ボクは平凡すぎる守護対象
米澤じん
第1章 プロローグ
薄暗い部屋の中で、キャスター付きの椅子に縛り付けられながら、彼――安藤龍二は首を傾げた。
両手首をひじ掛けにテープで固定されているだけではなく、上半身も背もたれに括りつけられている。
辛うじて両足は自由だが、だからと言って逃げ出せるわけではない。
「あの……どう考えても人違いだと思うんですけど」
数多ある疑問はひとまず置いておき、恐る恐る声をかける。
薄暗い見知らぬオフィスの一室は、どこかの会議室だろうか。龍二が日々を過ごしている教室より幾分狭く、部屋の中心を取り囲むように机が並べられている。
殺風景な室内には、彼の他に五つの人影があった。
荒事に慣れていると一目でわかる男たちが四人。全員が全員、闇に溶け込みそうな暗い色のスーツを身に着けていた。
「安藤龍二、十七歳。高校三年生。所属する部活動はなし」
そして五人目の影が、この少女だ。
年相応のファッションか学校の制服に身を包めば、龍二と並んでいても違和感はない。
そんな年頃の少女が誘拐犯だという事実が、ますます彼を混乱させていた。
「その情報だけ聞くと確かに僕のことみたいだけど、でも――」
「両親は健在。ただし共に海外赴任中のため、父親の親友である安藤家に居候中……苗字が同じだけど、この情報に限っては間違いの可能性があるかもしれないわね」
「あ、間違いじゃないです。面白いでしょ、ハハ。居候先の苗字が一緒って。おかげで本当の家族みたいな気がして。あぁでもこのネタ、自己紹介で役に立つんですよ。鉄板ネタって言うか、会話のきっかけに――」
「黙って」
「はい……」
クスリとも笑うことのない少女の冷たい視線にうな垂れる。
「これで理解できた? あなたは間違いなく、私たちのターゲットよ」
「みたい、ですね……」
人違いではないと悟った龍二は深くため息を吐き、気を取り直して顔を上げる。
「質問とか、いいですか?」
「理由なら知らない。知っていても教えない。教える理由がないから」
「いやでも――」
「状況が理解できていないようね」
苛立ちを含んだ声と共に、硬い感触が額に押し当てられる。
フィクションでしか目にしたことのないそれが本物なのか、咄嗟に判断などできなかったが、その形状と先ほどよりも冷めた双眸に睨まれて理解する。
自身の頭部に押し当てられているそれが、紛れもなく拳銃であると。
「運が良かったわね。生きた状態での引き渡しが条件じゃなければあなた、とっくに死んでいたわよ?」
冗談、という言葉を口にすることすら許されない。
現実感の薄さに鈍っていた危機感が、ここに来て強く広がっていく。
喉の渇きに唾を飲み、現実から目を背けるように周囲を見回す。
龍二が縛られているのは部屋の奥。入口のドアは一つだけしかなく、その近くに二人の男が立っていた。部屋の中央付近にも同様に二人が立ち、それぞれに入口や窓を警戒している。
ただの高校生でしかない龍二では、彼らをかわして逃げ出すことなど不可能だ。それを改めて悟り、絶望が一層深まる。
「遅い……連絡は?」
少女の問いかけに窓際の男が首を振る。
舌打ちをした少女は銃を腰の後ろに戻し、窓のブラインドから外の様子を窺う。
外界から差し込む僅かな光が少女の横顔を照らす。
龍二との会話中に見せた苛立ちは消え、今は焦りがその表情を曇らせていた。
オフィスの時計はすでに夜の八時を回っている。
いつもならば安藤家の団欒に混ざっている時間だ。行方の知れない携帯電話には今頃、たくさんの着信があるだろう。
何の連絡もなくこんな時間に帰らないことなど、二年あまりの居候生活で一度としてなかった。
迷惑をかけている、心配させている。
誘拐された不安以上に、その事実が龍二の心に重くのしかかる。
なんとか打開できないだろうか?
その一心で思考を巡らせた。
――まさにその瞬間だった。
唯一の出入り口であるドアが、爆発音と共に吹き飛ぶ。
白い煙が熱と共に広がり、誘拐犯の視線と意識がそちらに向く。
男たちは一斉に懐から拳銃を取り出し、ドアに銃口を向ける。
龍二の間近にいる少女も同様に、すぐさま拳銃を構えようと腰に手を回していた。
非現実が極まる状況を前に、龍二はただただ狼狽える。
爆発したドアから一番離れた部屋の片隅。
だからこそ、次の変化に誰よりも早く気づく。
銃を構える少女のすぐ横、ブラインドの向こう側から人影が飛び込んでくる。
ガラスの窓とブラインドを蹴破り、勢いに任せて床を転がって対面の壁際まで黒い影が移動する。
「――――っ!」
誘拐犯の少女が苦鳴を漏らし、手を押さえる。
黒いジャケットとボディスーツに身を包んだ人影が飛び込んでくる際、少女が持つ拳銃をついでとばかりに蹴り飛ばしていた。
黒ずくめの人影は、機械的なゴーグルで覆われた頭部を一瞬だけ室内に巡らせ、すぐさま床を蹴って手近にいた男へと飛び掛かる。
意識をドアへと向けていた男は、咄嗟に拳銃を向けることすら出来ない。
瞬きの間に懐まで踏み込んだ影は、男の胴体へと狙いを定める。黒いグローブに覆われた左手が男の胸元へと叩き込まれた瞬間、青白い閃光が部屋を照らした。
グローブから放たれた電気エネルギーに襲われた男は、激しく痙攣してその場に崩れ落ちる。
男が取り落とした拳銃を部屋の隅へと蹴り飛ばした影は、すぐさま次の標的めがけて疾駆する。
仲間の一人が倒されている間に、蹴破られた窓際に立っていた男はどうにか銃口を向けることが出来ていた。
圧倒的な凶器である拳銃を向けられているにも関わらず、黒ずくめの襲撃者は臆する素振りもなく男に接近する。
机の間を縫うように駆け抜ける相手に対し、男は狙いを定めることが出来ない。
破れかぶれに引き金がひかれるより早く、ゴーグルを装着した影は男の眼前まで迫る。
左手で拳銃を弾き飛ばし、がら空きの胴体へと今度は右手を叩きつけた。
二度目の閃光は一度目と同様、男の身体を痙攣させる。
武装した二人の男を倒すのに有した時間は数秒。
フィクションとしか思えない出来事を前に、龍二はただただ呆然としていた。
だが、誘拐犯の少女は違う。
目の前で繰り広げられた僅か数秒の出来事に対し、躊躇することなく決断を下した。
状況の不利を悟った少女は窓際から部屋の奥へと飛び退り、龍二の背後へと回り込む。それと同時に、上着の内側に隠してあった肉厚のサバイバルナイフを取り出していた。
身動きの取れない龍二を挟んで、襲撃者と誘拐犯の視線がぶつかる。
顔の上半分を覆うゴーグルのせいで、襲撃者の表情は見えない。
だが、全身から放たれる強い意志は、確かに少女を貫いていた。
その意思を鈍らせるように、龍二の首筋にナイフが押し当てられる。
――否、押し当てられる寸前だった。
数メートルはあった二人の距離が、瞬きの間にゼロ距離まで縮まる。
少女の目にそれは、コマ落としのように映った。視界に捉えていたはずの存在を見失うという事象に、思考が追い付かない。
そしてすぐさま右手に違和感を覚える。
ナイフを持った手を襲撃者に掴まれているのだと理解した次の瞬間、骨の軋む痛みに襲われ、苦鳴を漏らした。
右腕を捻り上げられ、ナイフが手からこぼれ落ちる。そのまま押さえ込もうとする襲撃者の側頭部に、少女の肘が打ち込まれる。
咄嗟に頭をひねって肘鉄をかわすが、バランスを崩してしまう。その隙を逃さず、少女は襲撃者の拘束から抜け出す。
再び龍二を人質に取ろうとするが、先ほどとは立ち位置が違っている。
少女と龍二の間には謎の襲撃者が立ちはだかり、近づくことを阻んでいた。
ならばと少女が目を付けたのは、部屋の隅に転がっていた拳銃だった。突入してきた際に蹴り飛ばされた銃が、すぐそこに落ちている。
襲撃者もそれに気づき、二人は同時に動き出す。
誘拐犯の少女は拳銃へと駆け出し、銃の回収は不可能と悟って両腕を交差させる。
落ちている銃に辿り着くよりも早く、暴風のような回し蹴りが少女に襲い掛かった。
咄嗟の判断で両腕を交差させ、その一撃を受け止める。
苦痛を孕んだ声が、少女の唇から漏れる。
「こ、のっ!」
少女は両腕の痛みに耐えながら、お返しとばかりに爪先を跳ね上げる。襲撃者は半歩下がってそれをかわし、今度は正面から蹴りを打ち込む。
辛うじて少女はガードするが、その衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされる。
「――っ!」
背中から勢いよく壁に叩きつけられた少女は目を見開き、耐え切れずに息を吐き出す。
膝から崩れ落ちる少女に詰め寄った襲撃者は、その首筋に筒状の容器を突き立てる。
容器から注入された薬が少女の意識を一瞬で奪い、闇に落とす。
気を失った少女は、その場に力なく倒れ伏した。
その様子を眺めていた襲撃者は、空になった容器を見ながら首を傾げる。
どこか愛嬌を感じる動作は、異常な戦闘力を見せたばかりの人物とは思えない。
「あ、あの……」
若干上擦る龍二の声に、ゴーグル越しの視線が向く。
「及第点ね」
部屋の入口――爆発したドアの方から、その落ち着き払った声は聞こえてきた。
ドア付近にいたはずの男たちはすでに気を失い、両手足を拘束されていた。襲撃者が倒した二人の男も同様に拘束されている。
誰がやったのかと言えばそれは、声をかけてきた人物以外あり得ない。
その人物は襲撃者と同じ黒ずくめの格好をしているが、ゴーグルは装着していない。
「採点、厳しくない?」
そう不満げな声を上げたのは、もちろん黒ずくめの襲撃者だ。
「人質を取られそうになっていたでしょう?」
「だって、仕方ないじゃん。この試作品、使い切りだったんだもん」
「事前に説明を受けていたでしょう。言い訳にはならないわね」
「小姑みたい……」
「聞き取れなかったわ。もう一度言ってくれる?」
「……人質に取られる前に対処したんだから、問題なくない?」
「大ありよ。もしもそうなっていたら、どうするつもりだったの?」
「それは、こう……実力で排除する感じで」
「反省会の議題が決まったわね。後で話し合いましょう」
ばつが悪そうに頬を掻く襲撃者に対し、もう一人の人物は顔色一つ変えない。
目の前で繰り広げられる二人の会話は、先ほどまでの戦闘とはまた違う衝撃を龍二に与えていた。
「損害がガラスとブラインドだけで良かったわ」
「なんか、含みを感じるんだけど?」
「正直、もっと派手にやらかすと思っていたから。その点で言えば合格点ね」
「だって、報酬から差し引くとか言うし……」
「冗談に決まっているでしょう」
「……本当に?」
「えぇ。目に余るような損害を繰り返し出さなければ、ね」
「ケチくさ」
「仕方がないでしょう? 後処理の手間だってあるし、修繕に掛かる費用の大元は国民の血税なんだから」
「……使い放題ってことじゃないの?」
「そんなわけないでしょう……」
ドアから突入してきた人物は、襲撃者の言葉にため息を吐き、眉間を揉みほぐす。
会話をしている間に拘束し終えた誘拐犯の少女の顔を目にして、僅かに眉根を寄せる。だが、すぐ元の表情に戻って立ち上がる。
そしてそのまま、その少女は龍二へと向き直った。
襲撃者も彼女に倣うようにして、顔を覆っていたゴーグルを外し、少し乱れた髪を掻き上げる。
ゴーグルの下から現れたのは、壁際に倒れている誘拐犯と同じ年頃の少女だった。
気の強そうな視線を前に、龍二は別の意味で唾を飲む。
非現実的な出来事の連続に、理解がなかなか追いつかない。
「で? これが本当に?」
「えぇ」
黒ずくめの少女が二人、肩を並べて龍二の前に立つ。
自身を見下ろすその二人の姿に、龍二は呼吸すら忘れそうになる。
「写真で見た時から思ってたけど、普通すぎない? 誘拐する相手、間違えたとしか思えないんだけど」
「気持ちはわかるけど、間違いではないそうよ」
「だといいけど……この後は?」
勝気な双眸の少女は腰に手を当て、気だるげにため息を吐く。
「決まっているでしょう」
もう一人の少女はそれに応えつつ、腰のホルスターから黒い物体を取り出し、流れるような動作でそれを龍二の胸に向け、
「安心して」
迷う事なく、引き金を引いた。
「――――え?」
風を切る微かな音が鳴り、龍二は己の胸を見下ろす。
そこに突き刺さった小さなダーツを見た瞬間、急激に視界がぼやける。
声を漏らす余裕すらなく、意識が遠のく。
全身に広がる痺れと浮遊感に襲われながら、少女たちを見上げる。
焦点の定まらない視界では、表情を読み取ることはできない。
――ただひとつ。
「……ごめんなさい」
薄れゆく意識で、哀しみの残滓を宿した声が聞こえた……そんな気がした。
それが彼――安藤龍二と少女たちの出会いだった。
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