実は、決して見過ごすわけにはいかない。

「――――っ」

 今度の魔力は、先ほどよりも強い。

 暗く濁った魔力の刃に、吐き気を催す。

「だ、大丈夫? 顔色、悪いけど」

「……平気。そっちは?」

「僕は、なんだろう。ちょっと気持ち悪いっていうか、鳥肌が」

 そう言う龍二の表情は、確かに先ほどより優れない。その事実が、うてなを更に思考の渦へと陥らせる。

 あれほどの魔力であっても、一般的な人間にはなんら影響を及ぼさない。

 魔力を持つ者だけが感じられる、それは素質のようなものだ。

 それを龍二も僅かではあるが、感じている。

 つまり、安藤龍二もなにかしら、魔力に携わる素質を持った存在だという事だ。

 やはり、間違いないのだとうてなは拳を握り締める。

 三週間前の事件で、彼が魔力をその身に宿している存在なのは理解していた。

 そしてその魔力が、うてなが持つ魔力と同質のものであると。

 確かめなければならない。ただの偶然で済ませられる事ではないのだ。

 だがそれは、今ではない。

 うてなは自分にそう言い聞かせ、魔力の流れに意識を向ける。

 辿ろうと思えば、辿れる。

 それこそが相手の意図であるという事もわかる。

 これは一種の挑発だ。

 自身の存在をアピールし、うてなの反応を待っている。

 見逃す理由は、ない。

「…………」

 心臓の鼓動を抑えるように、胸に手を当てている龍二を見る。

 今すぐにでも魔力を辿りたいが、龍二を放っておくわけにはいかない。

 相手の狙いが龍二という可能性は、ゼロではないのだ。

 こんなわかりやすい手を使ってくるのなら、それなりの勝算があると見て間違いない。

 迂闊な行動をすれば、足元を掬われる。

 わかっている。

 わかっているのだが、うてなにとってはある意味、任務よりも重要なことだった。

 これほどの魔力を持つ者が、自分以外に存在しているという事実は。

 そもそも、自分は深月の組織に協力しているにすぎない。

 任務を放り出したとしても、最終的には見逃されるだろう。

 ここで私情を優先することは、可能なのだ。

「予定変更。ディナーに付き合ってもらう」

「え? どういうこと?」

「一緒に来いって言ってるの」

 うてなは私情を優先しつつ、龍二を巻き込むという選択をした。

 龍二も魔力の主も放ってはおけない。

 ならばどうするか?

 龍二の護衛をしつつ、相手を見つけ出せばいい。

 それが分の悪い賭けかどうかは問題ではなかった。

 そうすると、うてなは決めた。

「ちょ、いきなりなに言い出すのさ? 困るよそんなの」

 そんなうてなの内心など知りようのない龍二は、ただただ困惑して抗議する。

「別にいいでしょ。そっちはどうせ帰ってご飯食べるだけなんだから」

「今日は特別なんだよ。姉さんが凄く張り切って夕飯用意してるみたいでさ。それに今日のことだって説明しないとだし。これで夕飯まですっぽかしたらどうなるか――」

「デートなんだから夕飯くらいすっぽかせばいいでしょ? それともなに? お姉ちゃんの言うことは絶対なわけ?」

「そうは言ってないよ。でもさ、今日はさすがに」

「あぁもう! いいから一緒に来いって言ってんの! さもないとあんた、力づくで――」

 龍二の胸倉に伸ばした手を止める。

 先ほどまで感じていた気配が、霧散していた。

 これではもう、魔力を辿って追跡することなどできない。

 盛大なため息をついたうてなは、手を下ろす。

「……わかった。もう帰ろう」

「だから……え? い、いいの?」

 最終的にはうてなの思い通りになってしまうだろうと思っていた龍二は、突然のことに驚きを隠せない。

「いい。って言うか、もう手遅れだし」

 理不尽な怒りを消すように、うてなは頭を掻いてため息をつく。

「それと、ごめん。ちょっと熱くなってた」

 冷静に考えれば、無茶なことをしようとしていたのは明白だ。

 敵が気配を消したタイミング的にも、今すぐ荒事を始めるつもりはないのだろう。

 そう、あれは敵だ。

 狙いが誰であれ、近いうちに必ず姿を現す。

 なら、ここは大人しく引き下がるべきだろう。

「ほら、行くよ。もう安全だから」

 そう言ってうてなは一足先に駅前の通りに戻る。

 あれだけ強引だったうてなの変化に戸惑いつつ、龍二も後に続く。

 結果的にうてなの足を引っ張ってしまったのではないかと思うが、どう訊いていいか龍二にはわからなかった。

 結局、その後は一言も会話をかわす事なく、龍二を送り届けたうてなは近所にあるという基地へと帰って行った。

 思い詰めたようなうてなの顔が、龍二の表情を曇らせる。

 あんな顔をしているうてなは、初めて見た。

 新たな危険が到来したことよりも、今はそれが気がかりだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る